#8

 曜変天目茶碗が宮様の元へ旅立ったのと入れ替わるように、一人娘のゆみが里帰りしてきた。

 家族への土産を手一杯持ち帰ってきて、かぐのおやつまであるのが微笑ましい。

「へーえ、曜変天目茶碗ねえ。私も見てみたかったな。青色ってことは、そこの紫陽花みたいな色かしら」

「え?」

 庭を振り返ると、いつの間にか紫陽花が咲いている。昨年確かに赤い花を咲かせていたはずが、今年は青く染まっている。

 首を傾げていると、「まあ移り気な花だからねえ」と父親に似ていい加減な感想だ。

 昨年は可憐な赤い花だったのに男達に「六位小礼」など無礼をいわれたと言うと、「今年は三位大仁に昇格したみたいで良かったじゃない」とつれない。「まあ、私は紫陽花は錆び色こそがいいと思うけどね。侘び寂びのサビ」なんて一端の口を叩く。この子ときたら。

 しとしと濡れる紫陽花を眺めていると、まあ青もよいかと思う。先の曜変天目茶碗の件があったせいかもしれない。曇天の向こうの青空、果ては宇宙を想起させる青。

「ところでなんで紫陽花を柵で囲ってるの」

 昨年はなかった柵ができたせいで、花が咲いているのに気付くのが遅れたのだ。

「お父さんがね、紫陽花には毒性があるとどこぞで聞きかじってきて、かぐが誤って食べないようにと囲ってしまったのよ」

 定位置の雪隠を囲われて、かぐはしばらくあちこちで粗相をした。畑で用を足すたびに夫に叱られていたけれど、最近はそうやかましくも言わない。畑仕事にも飽きてしまったのか、いったん庭いっぱいに拡張していた家庭菜園は、また庭の隅の小ぢんまりした一画に納まっている。

「父さんも齢だからね。腰にくるんでしょう」

 もっとゆっくりしていけばいいのに、娘は二日間の滞在で都へ帰っていった。留守は近所に任せてあるものの、仕事が忙しいらしい。滞在中に料理の一つでも教えてやろうと思ったのに、結局甘えてごろごろしていただけだ。

「またご飯食べにくるからね」なんて。まったくのん気なものだ。もうひとりの娘のかぐも大口で欠伸をして夫の隣ですやすや眠っている。

 ゆみが置いていった土産の包みを開く。

 楽焼ブームも落ち着いた瓦屋で焼き物を作る体験をしてきたらしい。黒楽と赤楽の夫婦茶碗。手作りした茶碗をわざわざこんな山奥まで持ってきてくれて、ご苦労なことだ。

 少し小振りの赤楽茶碗を手に取る。

 曜変天目が最上だと思っていたけれど、いえ、この楽茶碗も悪くない。私の所感も移り気なものだ。でこぼこした手触りはあの子の指の形かしら。私よりも少し大きな手をしているのね。

 あの曜変天目はうつくしいと感じたけれど、この楽焼にはうつくしさを感じる。「うつくしさ」とは思い出によって作られるのかもしれない。


 結局、庭の紫陽花が青い花を咲かせたのはその年だけだった。翌年以降、庭の紫陽花は紫の花を咲かせ続けた。

「大徳なり」

 そっと呟いて、長雨の中まりは本の頁を捲った。





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