第3話 人は見かけによらないもんだ
人生の転機というのはいつだって不意打ちだ。
昨日叔父さんが言ったことだけど、ぼくは何のことだか全くわかっていなかった。
考えてもみなよ、男二人で新天地の開拓なんて国が補助するわけがないんだ。
新資源を掘り当てて人生一発逆転してやるぜ、なんて山師を国は助けない。
そして新資源が何なのか誰も知らない。
未知の土地にありがちな与太話だ。
あるわけねえじゃん、大航海時代じゃあるまいし。
ぼくは叔父さんに、普段は絶対に行かないような洒落たレストランに連れて行かれた。
ううん、ちょっと話を盛ったな。
普段行かないどころか初めてだ。場違いにもほどがある。
これから仕事を辞めようっていうオッサンが行くような場所じゃないぞ。大丈夫か?
ドレスコードがあるらしくて、叔父さんだってスーツ姿だ。
どうでもいいけどスーツって、腹の肉が目立つよな。
ぼくは制服のままだ。フォーマルな服はこれだけだからな。
背が伸びるのも落ち着いてきたことだし、パリッとしたスーツも欲しいんだけど。
そこはほら、うちはお金が無いからね。
叔父さんブラック企業戦士だし。労基法守ってたら倒産らしい。倒産しろよ。
で、なんでこんな高級店に来ているかというと、叔父さんは来ればわかるとしか言わない。
ドアを開けると、上に付いているドアベルがカラン、と鳴った。
ドアベル? ドアベルだって? オシャンティだなほんとにもう。
ピシッとした服装のイケメンが深々と頭を下げる。
「いらっしゃいませ。笹原様ですね。お待ちしておりました」
お店の人がコートを脱がせてくれた。すげえサービスだな。
「こちらへどうぞ。ご案内いたします」
天井の灯りを見て、ぼくは目を丸くした。
キラキラしたクリスタルのシャンデリアだ。
んもう、バブル景気は叔父さんが幼稚園の時に終わったでしょ。
ぼくだってそのくらい歴史の授業で習ったんだからな。
うわあ、なんか緊張してきたぞ。
ぼくの家では外食と言えば牛丼屋かファミレスくらいだから、どうしてもこういうのは慣れないなあ。
「叔父さん、だからなんでこんな高級店に来たんだよ」
「ええい、今にわかるッ! さ、騒ぐな、みみみみっともないぞッ!」
どっちがだよ。
とにかく案内された席に行くと、上品なスーツ姿の女の人が一人。
ぼくと同年代の女の子が一人、横並びに座っていた。
いやちょっと待ってくれ。
着飾っていたから一瞬気がつかなかったけど、なんで桜木あずさがここにいるんだろう。
女の人は叔父さんを見ると、笑顔で手を振ってきた。
叔父さんも振り返す。
やっぱりあの二人に用があるのか。
女の人は桜木さんのお母さんかな? だとしたら若いな。
「あの、桜木さん?」
桜木あずささんは軽くため息をつくと、自分の正面にある椅子を指さした。
「掛けたら? 店員さんが困ってるわ」
イケメン店員が椅子を引く。
そうか、椅子を引かれるまで座れないんだ。
なんだこの店。いやまあ、店はどうでもいいけど。
テーブルの上には円錐型に畳まれたナプキンと、何組ものナイフ、フォークがある。
一組あればいいじゃんね? というかさ、箸ないのかな、箸。
「甥の信也です。信也、こちら
「あっ、ども」
よくわからないまま軽く頭を下げる。
何だろう。何だかすごく、ショッキングな予感がするぞ。
君枝さんは穏やかな笑みを浮かべた。
美人で優しそうな人だな。
「よろしくお願いしますね、信也さん。さ、あずさ。あなたもご挨拶して」
「挨拶なら学校でしたわ。クラスメイトだもの」
「あら、そうなの? もう、言ってくれればよかったのに」
言いづらいだろうなあ。告白されて振りました、ってのは。ぼくもこの場に居づらい。
親子でも、性格はまるで似ていないようだ。
あずささんは見るからに不機嫌そうにぼくを睨み付けてくる。
あっ、舌打ちした。聞こえたもんね。覚えておこう。
叔父さんがぼくの肩にそっと触れた。
なんだよ、気持ち悪いな。
「なあ信也。ワイな、こちらの君枝さんと結婚しようと思うんだ」
だろうなあ。ぼくは事実をありのままに受け止める。
「な、なんだってー?」
――なんて無理だろ急に! なんだそりゃ! いきなりにもほどがあるぞ!
