#7

 季節が一巡りして、入梅の頃にようやく陶工は姿を見せた。

 小さな包みを抱えて、面窶れしているもののすっきりとした表情をしている。

「ようやく完成した」

 そう言って、広げた包みの中からは、これまで見たこともないような美しい茶碗が現れた。

「形は天目ですが……、このような不思議な風合いはこれまで見たことがありません」

 客のある時にはいつも一歩退がって控えているまりも、思わず座敷に上がってその茶碗を覗き込む。芸術事に疎い夫さえも瞳を輝かせて食い入るように茶碗を見つめる。

 広縁から射す光の角度によって、その茶碗は漆黒のようにも、深い紫紺色のようにも見える。また、茶碗の中にはふつふつと黄金色の小さな星々が浮かんでいる。

「――まるで宇宙だ――」

 率直な夫の意見に、まりも素直に同意する。

「このように美しい器は見たことがありません」

「俺もだよ」

 陶工がはにかむように頷く。

「いや、流石その道一筋の職人だ。やはり道を極める者はすごいな」

「そうだろう。……と言いたいところだが、この茶碗が完成したのはお前さん達のお蔭だ。だから礼に見せに来たのだ」

 そう言われても、夫もまりもピンとこない。

「あ。塩釉のことですか」

「ああ、それもあるがそれだけじゃない」

 まず、この焼きに最も映えるのが天目の形だが、それを提案したのは奥方だ。

 そして、この星のような耀きは土に蛍石が混じったせいだろう。その犬のお蔭だ。

 それから、娘さんの送ってくれた塩もそうだが、塩釉だけではこのような美しさは生まれなかった。塩釉の製法もろくに知らなかったしな。お前のお蔭だ、友よ。

 彼はにやりと夫に笑い掛ける。夫はやはり首を傾げたままだが。

 秋頃お前さんが遊びに来た日、長話になって窯に火を掛けたまま長時間放置してしまった。お前さんが帰ったあと、慌てて覗いてみたら未だ釉薬もつけぬのに器は碧く濡れておった。古の「自然釉」という現象だよ。窯の中の薪の灰が、長時間の高温状態で自然と釉薬状になったのだ。少し翠掛かったビードロ色だ。

「翠? これは深い紫紺色をしているが」

「そこさ」

 自然釉の状態でも十分に美しい物ができたと思った。けれど、炉内に溶けた自然釉が付着して、窯が使い物にならなくなっちまった。

 それで、いったん出来た器を隣の窯に移して、炉内の清掃をした。何日も掛けて磨いたけれど、なかなか落ちないものだな。

 ようやく一息ついた時、習慣てのは恐ろしいもんだ。無意識に、器を移していた隣の窯に火を付けちまった。しかも、それに気付いたのは夕餉も終えて晩酌を始めた頃だ。時すでに遅し。

 せっかく完成した作品を台無しにしちまった。それで、ええいもうどうにでもなれと、窯に塩をぶち込んだんだ。ほれ、遊びに来た日に酔ったお前さんが暴れて窯に開けた穴からだよ。

「まっ、大事な窯を壊したんですか?! なんてことを!」

「んー? そうだったかなあ」

 大分酔っていたのだろう、夫は本当に覚えていないようだ。「すまんなあ」と頭を下げると、「いいんだ、いいんだ」と陶工が鷹揚に答える。

「あの穴がなければ、塩釉に挑戦できなかったからな」

 塩釉は器を並べた高温状態の窯にあとから塩を投入する必要がある。

「海のものとも山のものとも知れぬ技法のために新しい窯を作る余裕は俺にはなかったからな」

 貰った塩を全部窯に突っ込んで、そのまま寝入ってしまった。

 明日には廃業だ。

 そう思いながら朝になって窯を開けた。どろどろになった器を一つずつ窯から出して足元へ投げ捨てた。そうして最後の一枚に手を伸ばした時に、出てきたのがさ。

 陶工は満面の笑みを浮かべた。

「お前さん方家族のお蔭だ。きっとどれ一つ欠けたってそれは完成しなかったろう。まさに四天王奉鉢だよ」

「四天王奉鉢」とは、釈迦の成道に際して四天王が各々金銀七宝の器を供したが、釈迦は秘法によりその四つの器を自らに相応しい一つの石鉢に変えたという伝説だ。

「四天王だなんて大袈裟な」

 夫婦が恐縮している横で、かぐだけが誇らしげにしっぽを振っている。

「この美しい器は、人の手で作られた正円錐型の中に、自然の宇宙を抱いています。これならば宗匠もお気に入るでしょう」

「これからは楽茶碗に代わって、商売繁盛だな」

「うむ。……といいたいところだが、なかなかそうもいかん。これは偶然の産物だからな」

「とはいえ、この時期まで取り掛かっていたということは、その秘法を解明したのだろう」

「まあな。粘土に混じる石の割合や、焼成温度や時間、窯内の配置など研究したさ。窯変によるところも大きいから難しい。結果、この茶碗が大量生産できる代物ではないと分かった」

 確かに、毎度自然釉によって窯が駄目になっていてはどうしようもない。また、先の例から、毎回上手く成功するものでもないのかもしれない。

「けど、これだけ美しければ高値が付くだろう」

「そうだな。希少価値があるからな」

 そう言った時、陶工は先程までの純粋な喜びを得た芸術家然とした顔とは別の、市井に生きる商売人のような表情を見せた。

 夫が秘法についてしつこく訊ねても、それ以上答えてくれる気配もない。

 彼には子も弟子もいない。その秘法を墓場まで持っていくつもりなのだろうか。

 まりは男達に隠れてそっと歎息した。人の営みにおいては、次へ伝えていくことも大事だというのに。

 なんて思ったものの、すぐに考え直す。娘の顔が浮かんだからだ。娘は実家にいた時分から、料理も裁縫もろくにしなかったから、家の味さえ教えないままだ。一度嫁いだ際に味噌壺を持たせたが、すぐに腐らせてしまったらしい。今は都でひとり、代筆を生業にしている。まりも夫も字を書くのは得手ではないというのに。

 この世に生み出しさえすれば、それで務めは終えたものなのかもしれない。

 もしも後の世に母の味が恋しくなれば、その舌が覚えているでしょう。時間は掛かるかも知れぬが、案外器用な子だから上手く再現するだろう。

 とはいえ、このような美しい器の製法が失われるのはやはり忍びない。彼の考えが変わることを祈るばかりだが、他人の人生に口出しすることこそ余計なお世話様だ。

「それでは、この茶碗は宗匠へ譲ることになるのか?」

「いや。楽茶碗の遺恨もあるからな。この第一号は、宮様へ献上することにした」

 思わず飛び込んできた懐かしい名前に、まりの耳が反応する。男達には気付かれなかったが、かぐだけは不思議そうにまりを見上げた。そっとその柔らかい毛並みを撫でる。

「宮様に献上するに当たり茶碗に銘を付けたいのだが、奥方、何か良い名前はないだろうか」

 陶工がまりに尋ねる。

「なぜ妻なのだ。親友のおれに訊け」

「お前はセンスがないからなあ。奥方は読書家だし、良い名を付けてくれそうだ。その犬を名付けたのも奥方だろう?」

 まりが悩む隣で、男どもがやいのやいのと騒いでいる。

 宮様に奉げる茶碗、美しい名を。

「――曜変天目茶碗――」

 星の耀きのように不変で、星の巡りのように変わり続ける。そのような世界の営みこそが「うつくしきもの」である。

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