第7話 自分でやらなきゃだれもやらないもんね

 めいふらわあ丸はこの後島を一周して、あちこちにある他の街に寄ってから最後にもう一度本町に寄港し、再びゲートを越えて日本本土に戻る。

 希海ちゃんのお母さんはまだ船に乗っていて、次の街で降りるらしい。

 定期船は一隻しかない。

 二週間に一度しか船が来ないのはこのためだ。

 もっと船が増えればいいのに。

 ここは新世界島最大の街、新世界本町。人口四千人。主要産業は農業、漁業。ごく小規模な家内制手工業。

 

「ワールド・ゲート新世界島本部の島本で~す! 移住者の皆さんは役場までご案内しますので、こちらにお集まりくだっさ~い!」

 

 拡声器で叫んでいるおじさんの周りには、同じ船で着いた人たちがわらわらと集まっていた。

 船室にいた人よりは少ないから、それなりに地元の人も乗り込んでいたみたいだ。

 バスかなんかに乗せられるのかと思ったけど、役場までは歩いて行けるらしい。

 

「ではお集まりのようですので、出発しま~す」

 

 WGのおじさんは、まるで観光ガイドみたいに旗を持って歩き始めた。

 ぼくたちもぞろぞろとついて歩く。

 船酔いから快復していない人も多くて、まるで難民の群れだ。

 桟橋を降りて漁協の建物を過ぎると、商店街が並んでいる。

 見たこともないコンビニ――絶対にチェーン店じゃない――、西部劇に出てきそうなスイングドアの酒場、路上でハンマーを振るう鍛冶屋。

 銭湯の前では日に焼けた半裸のおじいさんが、瓶入りのミルクを美味そうに飲んでいる。

 もちろん左手を腰に当ててだ。

 なんかいいね、こういうの。

 街でいちばん騒がしいのは、路肩で人目もはばからず大声で井戸端会議を繰り広げるおばちゃんたちだ。

 本土じゃ見たこともない虎柄やシマウマ柄の服を着ている!

 なんだあの服は。さすが異世界は違うなあ。

 でも、自転車のフレームに付いている傘を固定するクリップは便利そうだ。

 異世界だけあって、発想が根本から違う。

 派手派手なおばちゃんたちは百メートル向こうからでも目立つ。

 そして二百メートル先からも声が聞こえる。

 

「……そうなのよお! それでね奥さん、うちの人ったらもう、信じられないの! 聞いてくださる?」

 

「あらやだ! 大変ねえ! ところで聞きました? 隣の田中さんの奥さんたら、こんど――」

 

 あらやだ? 今、あらやだって言ったよね? 本当にいるんだ、ああいうおばさん!

 ぼくらはおばさんたちに見つかった。

 

「あらあらあら! あらあらあらあら! んま~! 佐藤さん、ご覧になって! 今回はずいぶんと可愛い子が来てるのねえ! お人形さんみたいだわあ!」

 

 うち一人があずさを指さして、大声を――いや、本人にしてみれば普通の声かも――上げた。

 人を指さすのって失礼じゃないか。

 

「あらほんと! 可愛いわ~! ちょっとあなた、飴ちゃんお食べなさいな!」

 

 おばちゃんはあずさに駆け寄ると、強引に飴ちゃんを握らせた。

 

「えっその、でも……」

 

 あずさは明らかに困っている。

 

「い~から取っておきなさい! ほらもう一個!」

 

「あ、ありがとう……ご、ございます」

 

 おばちゃんはものすごい笑顔をして、あずさの頭をガシガシと乱暴に撫でた。

 叔父さんと君枝さんもはにかみながら頭を下げていた。


「遠慮なんてしなくていいの! 今日から島に住むんでしょ? ご近所さんじゃない! 助け合っていかなきゃね! ここは本土とは色々違うんだから! でもこの子、佐藤さんの若い頃にそっくり!」

 

「あらやだ! 奥さんだって若い頃はこんな感じだったでしょ~? 知ってるのよ、一度に三人からプロポーズされたなんてもう、伝説になってるのに~! 銀行頭取の息子! 総合商社の次男坊! 政治家の三男! 毎晩別々の外車でお迎えが来るって!」

 

「そんなことないわよお! 佐藤さんこそ今でもお綺麗ですわあ! まだ三十代でも通るって、もっぱらの評判ですのよお!」

 

