#3
「いずれにせよ、俺は死ぬまで茶碗を作り続けるだけだ」
酒に少し顔を赤らめた陶工が言う。
「嫁は取らんのか」
「今更。独りの方が寝食惜しまず仕事に専念できる」
この人は先年奥方を亡くしてから独り身だ。夫からは随分な愛妻家だと聞かされていた。子のない夫婦だが、睦まじく二人で支え合って暮らしていたと。だから、口では仕事に専念するためだと言っているが、そのじつ亡き奥方への愛を貫いているのかもしれぬ。
「そうか。おれも妻が死んだら、あとは独り身だろうなあ」
夫が言う。
のん気な夫が一人で生きていけるのかはなはだ疑問だが、まあうちは娘が一人いるし何とでもなろう。
「もう多くは望まぬから、ただ美しい茶碗を作りたいものだ」
しみじみ杯を傾ける。子のない彼にとっては、生み出した茶碗こそが自ら生きた証なのかもしれない。
「どんなものを作るのだ?」
「そうさなあ……、確かに必要以上に派手な装飾は下品に感じられることもあるが、せっかく人の手により生み出されるならば、俺はやはりその形も色も工夫を凝らして作ってやりたい」
自然の中に美しさを見出すのも分かるが、人が作ったものは自然には敵わない。ならば、別の
彼は、宗匠や楽茶碗とはまた違った美的感覚を持っているらしい。はっきりその自覚がある職人にまりは好感を持った。
「形、色、塗り、土、焼成……。たかが茶碗と思うかも知れぬが、なかなか深いものだよ」
「さすれば、お前さんはどのような茶碗が美しいと考えるのか」
夫が陶工に真正面から尋ねる。それが明確であるのなら苦労はないのだが。
「うーん。……奥方はどう思われる」
「えっ」
黙って聞いていたところ、急に水を向けられてまりの声はひっくり返る。
「え、えーと」
まりの脳裏には一つの茶碗が浮かんでいた。
「天目……」
浮かんだままにぽろりと口にする。
「なるほど天目茶碗か。確かにあれは美しい形をしておるな」
「はい。あれは本当に美しうございます」
元は中国の福建省天目山で作られた茶碗だが、昨今では均整の取れたつるりと美しいすり鉢型で口元がきゅっとすぼまった形状を「天目茶碗」と呼んでいる。
首を傾げる夫に、陶工が酒に濡らした指先で盆に絵を描き、天目茶碗の形状を説明する。なかなか技術の要する形で、完成した物は宮中や大名・茶人が購入し、庶民が目にする機会はまずない。
「天目茶碗? そんな高価なものお前どこで目にしたのだ」
夫の問いにしまったと思ったものの、「本で見たのです」と無難に答える。
「しかし、その天目茶碗とやらであれば、宗匠の目に留まるものなのか」
「いや、天目自体は既にあるものだし、何か工夫がなければいけぬだろうな。形か彩色か……。だが、手を加える程に宗匠の求める自然の侘びからは遠ざかる。難しいものだ」
「なるほど。美は自然の中にありか。さあ、山へ遊びに参ろう」
夫がぽんと膝を打つ。
雨がやんだと外に出て行く。まるで子供だ。呆れるまりと反対に、かぐはしっぽを振って夫にくっついて行く。
陶工も然程乗り気ではなさそうだが、「いつもと違う土が採れるかもしれんぞ」という夫の言葉に乗せられて重い腰を上げる。
「お酒を飲まれてますし、あまり遠くまで行かないでくださいね」というまりの忠告も聞いているのだかいないのだか。いそいそ出発して行った。
「おーい」
すぐに家の外から夫が呼ぶ。なんだなんだ虻にでも刺されたかと、まりが草履を履いて外に出て行くと、夫も陶工も空を見上げている。
虹が出ている。
「あのような七色の器ができれば美しいだろうなあ」
陶工は眩しそうに目を細めた。
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