69 月夜の出会い
笑みを深めて、男はためらいなく距離を詰めてくる。
余裕の歩み。そして見透かした表情だ。はったりは効かない。
「君に渡すつもりはないのだ」
「どうかな。知ってるよ、
「へえ。つまり、私が落とせば君のものになるってこと? ずいぶんな自信なのだ」
「落とす自信はあるよ。私のすべてを投げ打ってもいい」
かなりの執着を抱いているようだ。しかし、魔石にはそれだけの価値がある。無育成でも数百万、育成し光輪を三つ出せれば一千万級だ。
「逃がす気はないよ。もう私のものだ」
歌うように口ずさむ男は、すでにアッシュの間合いの中だ。なのに、腰の剣を抜こうとしない。
相手の出方がわからなくなる。やはりどこかに、仲間が潜んでいるのか。
周囲に気を逸らしたわずかな隙だった。男がマントをひらめかせ、机を飛び越えてくる。アッシュは机を蹴り、イスのキャスターで下がりながら刀を抜いた。
「怖がらなくていい」
しかしいくらも抜刀できないうちに、男に押さえられる。気づけば、イスと男の体に挟まれていた。
長いまつ毛に縁取られた目は、深い栗色だ。そんなものも容易に見て取れるほど、近い。
あごを掴まれ、アッシュは男を蹴ろうと足を引く。
「今から君をさらう。ダメと言われても、止めてあげられそうにない」
ん? 君を? 待ってなんか話がおかしい。
顔をしかめるアッシュを、男は抱え上げようとする。よくわからないが、アッシュは足を広げて踏ん張り、イスを掴んで体幹に力を込めた。
「……あれ? 動かないな。ふん! ふぬぬぬっ!」
強い力で引っ張られるが、アッシュは尻も浮かない。何度やろうと、やたら大きなイスごと持ち上がるばかりで、それもすぐ床に逆戻りした。
男がゼエゼエと肩で息をする。
「お、おかしい。こんなに重いはずは……っ。そうか。重いではなく固い。世界樹のごとく不動の体は、彼女の確固たる意志の力か」
「意味わかんないこと言ってないで、早く離れるのだー」
「どら"猫、見づけだ」
耳慣れたガラガラ声が聞こえて、アッシュは男の体からひょこりと顔を出した。
案の定ハイジが部屋に入ってきて、長い足で横に回ってくる。首根っこをむんずと掴まれたので、アッシュは大人しく持ち上げられた。
「んな……っ」
男が驚くが、ハイジは目もくれない。
「じゃれ"るなら"、俺とズギン"シッブじろ」
「失敬な。クズ屋として誰よりも働いてたのだ。あ、それよりフリューゲル見たのだ? 使えそう?」
「ん"。助かる"。お"礼に甘噛み"」
「それ体罰の間違いじゃないのだ?」
話を聞かず、近づいてくる美形面を突っぱねていると、詐欺男が大きなため息をついた。
「君はすでに、彼のものだったんだね」
さっきから話が一ミリも理解できない。
「あれは誰なのだ」
「知らず」
「あ。アッシュさん! ハイジさん! ここにいたんですね。よかった、会えて」
そこへ走ってきたのは、なんとノアだった。アッシュは信じられない思いで、目を瞬かせる。
「なんでノアまでっ。子どもたち、置いてきちゃったのだ!?」
「だいじょうぶです。さっき軍の人が来てくれたんですよ。それで話を聞きたいそうで、僕が呼びに――」
駆け寄りながら、ノアの目がちらりと詐欺男を見た。眉をひそめつつ向き直りかけるが、突如ぎょっとしてもう一度男を見る。
「フ、フフフフフレア中将おっ!?」
その大声で天井から砂が降り注ぐ。
男は長めの前髪を払い、やわらかく微笑んだ。
「や。先ほどは失礼したね。女性を見たら口説くのがマナーだと、部下が言うものだから。しかしなかなか慣れず、不快な思いをさせていたらすまない」
「あなたには、さっさと片づいてもらわないと困るんで。ちなみに、そうやって正直にバラすの減点ですよ。女の子冷めますからね」
隣から桃髪男に指摘されても、フレアは笑って流した。場所を食堂に移し、向かい合うアッシュとノア、ハイジを見つめ、改めて口を開く。
「私は聖府軍中将のフレアだ。こちらの、上官にも遠慮のない男は、部下のセシル上等兵」
桃髪の男セシルが、硬い顔で敬礼する。若い
歯に衣着せぬ物言いといい、取っつきにくいかと思えば、セシルはふと相好を崩し、一気に人懐っこい雰囲気をまとった。
「セシルくんって気軽に呼んでくれよな」
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