花の色はうつりにけりな

香久山 ゆみ

#1

 しとしと降る雨が庭の紫陽花を濡らす。庭といっても、山中の茅屋なので、どこまでが庭でどこからが自然の植物なのか区別つかぬようなものだけれど。

 雨自体は嫌いでないが、洗濯物を溜め込んでしまうのが困りもの。は溜息を吐いた。そうしたところで雨雲が吹き飛んでいくわけでもなく、雨に託けて読書に勤しむ。

 一方、夫とは連日の雨で外に出られず退屈そうだ。先程までどたどたと家の中で手毬を投げて遊んでいたが、うっとうしいと一喝したところ、今はふたりして広縁に座ってしのつく庭を眺めている。この雨では山に遊びに行くどころか、夫の趣味の家庭菜園さえ手を付けられない。

 趣味、といっては夫は怒るかもしれない。我が家の生活の糧として尽力している意気だから。しかし、実際商売となる程の収穫もなく、また採れた野菜だけでうちの食事をすべて賄えるかというとそうでもないので仕様がない。

「ああ、隠元豆があれば」

 まりが嘆息するたびに、夫はいそいそ菜園を拡張する。かぐが雪隠としていた庭の隅の定位置も、今は青菜の株が植えられていて、追い遣られた哀れな仔犬は紫陽花の葉の下で小用を足すようになった。

「追い遣らずとも、そのまま畑で大小便させれば肥やしになるんじゃないですか」

 まりが庇ってやるも、夫は「いや」と首を横に振る。肥料は卵と決めているらしい。卵の殻を乾燥させては細かく磨り潰して土に撒いている。どこぞの知己から教えられたにわか知識だろう。

 まあ、流石の夫も紫陽花を掘り起こしてまで菜園の拡張はするまい。これ以上追い遣られることもないだろう。風情はないが、咲き誇る赤い花の蔭で仔犬がちょこんとつくもる姿は愛らしくもある。親馬鹿かもしれない。

 夫が宮仕えをドロップアウトして始まった山中の生活も、早一年近くなる。嬉々として山暮らしを楽しむ夫とは対照的に、何もない山での毎日に当初は辟易していたまりだが、今ではすっかりなじんでしまった。夫が竹藪で拾ってきた愛らしい子犬のかぐのお蔭かもしれない。淡白に見られがちだが、まりは甘いものと可愛いものには滅法弱いのだ。だから、庭の紫陽花のことも気に入っている。紫陽花といえば紫色だと相場が決まっているものだと思っていたが、庭の紫陽花は薄紅色の花を咲かせた。常の色よりも可愛らしい感じがして、雨が止めば庭に出て一房摘んで床の間にでも飾ろうかと考えている。飾ったところで、雨中の茅屋に客人など来ないのだが。

 が、案に反して、雨が止む前に一人の男が訪ねて来た。

 夫の昔馴染みだ。

 都会の土産を持ってきてくれたのは有難いものの、まりはうちに他人が上がり込んでくることが得意ではない。街なら飲み屋にでも行ってらっしゃいと勧めるところだが、そうもいかぬ。酒と肴だけ出して、あとはかぐをだしにして酌もせず広縁に引っ込む。まりに似たのか、かぐも人見知りが激しく家族以外には懐かない。客人にワンワン吠えるのを、餌をやって何とか宥める。

「こんな山中までご足労だな。仕事は大丈夫なのか」

 夫が客人に問う。

「雨の時期は土を採りに行けぬし、窯も閉めているのさ。それでなくとも、最近はめっきり売り上げが落ちてしまってな」

 そう言って客人は酒を煽る。彼は陶器を焼くことを生業にしている。

「おや、どうして」

「それがなあ、茶の湯のせいなのだ」

 意外な返答に、まりも二人の会話に耳を傾ける。

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