春のふたり②

「どうですか?」


 ユースに問いかけられたアキは、鏡に映った自分の姿をしばし眺めた。


 普段は下に流すだけだった真っ直ぐな黒髪は、今では毛束に軽く動きがつけられている。無造作にも感じられる形はどこか軽やかで好ましい。印象もずいぶんと変わった気がして、見慣れた自分の顔だというのに新鮮さがあった。


「すごいな、お前。こんなことできるのか」

「気に入ってもらえてよかったです」


 ユースは笑顔で鏡を覗きながら、少し跳ねさせたアキの毛先をつまみ、整える。


「格好良くて可愛い……すれ違った人、みんな先生に惚れちゃいますね」

「んなわけがあるか。大袈裟なやつだな」


 ユースはとにかくアキのこととなると大仰だ。アキはユースを軽くあしらうと、礼を言って出かける準備をする。


 家を出たアキとユースは、湖畔の町へと足を運んだ。


 澄んだ水を湛えた湖と、その周囲に広がる豊かな森の景観が美しいこの町は、都会の喧噪を忘れられる観光地として人気が高い。木々の中に佇むようにして瀟洒な外観のレストランやカフェが並び、湖を取り囲む形で歩道が整備されている。


 うららかな春の陽気が満ちたこの日、湖面は穏やかに光を反射していた。水の匂いが溶けた風と、森の清浄な空気が混ざり合って、心地よさに自然と呼吸が深くなる。


「ふふ、先生、楽しそうな顔してる」


 手を繋いで歩道を歩いていたところでユースに顔を覗き込まれ、アキはさっと顔が熱くなるのを感じた。知らず知らずのうちに胸の内が表情に表れていたのだろうか。


 照れくささで顔を背けかけたとき、頬に手が添えられ、唇が重ねられた。一瞬だけ触れ合わせた後、ユースはアキの額に自分の額を寄せる。


「いいじゃないですか。デートなんだから、楽しそうな顔、見たい」

「……ユースは?」

「ん?」

「楽しい?」

「見ればわかるでしょ」


 ユースは微笑んで、もう一度アキにキスをした。


 レストランで昼食をとったのち、町を散策する。散歩中と思しき犬もたくさんいて、アキの実家にいる犬と同じ犬種の、金色の毛並みが綺麗な大型犬ともすれ違った。愛犬を思い出してじっと眺めていたら、なぜだかユースから嫉妬の気配が色濃く漂ってきたので、難儀な男だと呆れながらも笑い、頭を撫でてやった。


「あ、あそこ、ちょっと見ていいか?」


 軒先に皿を並べた店を発見したアキは、繋いでいたユースの手を引いて店に歩み寄った。

 戸が開け放たれた店先からは、食器類が置かれた棚が並ぶ店内が見渡せた。陶器製や木製の皿やカップが数多く陳列されている。色合いも風合いもさまざまで、素材そのものの素朴さがありながらもどこか洒落た品々だ。


 店先に立ったアキは、静かな湖面を思わせる深い青の平皿を手に取った。


「お皿買うんですか? 重くない?」

「持ってくれるやつがいるって知ってる」

「先生……堂々と甘えるようになって……」


 感激しているユースを店の前に残し、アキはさっさと会計を済ませると、皿が入った紙袋をユースに差し出した。半ば冗談のつもりだったのだが、ユースが嬉々として受け取るものだから、アキは少しばかり心配になる。


「お前……悪人に利用されないように気をつけろよ……」

「心配いりませんよ。俺がこんなにいい子なのは、先生に対してだけですから」


 ユースはなぜか得意げに笑い、アキにキスを落とす。


 周囲には恋人同士と思われる観光客も多く、往来でキスをしていようが目立つわけではない。加えてユースは外出している最中も隙あらばアキにキスをする男だ。それにしたってこの日は回数が多い気がして、頬を染めたアキはユースの顔を押しのける。


「何回するんだ。帰ってからにしろ」

「多いですか? いつもと変わらないと思いますけど」


 平然と言うユースは紙袋を下げていないほうの手でアキの手を取り、歩き出す。今になって思えば、ここまでずっと手を繋いでいるのも珍しい。何か理由があるのかとアキは怪しむが、ユースは普段どおりに微笑んだだけだった。


 だが、アキはユースの行動の理由を、翌日になってから知ることになる。

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