「あら、あなただってまだまだお若くていらっしゃる! でも羨ましいわ~、あと四十年若ければ私だってね~、おっほほほほ!」

 

「おっほほほほほほ!」

 

「おーっほほほほほほほほほほほほほほほっ!」

 

 う、うるさいな。

 ぼくはあずさを見た。

 どんな顔をして良いのかわからないような、微妙な表情をしていた。

 何か聞かれたら「笑えばいいと思うよ」と言ってやるつもりだったけど、現実にそんなことはない。

 悪口を言われているわけじゃないから、やめろとも言えなくて逆に困るよな。

 あずさもあと四十年経てば、ああいう感じになるんだろうか。

 君枝さんとはよく似てるんだけどなあ。……顔は。

 性格も似たらいいのに。

 役場は角を折れた奥にあって、少し坂道を上った一番奥にあった。

 鉄筋コンクリートの三階建てで、周りのどの建物よりも高い。

 変わったところといえば、開発企業のワールド・ゲート社の事務所が入居していることと、屋上に大きなアンテナが立っているくらい。

 ちなみにおばちゃんの笑い声はここでも聞こえる。

 作業服姿のおじさんがブンブンと丸鋸の付いたエンジン刈払機を振り回していて、そのたびに刈られた草が宙を舞う。

 草の匂いって、ぼくは嫌いじゃない。

 ブンブブブブブブンブブンブンブブンブーン。ブンブーン。

 おじさんの指はリズミカルにスロットルを動かしていて、なんか絶対真面目にやってない。

 つま先もリズミカルに上下しているものだから、耳に付けているのも作業用の耳栓じゃなくてヘッドホンに見えてくる。

 ロックかポップスか、あるいはジャズか。いやアニソンだな。

 

「ポウッ!」

 

 ポウッ! じゃねえよ。

 刃物扱ってるのに危ないなあ。

 おじさんは刈払機を止めると、赤いガソリン携行缶までムーンウォークで歩き、燃料を補充しはじめた。

 あっ、作業服の胸に自治体マークが刺繍されてる! この人役場の職員だ。

 大丈夫かこの町。

 お役人さんはヘッドホン、いや耳栓を外すと、傍らで腕組みをしているもう一人のおじさんに笑いかけた。

 この人は民間人みたい。

 胸に発田工業(株)って書いてあるからね。


「すごい調子いいよ、さすが発田はったさんだ! もうだめだ、買い換えだと思っていたんだよ。おかげでどれだけ経費が浮いたか!」

 

「キャブが詰まってプラグがカブってただけだ。この機種の持病みたいなもんさ」

 

「じゃあまた故障するのかい? 俺の使い方が悪かったのかな」

 

「いいや。行き過ぎたコストダウンの結果ってところかな。やりかたは教えたろ、次からは自分でやれよ。役場の備品は俺みたいな国民の税金だ」

 

「自分で、かあ」

 

 お役人さんは肩を落とした。

 

「ここはそういう所だ。わかってるだろ?」

 

「まあね、発田さんの言うとおりだよ。自分のことは自分でやる、でないと誰もやらない島だ。自由でいいけどね」

 

 なんかすごいカッコイイ話をしているな。

 でも、不便な島だろうし自分で何もかもやらなきゃいけないんだよな。

 リュックサックの中を漁っていた叔父さんが、ようやく目的の書類を見つけたらしい。

 

「あったあった、みんな待たせてすまんな。じゃあワイらは手続きに行ってくる。少し時間が掛かると思うが、お前たちはその辺で待っているんだ。知らない人について行っちゃいかんぞ。……さあ、行こうか」

 

「ええ、あなた」

 

 叔父さんと君枝さんは、年甲斐もなく手を繋いで中に入っていった。

 

「……」

 

 さて。そんなわけでぼくはあずさと二人っきりになってしまった。

 考えてみれば、ぼくは同年代の女の子とまともに話をする機会なんてほとんど無かったから、何を話していいのかわからない。

 でも、ここで時間稼ぎのイベントが発生!


