第8話 ああっ! おまえは! ……誰だっけ

 結局、また待つことになる。

 行列は少し進んでいたけど、まだまだかかりそうだ。

 あずさは読書を続けていたが、時折ぼくの方をちらちらと見てきた。

 

「……兄さんは、嗤わないのね」

 

「何を?」

 

「あたしを」

 

「なんで?」

 

 あずさはふたたび本を開くと、活字に目を落とした。

 でも、視線が本に向いているだけで、読んでいるわけじゃないらしい。

 

「結局――」

 

「ん?」

 

「結局、男なんてあたしの身体にしか興味が無いのよ。中身じゃなくて。で、クラスの目立つ女どもと一緒にあたしを迫害するんだわ。あること無いこと言いふらして。あげくの果てには机に油性ペンで大きく『ビッチ』って」

 

「ビッチなの?」

 

「違うわ!」

 

「なら、いいじゃん。ここでは関係ない」

 

 あずさは不思議なものをみるような視線をぼくに向けた。

 頭のてっぺんからつま先まで、舐めるようにして見てくる。

 

「ぼくはオタクに育てられた。叔父さんからオタク迫害の歴史は何度も聞いてる。すごかったらしいよ。でも今はそうでもない。たとえば、アニメくらいみんな観るだろ。叔父さんがぼくくらいの頃は、アニメを観ているだけでいじめられたんだって」

 

「そうなの? 信じられないわ」

 

「ぼくもさ。結局、人間は環境の生き物なんだよ。ぼくはあずさの何が悪いのか、気に障るのかわからない。本当にね」

 

「不思議な人ね、兄さんは。茂さんの教育が良かったのかしら」

 

 叔父さんが転勤族だったというのもあるかもしれない。

 ぼくは人間関係で揉めても、いずれそこを離れるから待てばよかった。

 だから異世界に来たといっても、ある意味慣れているんだ。

 でもあずさは違う。

 

「さあ。どっちにしろここは異世界だし、地球のことを引きずっても仕方がない。ぼくはアニメやゲームが好きだったけど、ここでやる方法は無さそうだ。ハンバーガーも食べようがない。今までのぼくではいられない。だから異世界転生なんだ。転移じゃなく」

 

「異世界……転生……。そうね、確かにそうだわ」


「まだ実感ないけどね」

 

 あずさは笑った。

 今までに見た中で、いちばん可愛らしい笑顔だ。

 あずさは本にしおりを挟むと、鞄にしまった。

 

「色々話さない? あたしたち、家族になるんだから。お互いのこと、もっと知った方がいいわ」

 

「そうだね。何から行こう」

 

「好きな献立は何?」

 

「ええとね――」

 

 色々とたわいもない話を続けたけど、こんなに喋るのは久しぶりだから、けっこう喉が渇いてきた。

 幸い近くに自動販売機がある。

 

「ジュースは何が好き?」

 

「あたしはそうね、ミルクティーが好きね」


「アイスティーしかなかったんだけどいいかな」

 

 ちなみに缶ジュースが一本六五〇円。

 何だこれは! 高すぎだ!

 それでも他に買える場所はないから仕方なく買う。

 くそう、これじゃお金がいくらあっても足りないぞ。

 飲んでいると、後ろから声を掛けられた。

 

「あれえ? アニキ! アニキじゃないか!」

 

 ぼくに弟はいない。

 振り返ると、いかにもチャラそうなチンピラが立っていた。

 何だコイツ、ダセえな。

 八〇年代のヤンキードラマに出てそう。

 ちなみにヤンキーって元々はアメリカ北部の白人だからな。

 こんな真似っこじゃないぞ。

 ぼくはあまり不自然にならないようにあずさを背中にかばう。

 

「ええと、誰だっけ」

 

「いやいや、悲しいこと言わないでくれよ。忘れちゃったんすか? ほら、いつだったか俺がボコられて瀕死の時に助けてくれたっしょ! 間島まじまっすよ、間島!」

 

 そういえばそんなこともあった。

 この間島というチンピラがヤーさんに喧嘩を売って返り討ちに遭い、死にかけたところにぼくが偶然出くわし、救急車を呼んでやったんだっけ。

 その場面を前の学校の連中に見られたおかげでぼくがやったと誤解され、怖がられて友達ゼロで過ごすことになった。

 くそ、何もかもこいつのせいだ。

 そもそもなんでこいつがここに居るんだ……とはいえ、何となく想像は付く。

 おおかた、喧嘩を売った相手から逃げに逃げまくった結果、異世界まで来てしまったんだろう。

 

