103 中堅ノアvs陰鬱の魔術師①

 自分を奮い立たせ、ノアは勢いよく踏み込む。


「はああっ!」


 振りかぶった剣が目の前に迫っても、メランコリはムチを構えなかった。

 まただ。またあの魔法がくる。

 だったら発動される前に斬ればいい、とノアはすばやく剣を振り抜いた。その直前、メランコリの口角がつり上がる。


「〈ブルー〉」


 とたんに、ノアは心臓に悪寒を感じる。目を向けるとやはり、涙を流す目の紋章が胸に浮かび上がっていた。それが強く青い光を放つ。

 するとさっきまでノアの中にあった闘争心や怒りが、煙のように消えていく。代わりにあふれてくるのは、悲しみと虚しさだ。

 剣を持つことも立っていることも嫌になって、手足を投げ出して寝そべる。


「剣なんか向けてごめんなさい……」

「あは! いい気味だね。お似合いだよ、そのみっともない格好」


 魔法のせいだ。これは僕の意思じゃない。

 頭ではわかっていた。しかし、全身を倦怠感が支配している。心に重く虚無が伸しかかり、メランコリに笑われようと貶されようと、感情はぴくりとも動かなかった。

 それどころか、彼の言う通りかもしれないと流されていく。


「お前は僕に、傷ひとつつけることもできないよ。この心属性ヘルツの魔石がある限りね!」


 ムチの柄にはめ込まれた桃色の魔石をなで、メランコリはうっとりと目を細める。


「もう何度もバカみたいに食らったから、わかるだろ? これはお前の心に魔法をかける。どんなに屈強な戦士だろうと、強い武器や魔石を持っていようと無駄。僕の前では、息をすることすら恥ずかしくて、死にたくなるんだ!」

「う、るさいっ。そんなのは、一時的なまやかしだ!」


 突然、ノアの体に力が戻った。厄介な魔法だが、長つづきはしないらしい。

 手放していた剣を掴み、ノアは立ち上がり様メランコリの脇腹を狙う。


「はい〈ブルー〉。残念でした」


 しかし刃は、彼の服にも触れることなく、ノア自身の手によって捨てられた。そのまま、腹這いになってまた寝転ぶ。

 胸とあごを強打したが、どうでもいい。痛いのは自分のせいだ。

 弱いから。なのに、戦おうなんてするから。


「歯向かってすみません。弱くてすみません」

「そうだよ。身のほどをわきまえたほうがいい。僕が教育してあげよう!」


 背中や肩、頭を容赦なく踏みつけられる。痛みに歯を食い縛りながら、ノアは魔法の効き目が徐々に変化していると気づいた。

 最初は数秒間だけだった。それも気が散るくらいの、軽い症状で済んでいた。


(食らう度に“入り”が深くなるんだ。まずいっ。このままだと、なにもできなくなる……!)


 動け。剣を取って戦え。

 頭で念じるそばから、なぜ動かなければいけないのか、疑問が生まれてくる。戦っても、返り討ちにあうイメージしか湧いてこない。


「弱い。グズ。役立たず。その程度でよくケンカ売ってきたね。他のふたりはそこそこできそうな雰囲気あったけど、お前はひと目でわかったよ。ザコだってね」

「僕は、僕だって……!」


 再び力が戻ってくる。ノアは抱えるように剣を持ち、切先を向けてメランコリに突進した。

 しかしブリーゼブーツを使って避けられる。メランコリは中空から、鋭くムチを振った。


「キモいんだよ、ブツブツと!」

「あぐっ!」


 米神をなぎ払われ、ノアはドッと地面に倒れた。どろりとした血が、頬に垂れてくる。

 脈打つ傷口を確かめる勇気もなく、拳をきつく握った。


(確かに僕には、アッシュさんのような強さも剣技もない。ハイジさんみたいな度胸や冷静さだって。僕が弱いことなんて、自分がよく知っ――)


 そこまで考えて、ハタと我に返る。慌てて見下ろした胸に、目の紋章は浮かんでいない。

 魔法にかかっていなかった。なのに今ノアは、暗い思考に捕らわれていた。

 〈ブルー〉の真の恐ろしさを知り、血の気が引いていく。


(ちがう。こんなの、ちょっと混乱しただけだ。だいじょうぶ。いける。いける)


 弱音を振りきって、ノアは立ち上がる。アッシュの見よう見真似でブーツの出力を上げ、勢いよく地面を蹴った。

 剣は下げたまま、自分の間合いに入るまでメランコリの出方に集中する。

 相手の初手、横からのなぎ払いは跳躍して避けた。つづけて、上からの振り下ろし攻撃は、身を最小限にひねってかわす。それと同時に、相手の右側へ回った。


(長い武器は、それを持ってる利き手側への対処が難しい)


 メランコリは右利き。つまり攻めるなら、右からだ。


「ここだ!」

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