「あたし、トイレ」

 

「ああ、うん。ごゆっくり」

 

 あずさも役場の中へ行ってしまった。ぼく一人だ。

 

「……よし」

 

 試しておくことがある。

 一人の時にしかできないことだ。

 ぼくは右手を伸ばし、叫んだ。

 いや、本当に叫ぶと恥ずかしいから小声で呟いた。

 

「ステータス・オープン!」

 

 異世界転生したらまずステータスオープンだ。これはお約束だ。

 

「…………………………………………………………………………」

 

 しかしなにも起こらなかった! クソッ、当たり前だ。

 でもなんか悔しい! 異世界なんだからステータスくらいあってもいいだろ!

 

「はっ」

 

 役場のおじさんがさっき言っていたことを思い出す。

 自分のことは自分でやる、でないと誰もやらない、って。よおし!

 ぼくはリュックサックからボールペンとメモ紙を取り出し、以下のように書き付けた。


 名前:シンヤ

 レベル:15

 性別:男

 職業:冒険者

 HP:60/145

 MP:0/0

 力:49

 すばやさ:33

 体力:45

 賢さ:16

 運の良さ:5


「……ふうむ。だいたいこんな感じか」

 

 ステータスの数値って、けっこう面倒だな。

 でも、適当に書いたにしては当たらずとも遠からずってところだ。

 そうだ、あずさはどうしようかな。

 よし、これでどうだ。


 名前:アズサ

 レベル:14

 性別:女

 職業:踊り子

 HP:50/128

 MP:0/0

 力:30

 すばやさ:45

 体力:38

 賢さ:63

 運の良さ:4


「まあ、こんな感じかな……」

 

 ぼくはわりと小柄なほうだし、あずさは中学生にしてはスタイルが良いから妥当だと思う。

 それにしても、なんだか書いてるうちにだんだん楽しくなってきたぞ。

 まあ、数字に根拠はないから完全なお遊びなんだけど。

 運の良さが低いのはもうご覧の通りとしか言い様がない。

 ええと、次のレベルまで経験値は――


「何してるの?」

 

 いかん、いつの間にかあずさが戻ってきてた。

 ぼくはステータスの紙を丸めてポケットに突っ込んだ。

 

「いや、なんでもない」

 

「ならいいけど」

 

 あずさは隣に座った。

 さて、何を話せばいいんだろう。

 女の子といえば……恋愛話? いや、それ一番だめなやつ。

 ぼくはノリであずさに告白して振られてるだろ。

 あずさが経験豊富だったらそれはそれで気まずいしな。

 なんか船で一目惚れとかしてたみたいだし。

 ファッション? あずさは専門家だけど、ぼくは全くわからん。

 自慢じゃないが、ぼくは休日でも学校指定ジャージで平気で外出するようなおとこなのだ。

 うん、自慢にならんな。

 料理? ぼくは得意だ。

 お湯を沸かしてカップに注ぎ、三分間待つ。たまに失敗するけど。

 いや、カップ麺で失敗するとかダメじゃん。

 アニメはどうだろう。でもぼくはオタク向けの深夜アニメしか見ていなかった。

 そもそも、ここテレビ放送やってないらしいしな。

 手続きを済ませた人たちが一人、また一人と出てくるのが見えた。

 順調に進んではいるみたいだけど、それでも三〇分ほど待っただろうか。

 あずさはいつも持っている鞄――女の子はみんな持っていて、トイレに行くときも手放さない。何が入ってるんだろう? ――からいつの間にか本を取り出して読んでいたから、特に会話はない。

 揺れる船の中で読書なんてできないからね。

 船酔いがますます酷くなるんだよな。

 それにしばらくは忙しくなるだろうし、読書なんてできないかもしれない。

 たまに横目で見てやると、漫画調の挿絵が目に入った。

 西洋風のドレスを着たお姫様がため息をついていたり、女の子同士でキスしたりしている。

 もちろん花に囲まれてだ。

 ぼくはこういうのよくわからないけど、好きなのかな。

 そのとき、頭の近くでブウン、という羽音がした。

 

「あっ」

 

 クワガタムシが現れた!

 クワガタムシはいきなり襲いかかってきた!

 クワガタムシの攻撃!

 シンヤは1のダメージを受けた!

 コマンド> たたかう

 シンヤの攻撃!

 クワガタムシは256のダメージを受けた!

 クワガタムシをやっつけた!

 35の経験値を獲得!

