第4章 旧砂漠都市マファラの決戦

79 ルーシー翁の鍛治屋①

 朝日に照らされ輝く鼻梁びりょうは、まるでラグナ・サフィア湖に映る太陽への階段だ。その頂きは高く、自分の鼻さえなんの感想も抱いたことがないのに、この男のものは美しいなと思う。

 そろそろ数えるのも飽きたまつ毛が震えた。さあ、温めていた文句を言う時だ。

 舌に乗せた言葉は、こぼれたアイスブルーの光彩に熱を失う。生命の爆誕をうながしたとされる、氷河時代の星はきっと、こんな色をしていたに違いない。


「君の目は、太古の記憶までっているのだ?」


 言いたいことはそれこそ星の数ほどあったのに、一番つまらない戯言ざれごとが滑り出てしまった。


「な"に"……どら"猫……?」

「おそようさんなのだ、寝ぼすけ犬。丸一日寝こけるから、そろそろ引っぱたこうと思ってたのだ。とりあえず手を放して」


 土気色の手にがっちり捕らえられた手を、アッシュは振ってみせた。

 心配して様子を見にきたのが運の尽きだ。顔の前で手を振っただけで、拘束されて一晩過ごすはめになるなど、誰が予測できる。

 お陰で変な寝相になって、腰が痛い。

 しかしハイジは、朝日に顔をしかめて聞いていなかった。


「何時間、寝でだ?」

「だから丸一日なのだ。昨日の朝、基地から帰ってきて、今は次の日の朝!」

「一日……? あ"り"得な"い。一回も"起きな"がった」

「あり得ないって言いたいのはこっちなのだ! 調子悪いなら病院行くのだ。今なら治療費出せなくもないから」


 とても良いことを言ったのに、ハイジはアッシュと繋がった手をじっと見て返事をしない。かと思うと、親指で手のひらをなでてくる。

 びっくりしてアッシュは逃げようとした。しかし、指の間に指を絡めてしっかり握り込まれる。


「お"前が、い"たがら? 魔法でも"使ったの"か」

「そんな魔法があるなら、とっくに売ってるのだ。まさか駄犬は、その歳でひとり寝もできないのだ?」


 ハイジはわずかに眉根を寄せた。怒ったのならいい気味だ。アッシュは手を取り返そうと、ぐいと引っ張る。

 だが拘束は外れない。両手で引いても、指一本一本を剥がそうとしても、ますます食い込むばかりだ。さすが狼人族ウルフ。力も強い。


「いい加減にっ、は、な、す、の、だあー!」

「できな"い」

「なぬ!?」

「ひとり"寝、できな"いがら。どら"猫も"いっしょに寝る"」


 にわかに強く引っ張り返され、アッシュはハイジの腹の上に倒れる。あっけなく離れた手が、今度は脇に差し込まれた。そのまま長イスに引きずり込まれそうになり、アッシュは全力で腕を突っぱねる。


「私は用事があるから無理! 添い寝はエデンかアルに頼むのだ!」

「俺だってヤダ。てかアッシュ、今日も休みって言ったのに、どっか行くのかよ」


 外で植木に水をやっていたエデンが、ガラスのない窓からすかさず拒否してきた。覗いた顔は不満げだ。

 今はもう、その心を読み間違えるアッシュではない。ハイジを足蹴にして立ち上がり、にぱっと笑った。


「昨日預けた残雪を取りにいくだけなのだ。そうだ、みんなで行く? ルーシーの鍛治屋に」




 貧民街と平民街を分ける高い段差。その複雑に入り組んだ配管の壁の中に、馴染みの鍛治屋はあった。

 入り口は、くたびれた梱包こんぽう用ビニールが引っかかっているだけ。看板も張り紙もなく、寄ってくる客は限られる。

 しかしそれでも潰れないのは、少ない客がわかっているからだ。ルーシーおうの腕前を。


「ジイジ、来たのだ。残雪仕上がってる?」


 抱っこしたアルに気を配りながら、アッシュはビニールのれんを潜る。すると二歩も行かないうちに、カウンター兼食卓兼寝床のイスがあった。

 ルーシーの弟子・ジャンキーはいつもそこにいる。


「アッシュ! いいとこ来たじゃん! 今誰が来てると思う?」

「子どもだ! 俺よりチビの!」

「かわいそう。アルと変わらないのに、もう働いてるなんて」


 イスから下りたジャンキーを見るなり、エデンとステラは興味津々と近づいた。ジャンキーは慌ててイスに逆戻りするが、その上に立ってやっとエデンたちを見下ろす位置になる。

 逆立てた苔色の髪を触って、ジャンキーは途方に暮れた目をアッシュに向けた。


「子ども連れてくるなんて聞いてないじゃん。俺様苦手なのに」

「ごめんごめん。エデン、ステラ。ジャンキーは子どもじゃなくて、小人族ホビットなのだ。これでも私より十コくらい年上で、一応大人なのだ」

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