ガラッ! 話は聞かせてもらったぞ! 叔父さんは結婚する!
ナ、ナンダッテー? それは本当かキバ○シ!
あれ? キ○ヤシって誰だっけ。
ああそうそう、叔父さんが大好きな昔の漫画の主人公だ。
とにかくぼくはそのくらい混乱していたんだ。
テーブルに掛けたときから、もしかしたらそういう可能性も微粒子レベルであるかもしれないとは思っていたけど、まさかのまさかだ。
ぼくはよほど驚いた顔をしていたらしい。
桜木さんがこれ見よがしにため息をついた。
「大声出さないでよ。恥ずかしいわ」
「あっ、ごめん。でもいきなりだったから」
「……だからあり得ないって言ったでしょ?」
「なるほど確かに。ごめんね、桜木さん。本当に知らなかったんだ」
まあ、厳密に言えばぼくは叔父さんの養子って訳じゃないし、たとえそうだったとしても法的な問題は無かった気がする。
でもまあ、うん。
君枝さんは小首を傾げた。
「何の話?」
「ううん、何でもないのよママ」
「ならいいけど」
「良くないわよ。せっかく今まで二人で上手くやってきたのに。いきなり再婚なんて言われたら誰だって驚くわ。……あなた、この事知らなかったの?」
「今知ったよ!」
君枝さんがあずささんの肩に手を置いた。
「でもね、あずさ。
「そりゃ、ママが選んだ人ならそうなんでしょうけど。昨日いきなり知らされた身にもなってよ。笹原……信也くんなんて、今知ったらしいじゃない」
ぼくをどう呼ぶか迷ってるんだな。ぼくもまるっきり同じだ。
「黙っていてごめんなさい、あずさ。でも、なかなか言いづらくて。その、子供の前だとどうしても、ねえ?」
「彼氏がいるくらいは知ってたわ。デートの時はいつもとお化粧変えてたでしょ」
ちなみにぼくは叔父さんに彼女が居るのは全く気付かなかった。
絶対に居るわけがないとすら思っていたんだ。
悪かったなあ。人は見かけによらないもんだ。
「それに……それにママ。ママは……パパのこと、もう忘れちゃったの?」
君枝さんはとても悲しそうな顔をした。
そうなんだよな。子供がいるということは、もちろん父親がいるはずなんだ。でも。
「パパのことを忘れるなんてことは絶対にないわ。あなたの父親なんだもの。でも……でもね。もう……亡くなったのよ」
「だからってねえ!」
「ま、待ってよ。周りに迷惑だよ」
ぼくがなだめようとすると、あずさはますます声を張り上げた。
「アンタに何がわかるのよ! 関係ないでしょ! これはウチの問題なの!」
「でもなあ」
確かにある意味ではそうなんだよな。
ぼくは親が居るという状態をよく知らない。
あずささんが知っているかどうかは知らないけど、シングルマザーの母さんが弟に幼い息子を強引に押しつけて、どこかに行ってしまったんだから。
「なにがでもなあよ! アンタだって思うでしょ! まだ三回忌も終わったばかりなのに、早すぎるって!」
「う~ん。三回忌を過ぎると早すぎるってこともないような」
「……なによ。なによなによなによ! あんたまで、そんなこと言うの?」
「でも。死人は無敵だもんなあ。君枝さん、まだ若いみたいだし」
あずささんの目元に、光るものが見えた。
それはだんだん大きくなって、やがて頬を伝ってこぼれ落ちた。
それでもあずささんは、ぼくから視線をそらさなかった。
「……わかってるわよ、そのくらい」
ああ、そうか。この人は、本当にお母さんのことを大事にしているんだな。
それに、お父さんの思い出も。
取り乱すのも仕方ないや。
「まあ、いまさらそれはいいわ。仕方がないもの。あたしが怒ってるのはそれだけじゃないの。前日まで黙っていたのが許せないのよ」
「ぼくだって、今聞いたばかりで驚いてるよ。正直、信じられない。その、君枝さんは美人だから、今にも怖いおじさんが出てきて、ワイの女に何しとんじゃこのダボが! ってならないか、ちょっと心配してる」