 なんとクワガタムシが立ち上がり、仲間になりたそうにこちらを見ている!


 ……例によって数字は適当だ。

 つまり飛んできたクワガタがぼくにぶつかってきたので、反射的に手で払った、というわけだ。

 

「何よそれ。クワガタ?」

 

「うん。……こいつ、でかいなあ!」

 

 なんだこいつ、オオクワガタよりもでかいぞ。

 一〇センチ近くある。

 知らない種類だけど、なんて言うんだろう?

 この島にはまだまだ未知の動植物がわんさか居るらしいからな。

 もしかしたらぼくが発見者かも?

 そうだ、ぼくが名前を付けてやろう。クワッガだ。

 ぼくは本土で買ったけど飲む気になれなかったサイダーを一滴垂らしてやり、クワッガに飲ませてやった。

 クワッガはブラシのような口でちびり、ちびりとサイダーを飲み始めた。

 こいつ、なかなかイケる口だな。

 

「……兄さん。そのキモイのをどこかにやってくれる?」

 

「ええ~? 格好いいじゃん」

 

「あたし、虫嫌いなのよね」

 

「ぼくはわりと好きなんだけどなあ。噛みついたりはしない……事もないか。クワガタだし」

 

 虫が好きとは言っても、かっこいい甲虫とか、きれいな蝶なんかの話だ。

 もちろんGはダメだぞ。

 あずさはまるで虫けらを見るような目で――実際虫けらなんだけど――クワッガをまじまじと見つめた。

 

「ま、いいわ。世話は兄さんがしてよね」

 

 飼おうなんて一言も言ってないけどな。犬猫と違って懐かないし。

 シャキン! とスタイリッシュに翅を広げ、クワッガは大空に飛び去った。

 

「行っちゃった……」

 

「追っちゃダメだ! あいつにはあいつの生きる道があるんだ。ぼくたちの都合でどうこうしようなんて、思い上がっちゃいけない。……さよなら、クワッガ」

 

 地べたを這いずり回るしか能の無い、ぼくたちのような哀れで愚かな生き物は、大空を自在に飛び回るクワッガを見送る事しかできなかった。

 

「クワッガって、名前? バカじゃないの」

 

「かもしれない。それくらい暇なんだよ。まあ、わりとどうでもいい事だ」

 

「そうよね。ところで、なぜかあたしが踊り子になってるんだけど、どういうこと? 村下孝蔵?」

 

「誰?」

 

「早世した天才シンガーソングライターだけど知らないの? まあ、今どきのキッズは知らないわよね」

 

「なんだよ、あずさだって同学年だろ」

 

 つまり、ぼくの落書きがいつの間にかポケットから落ちて、あずさが拾って広げていたんだ。

 しまった! これは恥ずかしい!

 でも、恥ずかしければむしろ堂々としていろ、と叔父さんが昔言っていたからな。

 腹を括るしかない。

 あの日のことは今でも覚えてる。

 叔父さんはあまりの疲労とストレスでズボンを忘れて、ぼくが身元引受人に……いや、済んだことだ。

 

「で、何であたしが踊り子?」

 

「……うん。ええとその、僧侶のほうがよかった?」

 

「べつに……。ゲーム、好きなの?」

 

「たしなみ程度さ」

 

「ふうん。男子はみんな好きよね。でも、ゲームは当分できないわ」

 

「そうだね。電気、無いらしいし」

 

 そう、あずさの言うとおりだ。

 当分ゲームはできない。

 ステータス? 冗談じゃない!

 人間の可能性が数字なんかで測れてたまるもんか!

 ずっと昔、叔父さんが合コンから帰ってきたとき壁を殴りながらそう言ってたんだからな!

 叔父さんの年収は当時……いや、済んだことだ。

 ぼくは紙をあずさの手から取ると、丸めてポケットに突っ込んだ。

 破って捨てたら怒られそうだし。ゴミを捨てるな、って。

 

「くすっ」

 

「な、なんだよその顔は」

 

「うふっ。あはははは! 冒険者、うふふ」

 

 あずさは腹を抱えて笑い始めた。

 

「はいはいもうやめやめ、この話題終了! はい終了!」

 

「兄さんもあんがい可愛いところあるじゃない。うふふ、あはは!」

 

 それはぼくの台詞だ。……言わないけどさ。

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