「どうにか恩返しをしたいと思ってたんだよなあ。そんな機会ないと思ってたけど、アニキも来たんすねえ、異世界。こりゃもう運命だな。苦労して密航した甲斐があったってもんよ」

 

「ははは、気にしなくていいのに」

 

 こいつが船長も言っていた密航者か。まあいいけど。

 

「そっちの子は? アニキのコレっすか?」

 

 間島は小指を立てた。

 

「妹だよ。ファッションでツンデレをしているんだ」

 

 あずさが睨み付けてきたけど、何も言わない。

 何だよ、本当のことじゃないか。

 間島は意味がわかっていないのか、無視して続けた。

 

「マジか! アニキに似て美人っすねえ! やっぱイデンコが違うんだ、イデンコが!」

 

「もしかして遺伝子いでんしのこと?」

 

「そうそれ! genomeってやつ」

 

 言うまでもなく、ぼくとあずさの遺伝子は他人だ。

 でも、いまいちこいつは信用できないので、このことは黙っておこう。

 

「俺、近所の牧場で世話になってるんすよ。人間やっぱ汗を流して地道に働かないとね! アニキたちは今日来たんでしょ? どうすか、今ちょうど馬で来てるから、街を案内するっすよ!」

 

「いや、いいよ」

 

「いいからいいから! 遠慮しないで、さあ!」

 

 遠慮なんかしてないってのに。

 ちょっとくらい人の話を聞けよ。

 間島が馬と呼んでいる生き物は、どう見てもラバだった。

 雄のロバと雌の馬の間にできた子供だ。

 丈夫で賢く、力も強い。家畜として馬よりもロバよりも優れているが、唯一の欠点として一代限りで子孫を残せない。

 ガソリンが異常に高いこの島では、こういった家畜が動力として復権しているそうだ。

 

「まじま! はたらけ!」

 

 あっ、やっぱり喋るんだ。さすが異世界だな。

 

「うるせえ黙れ! とっとと俺の恩人を乗せろってんだ!」

 

 間島はラバを乱暴に二度叩いた。

 

「けったね? 二どもけった! ごしゅじんにもけられたことないのに!」

 

「うるせえ、俺に恥をかかせるのかよ! 馬肉にするぞ!」

 

「まじまはいきてるのがはじ! おまえがしねカス!」

 

 完全に舐められていた。

 ちなみに間島は手で叩いたけど、ラバにとっては蹴られたということらしい。

 人間の手は前足だからだ。

 あずさはポケットから、さっきの飴ちゃんを取り出すと、包みを解いてラバの前に差し出した。

 ラバは一瞬目を見開くと、飴を長い舌でペロリと口に運び、ボリボリとかみ砕いた。

 

「おねーさん、すき! のって!」

 

「兄も一緒にいいかしら?」

 

「いいよ! ぼくプルト!」

 

 ぼくはプルトの背にどうにかしてよじ登ると、あずさの手を掴んで引き上げた。

 

「うおっ、縞パンか! さすがわかってるな!」

 

 あずさが間島をキッと睨み付けると、彼はばつが悪そうに頭を掻いた。

 くそっ、ぼくだって見たことないのに。

 あずさはスカートを履いていたんだ。

 しかも膝上二十センチのミニだ!

 もちろんニーソと組み合わせてある。

 わかってるじゃないか!

 ぼくはミニスカとニーソの間の空間、すなわち『絶対領域』が三度の飯より好きなんだぞ!

 しかも縞パンだと!

 黄金比じゃないか!