「なわけないじゃない!」
「うん、ぼくもそう思う。叔父さんはシャイだから、きっとぼくにも土壇場まで言えなかったんだろうな。でもそれは、きっとぼくたちに余計な心配をかけたくなかったからだと思うんだ」
「……」
「でも、ぼくと叔父さんは……やっぱり家族だ。ぼくのことを気にして、叔父さんに幸せを諦めろなんて……とてもじゃないけど言えないよ」
あずささんは長い髪を耳に掛けて軽くため息をついた。
髪、まっすぐでツヤツヤだなあ。
ぼくの髪はあっちを向いたりこっちを向いたり落ち着かないのに。
「……そうね。ママと茂さんが決めたことだもんね」
「だろ? それにだいいち、アラフォー独身メタボハゲ包茎素人童貞の叔父さんは、一生結婚なんて無理だと思ってた。それでも結婚してくれる人がいるなら、ぼくに反対する理由なんて無いんだ」
「保護者にそこまで言うなんて、信っじられないわ!」
あずささんは怒っていたわけじゃないみたいだ。
だってその後、腹を抱えて笑い出したんだもの。
*
要点を整理しよう。
ぼくの肉親は叔父さんだけ。
で、その叔父さんが結婚する。
で、相手にはぼくと同い年の子供がいる。
誕生日はぼくが先。
つまりぼくに妹が――厳密には従姉妹ができるってわけだ。
本人同士が決めたことだし、ぼくがどうこう言うつもりはない。
その後は何となく流れで、食べ方もよくわからないおフランス料理に舌鼓を打ったわけだ。
あずささんにはマナーがひどいって怒られたけど。
あんな店行ったことないんだから、仕方がないじゃんね。
そこから先の展開はあれよあれよという間だった。
叔父さんは数日前、すでに退職の手続きをしていた!
引き返せなくなってから言うなよな。
ぼくが反対したらどうするつもりだったんだ。
家財を処分し、社宅を引き払うのもまた大仕事だ。
なんだかんだで余計な物をけっこうため込んでいたんだなあ。
一つ、また一つと指定ゴミ袋に入れていく。
くそ、叔父さんの大事なエロゲーとアニメDVD、エロ漫画のコレクションを本気で処分する気か?
向こうは電気がないからプレイできないとか言ってたけど、それにしたって、せめて誰か友達に預かってもらうとか、できないのか?
でも、そんなことができるなら叔父さんはとっくにやっているんだ。
売るときに叔父さん、抜け殻みたいになってたもんな。
かわいそうに。
今に見てろ。ぼくが将来ビッグになったら、全部買い戻してやるからな! 今はしばしの別れだ。
ぼくは心の中で「また会おう」と言った。
冷蔵庫や洗濯機、テレビなんかの家電はもとより、洋服ダンスや椅子、テーブルなんかは社宅の備品だから持って行けない。
わずかな衣類や食器、お気に入りの本や電池で動く家電やゲーム、その他細々としたものを段ボールに梱包すると、ぼくらの財産は五つの段ボール箱と布団袋に収まった。
う~ん、ぼくたち案外ミニマリストだね。
荷物は急いで出荷しなければならない。
定期船は二週間に一度しかないから、タイミングを逃すと家財道具なしで生活しなければならないんだ。
早めに出せば出航まで港の倉庫で預かってもらえるし、向こうに着いたらぼくたちと一緒に新しい家に運べる。
そうそう、農地には中古住宅がオマケに付くんだって。
昔の完全なゼロからスタートした人の苦労を考えれば、ぼくたちはイージーモードだ。
役所での手続きや携帯の解約なんかを済ませる。
なんと、向こうでは携帯電話が使えないんだ。
元々友達は居なかったから、別に困りはしない。
準備ヨシ! さあ、レッツ異世界転生!
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