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ジンはマンションを出た。
傘を差して道に出る。今日はサンダルではなく防水加工がしてあるブーツだ。
昨夜も訪れた料理屋街を目指して道を歩く。
昼になり、明るくなったダスト・エリアは建物の姿がはっきり見えるようになったこと以外昨夜と変わりはない。
相変らず汚くて、臭くて、雨だからまだ外に出ている人は少ないが、どこかから喧嘩をしているような怒鳴り声や大音量の音楽が聞こえてくる。
ダスト・エリアを抜け、長い坂を上ると料理街に着いた。
ここはダスト・エリアよりはまだ治安が良く、昼時とあって多くの人で賑わっていた。
食材を買って作ってもいいのだが、それだと時間が掛かる。お腹を空かせているロイのためにジンは人々の間を縫うように進んで、料理街の真ん中あたりにある店を訪れた。
入り口の上に掛けられた大きな看板は、年季が入っていて色がくすんでいる。
傘を畳み、ドアを開けて中に入った。
ここはテイクアウト専門で、メインの料理の種類だけでなくスープやサラダ、デザートなどサイドメニューの種類も多いので気に入っている店の一つだ。
壁際に並べられたイスは満員で、他に三人の客が立って待っている。
「次の人どうぞ」
周りを見るが、全員提供待ちなのだろう。ジンはレジに進んだ。
「よぉ、ジン」
レジを担当してくれたのは、背の高い四十代の男性店員だ。
「こんにちは。元気ですか?」
「もちろん。今日は何にする?」
目の前に置かれているメニューに目を通す。
「コンソメスープと、チキンサラダと、エッグサンドイッチを二つずつお願いします」
「おっ、珍しい。もしかしてこれか?」
男性店員はニヤリとしながら指を立てた。この辺りで彼女を示すハンドサインだ。
「違いますよ。友達が来てるんです」
それっぽい理由を言うと、男性店員はニヤニヤしながら「はいはい」と頷いた。なんだその顔は。
お金を払い、番号札を貰う。さっき呼ばれた人から数えるとしばらく待ちそうだ。
イスは変わらず満員だったので、ジンは立ったままできるだけ端の方に寄った。
待っている間、周りに耳を澄ます。ほとんどの人は無言で待つか新聞や本を読んでいたが、ジンの真横のイスに座っている三十代と二十代のスーツを着た男性二人組が話していた。
「そういや、昨日の深夜研究所の方で何かあったらしいな」
三十代が、二十代に話しかける。
「ですよね。俺も車が何台も出てくるのを見ましたよ。何があったんでしょうね」
「研究している『異形』が逃げたりして」
二十代がブッと吹き出した。
「異形が逃げていたらこの町とっくに無くなっていますし、そもそも生きた異形なんて研究してる人たちですら滅多に見れないんでしょう」
その後も二人は話していたが、ジンは頭の中で考えた。
第六ターブシティは都市自体が緩やかで巨大な坂の上にあるのだが、その坂の上、街の一番北には研究所がある。
そこではかつてこの世界を支配していたとされる「異形」と呼ばれる人ならざる、簡単に言ってしまえば化物の研究をしている。
その研究所で昨夜何かしら事件が起きたらしいことは、新聞やニュースでは報道されていないが、ジンも人づてに聞いていた。
その詳しい内容までは分からなかったが、事件が起きたらしい時間のすぐ後にジンはロイを見つけた。
あの服装といい、事件のタイミングといい、偶然ではないだろう。
おそらくロイはその研究所から逃げて来たのだ。何故研究所にいて、何故逃げたのか。それは想像することしかできないが。
「五十五番でお待ちのお客様」
貰った番号札は五十五番だ。再びレジに向かい、男性店員から番号札と入れ替えに袋を貰う。
「はい。コンソメスープとチキンサラダとエッグサンドイッチを二つずつね。いつもありがとう」
「こちらこそありがとうございます」
左手に袋を持ち、右手に傘を持って店を出た。
スープが冷めないよう足早に家に帰った。
「戻った」
部屋に入ると、ロイはベッドの上で膝を抱え、足をきっちりそろえて座っていた。
「おかえり」
ロイの淡い青色をした、すがすがしい朝の空を思わせる目がジンを見る。
彼の顔が犬っぽいのもあって、今の表情はまるで主人の帰りを待っていた犬のようだ。きっとしっぽが生えていたならブンブン振っていただろう。
「ただいま。遅くなったが昼ご飯にしよう。こっちにおいで」
手招きすると、ロイはベッドを下りてローテーブルまで来た。座るよう促すと、ソファの上にちょこんと座った。
ジンは袋からサンドイッチとサラダとスープを出してロイの前に置いた。
「遠慮せず食べろ」
「ありがとう」
ロイはいそいそとサンドイッチの包み紙を外すと、すんすんと匂いを嗅いで、ガブリと齧りついた。
もぐもぐと何度か噛むと、目がぱあっと見開かれた。
「美味しいか?」
ロイは嬉しそうに頷き、またバクバクと齧った。
余程お腹が空いていたのだろう。ロイはサンドイッチもチキンサラダもコンソメスープもペロリとたいらげた。
ただ、食べる前には必ず匂いを嗅いだ。そして大きな口で豪快に食べる様は本当に犬っぽい。
でも喜んでくれるのは良い気分だ。買ってよかったと思う。
食べ終えると、
「傷を見るから、足を上げてくれ」
ロイは素直に足を浮かせた。
右足の包帯を取ると、足裏の切り傷はもうほとんど治っていた。他の人間より明らかに回復が早い。
やっぱりそうか。
もしやと考えていたことは当たりかもしれない。しかし、ロイには聞かずに黙っていた。気にはなるのだが、本人が話したがらないことを無理矢理聞くのもよくない。
「もう大丈夫そうだな」
ジンはロイの左足の包帯も取った。左足の傷も同じように治っていた。
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