104 中堅ノアvs陰鬱の魔術師②

 さらに放たれたムチをかわして、ノアは一気に懐へ入る。弱点にして、攻撃の要である右腕に斬りかかった。


「あは。お前の狙いバレバレ」


 だが剣は寸前で止められた。メランコリがもう片方の手に持った、木槌ガベルだった。

 驚くノアの腹を蹴って、メランコリは大きく飛びのく。


「相手がどこを狙ってくるかなんて、もうわかりきってることさ。それにお前、動きが慣れてないね。単純過ぎる」

「あ……!?」


 着地するなり、メランコリはムチを操ってノアの剣に絡めた。振り払う間もなく引っ張られ、とっさに両手で押さえる。

 しかしブーツの力も使われて、体ごと引き寄せられた。


「でも、素直なやつは嫌いじゃない」


 あっと思った時には、メランコリからも距離を詰められていた。

 ムチの柄頭が顔に叩き込まれる。片目が開けられなくなり、痛みが脳神経を焼いた。前もろくに見えないまま、あごを蹴り上げられる。

 ノアは失神し、剣から手が離れる。地面に倒れた衝撃が、辛うじて意識を繋ぎ止めた。


「さて。リロさん待たせてるし、仕上げに入るか。〈ブルー〉の効きがよくて助かるよ」


 メランコリの足音が近づいてくる。ノアは痛みを押して立ち上がろうとするも、手足が震えた。

 なぜ震える。怪我のせい? それともこれは、恐怖?


「ぐっ、ああっ」


 髪を掴まれ、頭を起こされる。片目だけの視界に、腹に居座るメランコリが映った。

 神経質な指で髪を整えて、彼は柔和に微笑む。


「お前って本当に弱いね。あの猿人族ヒューマンの女、姉だっけ? 彼女も苦労しただろうな。こんな無能でバカな弟を持ってさ」

「お、まえがっ、はあっ、姉さんを語るな……っ」

「へえ。まだわからないんだ。じゃあ見せてやるよ。みんながお前のこと、本当はどう思っているか」


 紫に染まった爪先が、トンッと鎖骨の間に置かれる。そこから見せつけるようにゆっくりと、胸元へなで下りていった。

 ちょうど真ん中。あの目の紋章が浮かび上がっていたところで止まり、ノアの心臓は大きく跳ねる。


「あ……やめ……」

「〈ルージュ〉」


 紅を差した唇が、無邪気に魔法を唱えた瞬間、ノアの意識は暗転した。




「あれ。ここは……孤児院?」


 気がつくと、ノアは聖都の孤児院〈ブルーオーシャン〉の前に立っていた。さっきまで下界ニースでクズ拾いかなにかしていた気がするが、うまく思い出せない。

 胸には理由のわからない焦燥感があって、落ち着かなかった。


「アッシュさんたちに聞けばわかるかな」


 ちょうど正面扉脇では、エデンとステラとアルが植木鉢をいじくっている。彼らにアッシュたちの所在を尋ねようと、ノアは足を向けた。


「こんにちは。アッシュさんとハイジさん、中にいるかな?」


 ところが、それまで楽しそうに喋っていた子どもたちは、ピタリと静かになった。三人とも心なしか顔が固く、目を合わせようとしない。

 ノアは思わず笑顔が引きつる。


「えっと。どうしたの、みんな。なにかあっ――」

「知らない!」


 急に大声を上げて、エデンが走り出した。「逃げろー!」と言われて、ステラとアルも少年を追いかけていく。なにがなにやらわからないノアを置いて、きゃたきゃた笑っていた。

 いつもなら微笑ましく思うその声が、心をチクリと刺す。


「……中、行ってみよ」


 気を取り直して、ノアは半壊した扉を潜った。


「もう我慢ならないから、今日こそ言ってやるのだ」

「わ"かる。うんざり"だ」


 入ってすぐに、アッシュとハイジの会話が聞こえてきた。ふたりは長イスに座って、ピリピリした空気を放っている。

 エデンの態度といい、もしかして子どもたちとケンカでもしたのだろうか。そんなことを考えながら、ノアは近づいた。

 笑顔を準備して、あいさつしようとした瞬間、


「絶対、隊長って呼ばれて調子乗ってるのだ」


信じがたい言葉が、耳に飛び込んでくる。


「仲間に"したのが、間違い"」

「知識しか役に立たないくせに」

「報酬も"遠慮しな"い。恥知ら"ず」

「いつ気づいてくれるのだ? 自分が――」


 その時ノアは、無意識に砂利を踏んでしまった。やけに大きく響いたその音に、アッシュとハイジが振り返る。

 冗談だと笑ってくれれば、いや、罪悪感を覗かせてくれるだけでもいいと願った。ふたりとの実力差は確かだから、受けとめないといけない。

 アッシュは、ノアと目を合わせたままにんまりと笑う。


「自分が、足手まといだってことに」

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