 

「じゃ、行きまっせ!」

 

 間島に手綱を引かれ、ぼくたちは街を歩いた。

 乗馬なんて始めてだ。

 ぼくは間島に言われたとおりに、鞍に付いている握りをしっかりと掴み、太股で胴をしっかりと挟むと、あぶみにかけた足を踏ん張った。

 それでも視点がやたら高いし、すごく揺れる。

 そのたびにあずさがぼくの腰にしがみつき、背中には吐息と柔らかいものが当たる。

 ……ここだけの話、背中に全身の神経が集中していた。

 いやいや、これはいかんでしょ。

 どれだけ美少女でも、あずさはぼくの妹になるのに。

 役場からスタートして、商店、酒場、鍛冶屋。駐在所に消防団。

 街から少し離れたところには学校も見える。

 生活に最低限必要な設備は揃っているようだ。

 初めての土地だから、道案内は正直ありがたい。

 うおっ、カーディーラーの人が馬車を直してるぞ?

 

「どうすかアニキ、すごい田舎っしょ?」

 

「うん。でも、何だろう。本土の田舎と違って……そうだな。活気があるよ」

 

 右を見ても左を見てもお年寄りが目に付くのは、やっぱり日本の人口比率からして仕方がないこと……なんだけどそれだけじゃない。

 政府が年金をケチるためにお年寄りを優先して異世界に送り込んでいるって、本土のみんなは言ってる。

 でも、それに負けないくらい小さな子供も駆け回っているんだ。

 ほとんどが小学校にも上がっていない年頃で、きっとこっちで生まれたんだろう。

 ぼくは本土の田舎にも住んでいた事があるけど、どことなく雰囲気が違う。

 やっぱりフロンティアってのは活気があるよね。

 明治時代の北海道や開拓時代のアメリカも、きっとこんな感じだったんだろうな。

 

「そうすかねえ? 俺にはしけたクソ田舎にしか見えねえけどな。ほらあれ。公民館でのDVD上映会が唯一の娯楽だぜ? しかも古くせえのばっかり。『ローマの休日』だの『2001年宇宙の旅』だの」

 

「いいじゃん。名前だけ知ってる名作を実際に観る機会なんて、そうないよ」

 

「なに言ってんすか。古いもんはただ古いってだけでダメっしょ。何のために新作作ってるんすか。……ああ、そうそう」

 

 間島は立派なコンクリート造りのビルを指さした。

 二階建てで港に近く、どことなく異様な雰囲気が漂っている。

 

「あのビルには近付かないほうがいいっすよ。ワールド・ゲート社の警備部門だ」

 

「警備部門?」

 

「この街、警察官が駐在さんしかいないんすよ。人口の割に少なすぎるもんだから、開発企業のWGから警備員が派遣されてるんす。警察への協力、ってことで」

 

「別に悪いことをしてる訳じゃないだろう?」

 

 間島は頭の後ろで手を組むと、口を尖らせた。

 

「さあ、どうだか。連中、街の連中と馴染もうともしやがらねえし。事故とか災害の時は、小笠原の父島から高速艇で一個中隊やってきて手伝ってくれるんすけどね」

 

 街を一周して役場に戻ってくると、ぼくはプルトの背から降りた。

 あずさに手を貸し、降りるのを手伝ってやる。

 

「ありがとう、間島。すごく楽しかったよ」

 

「いやいや、当然っすよ! うちの駄馬が失礼して、すんません」

 

「ぼくも乗馬なんて初めてだし、よく頑張ってくれたよ。プルトもありがとう」

 

「ぶひひ、いいってこと!」

 

 プルトはぼくの手も舐めてくれた。

 彼とは上手くやっていけそうだ。

 

「それよりアニキ、知ってます? この島のどこかに古代文明の遺跡があって、そこにはとんでもないお宝が眠っているって話!」

 

「……マジで?」

 

「マジで! まあ、見つけたやつは居ないんすけどね」

 

「じゃあマジじゃないじゃん」


「でも、そういう噂があるのはマジっす。そのお宝ってのが山みたいな金塊だとか、漬物石みたいなダイヤだとか、あるいは油田だとか、色々言われてるんすけどね。俺はそいつを見つけて、一旗揚げてやるつもりなんすよ。俺を見下してたクソどもに見せつけてやるんだ。こっちに来たのも、それが目当てでね。まあ、本土にいられなくなった、ってのもあるけど」

 

 間島は大きな音を立てて舌打ちした。

 まあ、揉めた相手が悪かったもんな。

 

「もしかして、それが『新資源』?」

 

 ぼくはフェリーターミナルでツルハシを背負った人を見たのを思い出した。

 船でも見たけど、ここじゃ降りてない。

 次の街か、そのまた次で降りるんだろう。

 

