第5話 船乗りの時点ですでにチートスキル持ちだよな
船室といっていいのかどうか。
ぼくたちは貨物甲板にゴザを敷いただけのスペースに詰め込まれた。
床はもちろん鉄板だ。
大雑把に見て一五〇〇人くらいは乗ってるみたいで、寿司詰めでひどい人いきれだ。
あずさなんて真っ青な顔をして口許にハンカチを当てていて、君枝さんが心配そうに背中をさすっていた。
というか、この船定員が七五〇人じゃなかったか?
船員さんが来て切符の確認を求めると、何十人かがトイレや甲板にぞろぞろと出て行く。
ぼくは知らないおじさんに「切符を貸せ」と言われてしまった。
「いいじゃねえか、減るもんじゃなし!」
「いやでも、そういう問題じゃ――」
「いいから貸せ! 三〇秒で返す!」
そのおじさんはぼくから強引に切符をもぎ取ると船員に見せ、終わると返してくれた。
船員もあまりやる気がないみたいだ。
「ふう。あんちゃん、マトモに切符買って偉いなあ。これ、お礼な」
ヌードグラビアのついた週刊誌をもらった。いらないよ。……本当だぞ。
つまり、密航者がたくさんいるってことだ。
一般国民の異世界行きは規制されているけど、もはや誰も正確な人口を把握していない。
*
いやもう揺れるのなんの。
大波を越えるたびに船底が海面を叩いて、大きな水しぶきが上がる。
こんなのが丸々三日も続くんだぜ。
船が古くて足が遅いのもあるけど、ゲートの正確な位置を外国に隠すためにジグザグに航行しているからだ。
潜水艦がどこにいるかは誰にもわからないもんね。
一人がゲロを吐くとその臭いに刺激された別の一人がまたゲロを吐き、といった地獄めいた光景が繰り返され、トイレには長い列ができていた。
食事も出るとはいえ、まともに食べられる人は一割もいなかった。
「これはひどい」
よくわからないゴムみたいな何かの肉を、よくわからない調味料で味を付けたものと、いささか変な臭いがする冷め切ったカチカチのご飯。
野菜ジュースが付くけど、見たことのないメーカーな上に賞味期限が切れかけている。
仮に体調が万全だったとしても、とても食べられたものではなかった。
波止場で食べたハンバーガーがとてつもないごちそうに思えてきたぞ。
家畜用の飼料ですらもう少しマシだ。
無理に食べると吐くかもしれない。
君枝さんとあずさもそう思ったのか、手を着けていなかった。
「しっかりせんか。食わないと持たんぞ」
なんで叔父さんは平気なんだよ。
どう考えても激マズじゃん。
波で船が揺れるたびに、船のあちこちがきしんだ。
ギイギイと、まるで悲鳴を上げているみたいに。
あずさは特に船酔いが酷いみたいだ。
君枝さんはあずさの肩を抱いてそっと背中を撫でているが、良くなる気配はまるでない。
「嫌っ! 嫌よ! 見ないで!」
「じゃあ自分で行く?」
そう言うとあずさは押し黙った。
ぼくは○○が入ったバケツを持ってトイレに捨てに行くという行為を、二度ほど繰り返した。
最初のうちは固体があったけど、やがて何も無くなっていて、いやそれどころか少し赤いものが混じり始めた。
これ、絶対良くない傾向だよな。
まあ、正直『それ』を見たことと漂う臭いでぼく自身がぶちまけそうになったけど。
あずさはついに横になったまま動けなくなってしまった。
顔は死人のように真っ青で、目はうつろ、開いているのに何も見ていないみたい。
死体だと言われても納得しちゃうほどで、かわいそうだけどぼくには何もしてやれない。
「川が……川が見えたの。きれいなお花がたくさん咲いてて……ヒラヒラとちょうちょが舞ってて。向こう岸ではパパが笑顔で……」
「それ渡っちゃだめなやつだ。もう寝ちゃえよ」
「うん……」
君枝さんはまるであずさが死んじゃったみたいな顔をして、ハンカチで目元を押さえていた。
でも急に顔が青くなって、ハンカチを急に口許に移す。
足がふらついて、倒れそうになったところを叔父さんが支えた。
「信也、あずさを見ていろ」
「うん」
叔父さんに支えられて、君枝さんもトイレに向かった。
