春のふたり③

 翌朝、仕事に向かうべく寝ぼけまなこを擦りながら起床したアキは、洗面台で顔を洗ったところでふと考えた。


 昨日、ユースがセットしてくれた髪型はアキにとってもかなり好ましいものだった。普段と違う外見というのは新たな自分を発見したようで新鮮で、純粋に気分がよかったのだ。たまには眠い朝に寝ぐせを直す以上のことをやってもいいかと思えるほどに。


 寝坊はしていないので時間には余裕がある。さっそくユースにセットの仕方を教えてもらおうと考え、アキは洗面所を出た。


 しかし、アキの頼みを聞いたユースは難色を示した。


「気に入ってもらえたのは嬉しいんですけど……今日はちょっと、やめたほうがいいかもしれません。ほら、仕事ですし」

「仕事? 別に、構わないと思うけど」


 辺境魔術師団には髪型や服装に関する規定はなく、各々好きな格好で働いている。


「ユースだってたまに髪を弄って仕事に行ってるし」

「いや、そうなんですけど……」


 どうも、この日のユースは歯切れが悪い。妙な態度を怪しんだアキがユースをじっと見つめていると、ユースは気まずそうに視線を泳がせたのち、観念した様子で口を開いた。


「……仕事のときは、ずっと先生のそばにいられないじゃないですか」

「は? そりゃ、一人前になったんだから、俺と別行動の機会が増えたのは当たり前だろ」

「だから昨日みたいに、先生は俺の恋人なんだって、隣で牽制できないんですよ」


 思いがけない発言が降ってきて、アキは目を瞬いた。


「先生が人目を引くのはいつものことですけど……髪を弄ったせいか、昨日は特にすごかったじゃないですか」

「……そうだったのか? 全然気づかなかった」

「そうですよ。だから俺、必死で」

「……もしかして、昨日やたらとキスしたり、手を離さなかったりしたのって」

「この人は俺の恋人だからっていう、周囲への主張です」


 一瞬遅れて、アキの顔に熱が集まる。あの行動が独占欲の発露と思えばユースを直視できなくなり、目をそらして「いや、なんだそれ……」ともごもご言っていたら、ユースにぎゅっと抱き締められた。


「あの髪型は似合ってるし、可愛いから俺も大好きだけど……俺がずっと隣で牽制できるときだけにして」


 余裕を失った声が耳をくすぐる。胸の中までこそばゆいものが広がるのを感じながら、アキはやっとのことで声を絞り出す。


「……馬鹿だな。団の連中が今さら俺をそういう目で見るわけないだろ」

「それでも、嫌なものは嫌だから」


 ここまで言われては断れるはずもない。アキは承諾して、髪型を変えるのはユースと常に一緒にいられるときだけと約束する。そこでユースはようやく安心したらしく、アキを腕の中から解放した。


「ところで先生、あんなにじろじろ見られてたのに、気にならなかったんですね」


 アキは自分に注がれる視線には敏感なたちだ。それでも昨日はまったくといっていいほど気にならなかった。その理由がぱっと思い浮かび、アキは再び頬が染まるのを感じた。


「……多分、お前以外、どうでもよかったんだよ」


 隣を歩く恋人以外、アキの視界に入っていなかった。


 寝ぐせを直しに洗面所に戻ろうとしたところで、背後から強く抱き締められた。アキはしがみついてくるユースを引き剥がそうとするが、ユースの腕は離れない。


「こら! 仕事! お前に構ってる暇ないんだよ!」

「……少しだけ」

「少しじゃ済まないだろ!」


 時間には余裕があったはずなのに、これでは仕事に間に合うかどうか危ぶまれる。そんな懸念を抱くアキを嘲笑うように、壁の時計の針は刻一刻と始業時間に近づいていく。



 結論から言うと、アキとユースはなんとか仕事には遅刻しないで済んだ。しかし遅刻常習犯のヴェルトルよりも遅い、実にぎりぎりの到着となり、にやにやと笑うヴェルトルにからかわれたので、アキはもう二度と出勤前にユースを刺激しないようにしようと誓ったのだった。

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