05 自信家で不遜なあいつ②

 四葩は追いかけてきた草太の手を引っ掻いた。怯んだ相手を精一杯突き飛ばす。


「もうやめよう、草太。好きでもなんでもない相手だって、裏切られたら傷つくよ。苦しいよ。それに望んだことじゃないのは、東宮様だって菫宮様だって同じなんだから」

「……なんだ。四葩お前、変わったな」


 内心ギクリとする。まさか転生者だと見抜けるはずがない。そうとわかったところでなんら咎められる謂れもないが、四葩は冷汗を感じた。

 草太は興味深そうに、赤い線が走る手を眺める。


「そういうことか。つれない仕草は男を誘う甘い罠。なるほど。拒まれるのも悪くない。いやむしろ――」


 草太の唇から赤い舌が覗き、引っ掻き傷を舐め上げる。


「酷くそそる」


 四葩の背中を強烈な悪寒が駆けた。


「いいぜ、四葩。お前の遊びにつき合ってやるよ。今後はどうするんだ? 奥宮を出たあとは」

「や、教えたくないんですけど……」

「ああ。すっかりわがままに育ったお前が、今さら庶民の暮らしに耐えられるはずがなかったな。どうせ宮仕になるんだろ。お前を俺のものにするまでは、鳥かごの鳥でいてやるよ」

「別に今すぐ出ていってもらっても、私は構わ、ひっ!」


 突如手の甲にキスされ、四葩は声が裏返った。草太はリップ音を奏でながら唇を離し、色を込めて笑う。


「楽しみだな。俺の味を知ってるお前がどこまで抗えるか」


 そう言って草太は来た道を戻っていった。


『すげえめんどくさくなりそうだな。ただでさえ元婚約者が、宮仕になるって微妙なのに……。陽向? どうした。だいじょうぶか?』


 一気に気が抜けて、四葩はその場に座り込んだ。ラスボスがやさしく気遣うなんておかしいのに、指摘する余裕もない。

 今になって心臓がドクドクと走り出した。草太に触れられた感触が消えず、顔が熱くなる。赤くなっていたら恥ずかしくて、四葩はひざに突っ伏した。

 『天陽の巫女』の四葩はモテ女でも、陽向は恋人もいなかった奥手な女子だ。草太の言動すべてが心臓に悪過ぎる。


「でも、草太の手を取って逃げ出したほうがいいのかな……」


 そうすれば月読から日向を守れる。


『それが本当に陽向のやりたいことか? 逃げれば日向を救えるのか?』

「私は……日向様に幸せになって欲しい。そのために私ができることをしたい。逃げるだけじゃ、解決にならない。なにもできない」


 月読の言葉で気づいた。考えるべきは、月読を祓う方法だ。そのためにはゲームのタイトルにもなっている天陽の巫女――ヒロインの力が必要不可欠になる。

 今はまだヒロインの姿を見ていない。だが彼女は必ず、主人公である日向の前に現れる。四葩はここでその機会を待てばいい。他にできることを探しながら。


「あなた、変なラスボスだね。私の背中を押そうとするなんて」

『心はとっくに決まってるくせに、遠回りどころか避けようとする陽向のほうが変だ』

「だってゲームならロードすればいいけど。現実は失敗したら、やり直しがきかないこともあるんだから」


 自分で言っておきながら薄ら寒くなる。どれだけゲームと酷似していても、ここは仮想世界ではない。現実だ。奥宮のぬくもりも草太の唇の湿りも、本物だった。

 四葩が月読に呑まれれば世界が、日向が、穢れに落ちることになる。


「だいじょうぶ、だいじょうぶ」


 四葩は呟きながら、自分の腕を軽く叩いたりさすったりした。最後に思いきり口角を上げ、にっと笑ってみせる。

 こうしていると緊張がほぐれて、落ち着くことができた。


「よし。早く荷物まとめて、部屋移らないとね」


 立ち上がって自室に向かう。その時ふと、何度考えてもわからない疑問がまた、浮き上がってきた。

 でも私、前世でどうして死んじゃったんだろう。




 翌日からさっそく、四葩の宮仕としての生活がはじまった。


「よ、四葩様。菫宮様のお部屋までご案内いたします。どど、どうぞこちらに……」


 四葩は同じ宮仕の女性のあとを追う。機嫌はすこぶるよかった。唐衣、表着、五衣いつつぎぬに小袖。高貴な者の正装といってダルマになるまで重ね着させられていた重装備から、解放されたのだ。

 宮仕の装束は小袖一枚に、しびらだつものというエプロンのような布を腰に巻きつけるだけ。簡単快適で足取りも自然と軽くなる。


「この先の離れが、あの、菫宮でございます。あ、朝のお支度と朝餉あさげの補助をしてもらいたいのですが、よ、よろしいですか? 嫌ですか……?」


 女性が指す渡り廊下の先には確かに、離れがぽつんと建っていた。庭園を挟んでもうひとつ、東側にも離れが見える。あちらは日向の部屋だ。

 ついつい目が吸い寄せられるのを堪えつつ、四葩は笑顔でうなずく。


「はい。わかりま――」

「ひいっ。やっぱり嫌ですよね! 申し訳ありません! 私がやります……!」

『ほらな。立場が微妙って言っただろ』


 どこからともなく月読の声がする。女性が先ほどからやけに萎縮していたのはそのせいか、と四葩は合点がいった。

 宮仕の中には四葩に敵意を向ける者もいれば、横柄な態度に恐れをなす者もいた。彼女は後者なのだろう。

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