見てろと言われても、本当に見ているだけしかできない。
あんまり見ているとぼくまで気持ち悪くなるんだよね。
「外が……見たいわ」
「わかった」
ぼくはあずさに肩を貸して、第一甲板への階段を上った。
外を見れば多少はマシかもしれない。
さすがに風に当たる事はできないけどね。
甲板は船が沈むんじゃないかと心配になるレベルで波に洗われている。
ぼくたちは舷窓の下に腰を下ろした。
結局、揺れが収まらないとどうしようもないんだ。
ああ、かわいそうな悲劇のゲロイン。
「大丈夫かい? 彼女、すごく調子が悪そうだけど」
そういって声を掛けてきたのは、小柄でスマートな美少年だった。
なんだこいつ、モテそうだな。
あ、よく見ればフェリーターミナルでぶつかったやつだ。
「おや、きみは……ターミナルではありがとう」
「いや、気にしないでくれ」
「何か口に入れさせないと持たないよ。そうだ、これを」
彼が差し出したのは、チューブ入りの栄養ゼリーと酔い止め薬だった。
「いいのかい?」
「ああ。気休めにしかならないと思うけど。胃が空だと負担が大きいからね」
「ありがたくいただくよ。あずさ……おいあずさ」
あずさは今にも死にそうな顔をして、目には大粒の涙を浮かべていた。
「……あたし……もうダメかも。あたしの……ぶんまで……」
「バカを言うなよ」
そうそう簡単に死んでたまるか。
でもいよいよ本当の本気で調子が悪そうだ。
「ちょっと失礼……」
イケメン様は横たわるあずさをスタイリッシュに起こすと、ゼリーのチューブを口にあてがった。
なんだこいつ、かっこいい。
「あっ……でもっ」
「いいから。少しずつ、ゆっくりだよ」
端的に言えば赤ちゃんにミルクをあげるポーズなんだけど、イケメン様と元モデルの美少女がやっていると、まるで恋愛映画のクライマックスシーンみたいだ。
あずさは頬をほんのりと染めて、少しずつゼリーを飲み込んでいった。
なんか、ちょっとピンクな雰囲気だなあ。
ぼくが同じ事をやったら観客からブーイングが来てしまう。
スクリーンに物を投げるのはおやめください!
「さ、次は薬だよ」
「あっ……は、はい……」
イケメン様はまるで愛をささやく恋人のように、あずさに水を飲ませた。
か、かっこいい……。っていやいや、そうじゃないだろ。
ぼくだってお兄ちゃんになったんだからな。
妹に変な虫が付かないようにしなくっちゃ。
「ありがとう。あとはぼくが見ておくよ」
「そうかい? じゃあまた、お大事に」
横たわる人々の横を縫うように、イケメン様はどこぞへと去って行った。
あずさに目をやると、ぼくは恋する乙女がどんな表情をするのかを初めて知ったのだった。
「素敵……。また、会えるかしら」
「たぶん」
同じ船に乗っているし、会おうと思えば会えるだろう。
でも、ぼくとしてはあんまり面白くないなあ。
「そうよね。また、って言ってたものね。いつまでも寝てなんかいられないわ、早く元気にならなくっちゃ!」
*
半日が過ぎた。
あずさが元気になったと思ったら、こんどはぼくがグロッキーだ。
なんだよこれ。いきなり来るのな。
もうずっと吐きそうだし、実際何度か吐いた。
あずさのやつ、こんなのに耐えていたのか。
「大丈夫?」
君枝さんが心配そうな顔で覗き込んでくる。
「死にそう……」
「じっとして。気休めだけど、これ」
額に冷たいものが触れる。
君枝さんがタオルを絞ってくれたんだ。
「大丈夫よ、信也さん。すぐに良くなるわ」
君枝さんの細い指が、ぼくの頭を優しくなで続けた。
恥ずかしいからやめてくれよ、と言いたくなるけど、そんな気力すらぼくには残っていない。
それに、とても良い気分だった。
柔らかくて、暖かくて。
もし、母さんがいたらきっとこんな感じなんだろうか。
「大丈夫よ、信也さん。これからあずさをお願いね。あの子もきっと、あなたのことを好きになるわ。ね?」
いつの間にか、ぼくは深い眠りに落ちていた。
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