#2

「茶の湯? 陶工なぞ茶で潤いこそすれ、逆とは如何なことか?」

「そうさ。茶通人によって、良い器は高値で売れるようになった。より良いものを作ろうと、お蔭で腕も上がったさ」

「だろう?」

 彼の作った茶碗はうちにもあるが、普段使いの碗ながら端整な形に、丁寧に釉薬が掛けられた美しい品だ。茶通人のために手に縒りを掛けた一品ならば尚更だろう。

「楽がいいんだと」

 彼が吐き出すように言った。

「え?」

「今、街では楽焼が大流行なのさ。宗匠が瓦屋に作らせた茶碗だ」

 そう言って彼は畳の上にごろんと茶碗を差し出した。

「へえ、これが楽茶碗か」

 夫が茶碗を手に取ってまじまじと眺める。随分無骨な茶碗だ。ごつごつした分厚い手触り、彩色もない黒一色。

「まあ丈夫そうだな」

「そうでもない」

 どのような感想が出るのか客人は反応を窺うも、夫からそれ以上の感想は出ない。持て余した器を、広縁から興味深そうに視線を送るまりに渡してくれる。

「……軽いですね。手に馴染む感じ」

「うむ」

「ずいぶん素朴な作りですね。あまり手を掛けていないみたい」

 楽茶碗の表面はまるで陶工の手の形が残っているのではないかと思われるくらいにでこぼこしている。

「ああ。それが良いんだと」

 戻ってきた楽茶碗を受取った客人が、掌の上で軽々弄ぶ。楽茶碗はろくろを使わず手捏ねで成型するらしい、と不満げな表情。確かに、均整の取れたつるりと美しい茶碗を作っている彼には納得いかぬのかもしれない。

「何も楽焼を否定するわけではない」

 宗匠のいう「侘び」を楽茶碗に感じるというのも理解できる、と彼は吐き出すように言った。まりも品評は口に出さなかったものの、確かに楽茶碗に味わいを感じた。長く持てば持つほど愛着が深まるような焼物だ。

「美的感覚の違いさ。けど、連中ときたら、信念ってものがない」

「連中?」

「巷間の人間達だよ。これまでは形の整った美しい絵柄の茶碗を求めていたくせに、楽茶碗が流行りだすと猫も杓子も楽焼だ。自らの頭で考えてねえんだ」

「美とは頭で考えるものではなく、心で感じるものだと思います」

 おや、と客人が顔を向ける。「すみません、何でもありません」まりは赤くなった顔を背けた。いらぬ口を挟んでしまった。

 しかし、客人はとくに気にするでもなく続ける。

「どっちにせよさ。街の連中は皆ミーハーなんだ。丹精込めて美しい茶碗を作っているってのに、甲斐がない」

 要は嘆くほどに楽焼以外の茶碗は売れない状況らしい。

「お前も楽焼を作ればいいじゃないか」

 夫があっけらかんと言う。

「馬鹿にすんじゃねえ。陶工は職人であり芸術家でもあるんだ。自身の信念に悖るものを作るわけがねえ。俺は俺の美しいと思うものしか作らねえ」

「なら、どうするのだ」

「ただ作るのさ。世の中をあっと言わせる程の美しい茶碗を作ってみせる」

 気迫に満ちた表情をしている。張り詰めた緊張感、触れれば今にも爆発しそうな。まりは息を呑む。

「そうかあー。お前はすごいなあ」

 夫がのん気な声を出す。場の空気が緩む。まったくこの人ときたら。

「美しい茶碗とは、どういうものをお考えで?」

「そうさなあ……」

 陶工は庭に視線を遣り考え込む。

「六位小礼」

 庭を眺めていた彼がぽつりと呟く。

「え?」

 夫もまりもきょとんと振り返る。

「ここの紫陽花さ。赤い色とは珍しい」

「なるほど、太子の冠位十二階か」

 夫がぽんと膝を打つ。

 聖徳太子の冠位十二階をいっているのだ。冠位十二階では、位によって袍の色が決まっている。最も位の高い一位大徳は濃紫、二位小徳は薄紫、三位大仁は濃青……と続いて、最下位小智は薄黒。「六位小礼」の袍色は、薄赤である。

「やはり紫陽花は紫でなければ」

「そうさな、あっはっは」

 と笑っている。そこから男達の話題は、最近の叙勲や、宮仕えする著名人の噂話、都で働く知己の近況などに移っていき、大いに盛り上がっている。

 この山の中で冠位も何もあったものではなかろうに、これだから男は。まりは小さく嘆息し、厨に入って酒と肴の世話をする。かぐがとことこあとを追ってくるのが愛らしい。頭を撫でてやると嬉しそうにしっぽを振る。ちくちく棘立った心がほぐれる。あの赤い紫陽花だって、愛らしくてまりは気に入りなのに。まったく男達ときたら。

 わざわざ都会の喧騒を離れて官職を辞し、田舎暮らしを選んだというのに、結局都会で活躍する人達の動向が気になるのだ。ならば大人しく宮仕えを続けていればよかったのに。まりは、夫が独断で山暮らしを決めてしまったことに、未だ不服を抱えている。

 陶工でさえ、「美しい器を作りたい」というのは本心であろうが、会話の端々から茶通人や殿上人から認められたいという虚栄心が伝わってくる。

 男達ときたら。いえ、人間は誰しもそうで、私がそのような欲に欠けているのかもしれない。そう思ったものの、それこそまりにはどうでもいいことだ。家族が息災で、本を読み物語の世界に遊びにいく。それだけで十分。

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