第4話 特に好きじゃないけど時々無性に食べたくなる

 その日が来た。

 ちっぽけなリュックサック一つでぼくと叔父さんは波止場へとやってきた。

 トラックに撥ねられるでもなく、魔法使いの美少女に魔方陣で召喚されるでもなく、ごく普通に電車でだ。

 ――って、身体痛い!

 布団を送ったら床で直接寝るって、考えてみれば当たり前だよな。

 被るものは新聞紙だし。

 普通ならホテルでも取ればいいんだろうけど、乗り換え二回だしな。

 まあ、そんなこんなでぼくたちはフェリーターミナルまでやってきた。

 異世界行きの船はここから出ている。

 

「乗船券はちゃんと持っているだろうな」

 

「もちろん」

 

 ぼくらはターミナル入り口にあるベンチに腰を下ろし、行き交う人々を眺めた。

 黒やグレーのスーツを着た人たちがうつむき加減で足早に歩いていた。

 コンクリートとプラスチックに覆われたこの世界に愛着がないではないけど、同じくらい新しい世界への期待も大きかった。

 

「こっちの都合だけで決めてしまって、すまないとは思っている」

 

「だから、その事はもういいって」

 

「寂しくはないか?」

 

「寂しくないこともないけど。……でもね叔父さん。ぼくに母さんと妹ができるのは、やっぱり嬉しいよ」

 

「信也……」

 

「それに……新しい世界ってのは、いつだって新しい希望なんだ。新しい世界で、新しい家族と、新しい暮らし。素敵じゃんか」

 

 叔父さんは少しだけ柔らかい表情になった。

 

「……そうだな、うん。お前の言うとおりだ」

 

 叔父さんだって不安があるんだな。

 大人だからって、結局ぼくたちと変わらないんだ。

 しばらくの間、ぼくたちは無言で街と人々を眺め続けた。

 一ヶ月間慣れ親しんだ街だけど、少し窮屈に感じていたのも間違いない。

 やがてバス停に一台のバスが滑り込んでくるのが見えた。

 

「あのバスかな」

 

 プシューという音とともにドアが開き、ぞろぞろと乗客が降りてくる。

 最後のほうになって、君枝さんとあずささんが降りてきた。

 おや? あずささんが知らない女の人の手を引いている。

 あっ、妊婦さんだ。ずいぶん大きいな、もうすぐ産まれそう。

 

「すいません、どうもありがとうございます」

 

「いいんですよ、頑張ってくださいね」

 

 妊婦さんは何度も頭を下げて、ターミナルに入っていった。

 叔父さんが君枝さんに声を掛ける。

 

「もう、いいのか」

 

「ええ、あなた」

 

 叔父さんは君枝さんの荷物をスマートに持って歩き出した。

 おお、なんかオトナの男っぽいな。

 あずささんに目をやる。

 

「……あたしはいい。自分で持てる分しか持ってこなかったもの」

 

 持ってやるなんて一言も言うつもりは無かったけどね。

 

「そっか。さっきの人、知り合い?」

 

「いいえ。でも、同じ船に乗るみたい」

 

「そうなんだ」

 

 四人でこうやって歩くのは初めてだ。

 ……って、さっそくあずささんが遅れているぞ。

 

「そんなヒールの高いサンダルなんて履くからだ」

 

「何言ってんのよ、アンタみたいなダサいスニーカーなんて履けるわけないでしょ!」

 

 スニーカーがダサいというのは偏見じゃないか?

 いや、それともぼくは気付いていないだけで、本当はダサいのか?

 それというのも、どうやら普段着らしいあずささんの服装というのがやたらにおしゃれで、なんか女の子が読んでるファッション雑誌に出てきそうな感じだったからだ。

 その事を言うと、あずささんは何でもないことのように言った。

 

「ちょっと違うけど、似たようなものね。折り込みチラシやネット広告でモデルをしてたわ」

 

「へえ~、すごいんだねあずささん」

 

 なんちゃらコーデ、って名前があるらしい。

 ぼくにはワンピースとかジージャンとかしかわからないけどね。

 それでも、中学生とは思えないみたいに大人っぽい。

 

「すごくなんかないわ。このくらい普通よ、普通」

 

「またまた、謙遜しちゃって」

 

 あずささんは軽くうつむいて、長い髪を耳に掛けた。

 

「パパとママ、お店やってたの。若い女の子向けのブティックで、昔はけっこう流行ってたのよ」

 

「あ、もしかしてその店のモデル?」

 

「ええ。どんな服でも着たいだけ着られたわ。街でスカウトされて、ファッション誌の読者モデルも何度かやったわね。最新流行のお洒落を誰よりも早く着こなして、クラスいちの人気者だったわ。……男子からは。嬉しくも何ともなかったけどね。ガキは嫌いよ」

 

「で、女子からはアレか」

 

「ええ」

 

 段差があって、トランクを持ち上げるのが大変そうだから、軽く手を貸してやった。

 やっぱり重いんじゃないか。

 無理しちゃって。

 

「でも、大変だったろ。自営業なら、毎月の収入だってばらつきがあるだろうし。家に帰っても誰も居ない事も多かったんじゃないかな」

 

「……よくおわかりね。本当にそうなのよ」

 

「まあ、ぼくも似たようなものだね。叔父さんはブラック企業戦士だったから、帰りはいつも午前様さ。おかげで冷凍食品を電子レンジに入れるのだけは得意になった」

 

 あずささんは少しだけ笑ったように見えた。

 

「……あずさ、でいいわ。兄妹なんだから」

 