「そうっす。……たぶんね。西海岸にあるんじゃないか、って噂っすよ。でも俺はこの東海岸だと思うなあ。勘だけど」

 

「当たりは付いているの?」

 

「うーん、もうちょいで手がかりがつかめそうなんすけどね。でも調べ物に限らず、何をするにもそれなりに金は掛かるし……。アニキ、どうすか? このプルト、一〇万でいいっすよ。こっちじゃ軽トラだって離島価格で五〇〇万はするし、バカみたいに広いから足があった方が絶対にいい。新世界島の広さ、舐めてるっしょ?」

 

 わりと魅力的な提案だと思う。

 でも、中学生にとって一〇万円はとてつもない大金だ。

 定期預金を解約して小遣いを前借りすれば、何とかなる気もするけど。

 あずさが耳打ちしてきた。

 

「相場もわからないのに、相手の言い値で買うのはおよしなさい。それにこの子、けっこうおじいさんよ」

 

 もっともだ。

 

「そうだねえ。二、三日考えさせてよ」


「そうっすか? でも早い者勝ちなんで、そこんとこヨロシクっす」

 

 その時、役場の時計塔にある鐘が二度鳴った。

 

「うおっ、もうこんな時間かよ。じゃあ俺はこれで。さすがに親方に怒鳴られちまう」

 

 ぼくたちは間島とプルトを見送った。

 叔父さんたちはまだ手続きに時間を食っているようだ。

 広場にテーブルと椅子があったので、ぼくたちはそこで待つことにした。

 

「あの話、本当かなあ」

 

「古代遺跡の話? さあ、わからないわ。でもね兄さん。これは例え話なんだけど……一九世紀のアメリカ西海岸で、金が採れるって話が出たのよ。知ってる?」

 

「ゴールドラッシュってやつか。チャップリンの映画で観た」

 

「たくさんの人が一攫千金を狙ってあちこちを掘り返したわ。でも、そのほとんどが破産したの。一番儲けたのは誰だと思う?」

 

「さあ、誰だろう。銀行?」

 

「作業服やテント、スコップなんかの工具を売っていた会社よ。ジーンズで有名なリーバイ・ストラウスもその一つね。元々は作業服なの」

 

「なるほど。投資は堅実が一番、ってか」

 

「そういうこと。夢みたいな事言ってないで、あたしたちは堅実にいきましょ」

 

 何気ない会話ではあるけど、あずさが言うと重みが違う。

 さすが自営業者の娘だけはある。

 あずさの父がどうして亡くなったのか、ぼくは知らない。

 でも、君枝さんと結婚するくらいだから、老衰でないことは確かだ。

 いつか、話してくれるかもしれない。

 でも、一生話してくれなくても、それはそれで構わない。

 

「おーい」


 いつの間にか叔父さんが入り口まで出てきて、ぼくたちに手招きをした。

 二人で駆け寄り、叔父さんに付いて中に入る。

 

「信也。この書類に目を通せ。そして証人のところに署名するんだ」

 

「ぼくでいいのかい?」

 

「他に誰がいる」

 

 ぼくは婚姻届の証人欄に署名した。

 叔父さんと君枝さんは笑顔で頷くと、書類を窓口に提出した。

 これで、正式に伯父さんと君枝さんは夫婦になったわけだ。

 役場の職員とそこら辺の通行人たちが万歳を三唱して祝福してくれた。

 いやあ、めでたいな。

 結婚ってこんなにあっけないものだったのか……。

 なんかイメージ壊れちゃったなあ。

 

「ううっ……ママぁ……し、幸せになってよね……。しげるさん……ママを悲しませたらただじゃ済まないんだから……! ううっ……あああん!」

 

 あずさは君枝さんにすがりついてわんわんと泣いていた。

 うーん、こういう時は泣くのが普通なのか。

 なんかいまいち実感が湧かないんだよなあ。紙出しただけじゃん。

 

「じゃ行くか」

 

 じゃ行くか、じゃねえだろ叔父さん。

 当事者があっさりしすぎだって。

 でもまあ、二人が幸せならいいか。

 君枝さんは満面の笑みを浮かべていた。

 周りの空気すら幸せオーラに包まれているように見える。

 その笑顔は、さっき見たあずさの笑顔とよく似ていた。

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