#6
紫陽花の季節はじきに終わり、夫はまめまめしく枝の剪定をした。しっかり剪定しておかねば、翌年に大きくなり過ぎて見上げねばならぬ高さに花がついたりと不恰好になるらしい。そんなことは今まで読んだ本のどこにも書いていない。夫は植栽を業とする知己に教わったそうだが、伝承される人間の知恵とは偉いものだと感心する。
秋には、家の裏に瓢箪が鈴なりに生った。まったくいつの間に植えたのだか。呆れるまりをよそに、夫は誇らしげだ。
「けれど、こんなにたくさんどうするのです」
「都にでも売りに行こうかね」
ついでに先の友人の陶工のところへも顔を出すと言って、夫は出掛けていった。
確かに彼は男やもめの独居だから、様子を見に行くのもよいかもしれない。瓢箪に託けて都へ遊びに出るのは如何なものかと思ったが、まりは了承した。
二、三日で戻るといった言葉通り、夫は三日目に帰宅した。まったく真面目なのだから。せっかく街に出たのだからもう少しゆっくりしてきてもいいのに。と、それはそれで妻としては複雑な心境だ。土産に風呂敷いっぱいの甘味を持って帰ってこられては、文句も言えぬ。無愛想な妻に代わり、愛犬が三日ぶりの再会に全身で喜びを表現する。
「茶碗作りは上手くいってらっしゃいましたか?」
「うーん、なかなか難しいようだ」
夫によると、うちの山で採った土でなかなか面白い風合いのものができたらしい。ただ、求める境地に至るにはまだ何か足りないらしい。
「芸術というのは分からんもんだな。酒を酌み交わしながら長々と説明されたが、おれにはてんでピンとこなかった」
どのような芸術談義がされたのか興味があったが、夫は本当に何も覚えていないらしい。
「ただ、街では相変わらず楽茶碗が流行っていたよ。そのせいで、材料なども楽焼にばかり流れていき、今あいつのところでは釉薬さえ十分に手に入らないらしい」
このままだと、至高の一品が完成する前に廃業だと嘆いておった。と、夫は友人に同情を寄せる。
「まあ。ゆみからの手紙にも都では楽茶碗が流行っていると書いてあったわ。茶の湯に縁のないあの子でさえそう言うのだから、余程の
先日、都で暮らす一人娘のゆみから手紙が届いたところだ。山では手に入らぬ読本や日用品とともに添えられた手紙には、街の暮らしの近況が綴られていた。
「せっかく街へ出たのなら、そのままゆみの所も訪ねればよろしかったのに」
「まあ、あれはそのうちここへ顔を出しにも来よう。それよりも、こんな山中で女子供だけで長々放っておくわけにはいかぬだろう」
夫の台詞に、まりとかぐは顔を見合わせる。この老妻が「女」で、小さな犬が「子供」らしい。
「友の手助けをしてやりたいが、おれにしてやれることなど何もないからなあ」
心底申し訳なさそうに夫が嘆息する。義理堅い人なのだ。
「あ。あれが使えるかもしれません」
「え?」
まりは、先日娘から届いた荷を解いていく。その中に、あった。
「塩?」
夫が頓狂な声を上げる。
「ええ。山の中では漬物に使う塩も手に入らぬとぼやいていたところ、どうしたものか大量に送ってくれたのですよ」
ずた袋いっぱいの塩を取り出す。
「外つ国では、塩を釉薬の代わりに使う技法があるそうです。ええと、確か……、ほらここに」
胴長短足のかぐが外国生まれの犬ではないかと知った時に、取り寄せた書物だ。思った情報は得られず、行李の奥底に捨て置いていたのだが、何でも役に立つものだ。
せっかく娘から届いたものだけれど、飛脚に頼み、塩と書物とを陶工の元へ早速送った。これで上手くいけばいいけれど。
そう簡単にはいかぬと知りつつも、折り返し陶工からの連絡のないことにやきもきした。
友を案じて落ち着かぬ夫に、便りがないのはまだ廃業していないという良い知らせであると、まりは何度も宥めた。
そうこうする間に月日は流れていく。
冬空に満天の星を眺めては、こんなに寒い夜に奥方もおらず独りでは寂しかろうといらぬ心配をしてみたりした。
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