「そうかい? じゃあぼくも信也でいいよ」

 

 まあ、厳密にはいとこなんだけどね。

 ちなみにあずさは三月生まれで、ぼくは四月生まれだ。

 だからギリギリで同じ学年というわけ。

 

「ええ。よろしくね、兄さん」

 

「あれえ?」

 

「いいでしょ、別に。あたしだってきょうだいが欲しかったのよ」


 *


 地球から異世界に行くためには、一九九九年頃に太平洋上で発見された通称『ゲート』を通過しなければならない。

 小笠原諸島の近く、北緯二四度〇分、東経一四一度五分の海域に、幅一〇〇メートル、高さ五〇メートルくらいの時空の歪みがあって、そこを通って二つの世界を行き来できるというわけだ。

 最初に見つけたのは近くで操業中の漁師で、ノストラダムスの予言が当たったと大騒ぎになったらしい。

 以来数十年が経つけど、日本はお金がないので探検も開拓もあまり進んでいないみたいだ。

 とりあえず異世界についてわかっているのは、地球と同じ重力、大気、自転周期公転周期のどこかの惑星らしい、ってこと。

 狭くて小さな島国でしかなかった日本は、今や世界最大の領土を持つ大国になった。

 なにせ惑星が丸ごと一個追加だからね。

 もちろんいちゃもん付けてくる国はあるけど、日本の領海に入らなければ行き来できないから、あんまり強くは言えないらしい。

 どこかの国の潜水艦がいつもうろうろしていて、海上保安庁や自衛隊がひっきりなしにパトロールしている。

 このために空母買ったらしいぞ。格好いい!

 とりあえずニューギニア島と同じくらいの陸地があるらしいけど、他のことはほとんどわかっていない。

 飛行機の離発着はできないし、GPSももちろん使えない。

 船で行くにしても、小さな船で燃料が続く範囲しか調べられないんだ。

 大航海時代ばりの探検をするだけの力は、今の日本にはない。

 それでも放置すると主権を放棄したと見なされかねないので、国ぐるみで開拓民を送り込んでいる……というのが、政府とワールド・ゲート社が発行したパンフレットから推測できる全てだ。

 で、その開拓民を運ぶ船というのが、この貨客船『めいふらわあ丸』だ。

 ワールド・ゲート海運所属。排水量二〇〇〇トン。

 大きすぎる船はゲートを通れないからね。

 それはいいけど、なんと一九五〇年進水! とんでもない老朽船だ。

 無くなっても惜しくない船なんだろう。

 その希望の船は、赤さびた船体に次々と人や物を積み込んでいた。

 

「出港まではまだ時間があるな。先に腹ごしらえを済ませておこう」

 

 叔父さんに付いてぼくたちが入ったのは、大手のハンバーガーチェーンだった。

 フェリーターミナルに併設されているショッピングモール『ワールド・ゲート・モール』のテナントで、普段は目にもとめないものだ。

 ぼくはチーズバーガーのセットとコーラを頼んだ。

 どこにでもありそうな、当たり前の味。

 決して美味しいとは思わないけれど、たまに無性に食べたくなる。

 そんな味とも、当分お別れだ。

 

「……? 泣いてるの?」

 

「そんなわけないでしょ、バカにしないで!」

 

 強そうなことを言ってる割に、あずさはペーパーナプキンを一枚取ると目元を拭った。

 君枝さんも、どうやらもらい泣きをしたみたい。

 泣きたいなら泣けばいいのに。

 そっちのほうがよっぽどすっきりする。

 ふと気付くと、周りの客も似たような雰囲気だった。

 家族連れもいれば、哀愁を漂わせた渋いおじさんもいるし、床に置いたリュックサックからツルハシが飛び出たお兄さんまでいる。何かを掘るつもりだな。

 

「みんな希望を抱いているが、それと同じだけの不安もあるのだ。大切な何かを捨てたか、あるいは失ったものを取り戻したいと思っている」

 

 叔父さんの言うことも、何となくわかった。

 今はまだ、観光目的で異世界に行くことはできない。

 異世界行きの船に乗れるのは、住民とビジネス目的の人だけだ。

 そうこうしているうちに、乗船時間がきた。

 

「おっと、ごめんよ」

 

 ぼくは人混みで男の子とぶつかってしまった。

 ぼくと同年代のサワヤカイケメン様だ。

 見たこともないファッションブランドの紙袋が落ちたので、ぼくは拾ってやった。

 

「ありがとう。急いでいるから、失礼!」

 

 彼は大急ぎでどこかに走り去った。

 もしかしたら島の住人かな。

 買い物か何かで本土に戻っていたとか。

 

「格好いいわね」

 

 あずさがうっとりした目でイケメンの背中を見送る。

 面白くないな。

 タラップに足を掛ける瞬間、ぼくは思わず後ろを振り向いた。

 あずさが不安そうな顔をしてうつむいている。

 そうか、ぼくと同じ気持ちなんだ。

 あれこれと文句を言いつつも、ぼくはこの世界が気に入っていたらしい。

 この足を離せば、当面地球の土を踏むことはないだろう。

 名残を惜しむように重い足を、ぼくは桟橋から離した。

 出港の汽笛が鳴り響く。

 もやい綱がほどかれ、めいふらわあ丸は岸を離れた。

 とくに知り合いが見送りに来ているわけじゃないけれど、ぼくたちは甲板から見送りのみんなに手を振った。

 テープがちぎれ、岸壁に集まった人たちがどんどん小さくなっていく。

 さよなら、ふるさと。わがうるわしの日本列島よ。

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