04 自信家で不遜なあいつ①

「はいはい。日向と顔合わせるのは気まずいって思ってるんでしょ。もちろん日向の下にはつかせないわよ。向こうも嫌だろうし。だってあんたの婚約破棄の申し出、ふたつ返事で了承されちゃったものね。あはは!」


 それは言わない約束では。


「あんたは日向の妹、こよりの宮仕として推挙してあげるわ。日向は妹をいたくかわいがっているけど、今は……なかなか会えないでしょうから。いいわね、四葩」

「い、良いか悪いかで言えば最高なんですけど。その、いろんな意味で困るといいますか……」

「なに。いいの? 悪いの? はっきりなさい」

「……わ、わるい、です……」

「ごめんなさい、聞き取れなかったわ。もう一度教えてちょうだい。この母の愛を受け取れないの? 受け取れるの?」

「はわ……」


 質問の主旨変わっていませんか。その言葉は干涸らびたのどに張りついて、出てこなかった。

 四葩はなけなしのつばを飲み、少し下がって三指をつく。どんなに魅力的な言葉をかけられても、これだけはゆずれない。

 すべては推しのため、四葩は深く頭を下げると同時に声を張った。




「バカ……私はバカだ。意思弱過ぎ……つら……病む……」


 四葩は奥宮の部屋をあとにし、自室への廊下をふらふら歩いていた。

 ごちん、と柱に頭をぶつけて痛める。顔を起こす気力も湧かず、そのまま木面に鼻を押しつけた。


「なんで『慎んでお受けします』なんて言っちゃったのおー。私のバカバカバカ」


 口を滑らせた。気づけば建前だけが心に取り残され、本音がぽろりと出ていた。さあっと青ざめたところで後の祭。奥宮は満足そうにうなずき、段取りをつけに颯爽さっそうと着物を翻して出ていってしまった。


「どうしよう。今からでも断れるかな」

『そういうことできる立場じゃないんじゃない。かなり温情をかけてもらってさ』


 のんきな声が言う。月読の他人事のような態度に四葩はムッとした。


「まさかあなたが言わせたんじゃないでしょうね。心か口を操って」

『そんなことできるならとっくにしてるだろ』


 確かに一理ある。


『全部陽向の素直な心だ。いいじゃん、こうなったら思うままにやればいい。そうじゃなきゃ意味がない』

「意味? なんの」


 四葩が聞き返した時、ギシリと床の軋む音がした。振り返ると同年代の男性がひとり、キツネ色の髪を揺らして歩み寄ってくる。


「四葩、ひとりか? 今誰かと話していたように聞こえたが」

「草太。えっと今は……」

「ああ、いい、いい。四葩とふたりきりのほうが好都合だ」


 草太は水色の目を細め、やわらかに笑った。唇から覗く八重歯の白さが、小麦色の肌によく映える。

 彼も奥宮に迎え入れられた養子のひとりだ。つまり四葩の兄弟にあたる。

 四葩は気まずさを覚え、少し身を引いた。しかし草太はそれ以上に距離を詰めてきて、柱に四葩を押さえつけるように立ち塞がる。

 彼の肩まである髪が、目の前ではらりと流れた。


「聞いたぞ。東宮との婚約を破ったんだって?」

「『様』をつけて。無礼だよ。どこから聞きつけてきたの」

「今、屋敷中がその話で持ちきりなんだよ。『あの気位の高い四葩様が?』『いったいどんな心変わりを』ってね。みんなは気づいちゃいないが、俺にはすぐわかった」


 草太は四葩の黒髪をひと房掬い取った。夏の空を思わせる瞳で四葩をじっと捉えたまま、髪に口づける。


「俺と夫婦めおとになるためだろ?」

「違います」

『すげえ自信。ある意味羨ましいわ』


 四葩につづき月読も呆れた声をこぼす。


「照れるなよ。今さらそんな恥ずかしがる間柄じゃないだろ」


 横から抜けようとした四葩を片手で制し、草太はさらにグッと顔を近づけてきた。耳を生あたたかい吐息がかすめ、思わず震える。


「俺たちは互いの体を隅々まで知ってるんだから」


 その瞬間、耳までカッと熱くなった。沸騰したように潤む目でにらみ上げるが、草太は笑って唇をゆっくりなでてみせる。

 まるであの夜を思い出させるかのように。

 母曰く、数多いる浮気相手のひとりがこの男だ。草太から誘いかけ、四葩はそれに応じた。前世の記憶を思い出す前のことだ。ともに朝を迎えたことは何度かある。

 草太も浮名の絶えない男だ。だから互いに遊び相手として都合がよかったのだろう。四葩はそう考えていたが、この男どういうつもりだ。


「やめて。私たちはお互い割りきった関係でしょう? 私は東宮様の嫁候補、草太は菫宮すみれのみや様の婿候補。そのお役目までは放棄していなかったはず」


 菫宮は日向の妹こよりの通り名だ。


「お役目ね。無理やり連れてこられて、好きでもないやつと結婚させられる。そんなもんはクソだって、お前も思ってたクチじゃねえか。いい機会だろ。このままふたりで逃げて、誰も俺たちを知らない土地でいっしょに暮らそう」


 草太の大きな手が頬をなでたかと思うと、口づけを迫られた。四葩はとっさに顔を背けて拒む。

 もし前世の記憶がなかったら、草太の甘い言葉に流されていたかもしれない。けれど今の四葩は、ごく平凡な家庭で育ち、恋に夢見る女子高校生の陽向でもある。

 自分が過去に犯した不貞行為の数々が許せない。たとえ政略結婚でも、どうしようもない四葩にまでやさしくしてくれた日向を裏切っていたと思うと、胸が張り裂けそうになる。

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