第9話 強襲


「『閃雷せんらい』」


 一閃の稲光が宙を裂く。菜華の『雷撃らいげき』とは違って拡散せず、ただ一直線に進んだそれは拓真たくまを攻撃した謎の男の背後に命中するかのように思われた。だが、さっきまで一直線に進んでいたはずの光は男に近づくと急に明後日の方向に向きを変えて進んでいった


「やはり神には及ばないか」


 一人の男、神崎かんざきこうが街灯の光も月明かりすらも届かない闇から歩いてきた。


 俺は拓真の方へ向かい、地面に倒れている彼に手をかざす。


「『変換』」


 俺の天恵によって拓真の首から、そして胸から流れていた血も止まり、落下の衝撃で折れた骨もすべて治る。


「紅、お前の攻撃が俺に届かないのは身をもって知っているだろう?」


 空中に浮遊している謎の男が俺に話しかけてくる。


 二人は面識があった。紅にとってそいつは因縁の相手である。


「だからといって、何もしないわけないだろうが。なぁ?『七つの大罪』の一つ、『強欲』のグリード」


 俺はお前のその力を知っている。だからこそ、俺はある一つの仮説を導くことができた。


」なら、あいつのを突破できるかもしれないと。

 

「首尾はどうだい?」


 紅が左耳につけているイヤホンから声が聞こえる。通話の相手は「」だ。


「俺が神術の詠唱で時間を稼ぎます。あいつはそれに必ず乗ってくる」


 小声でその声の相手に返答する。ここから離れたところで待機しているとある人物。彼女の名は|堺(さかい)|瑞稀(みずき)、電車に乗り遅れた俺の師匠だ。


「後十秒あれば狙いは定まる。それまで頼んだ」


 通話相手はそれを最後に電話を切った。

 紅はもう一度神術を発動するために霊符を取り出し、それを構えながら祝詞を唱える。


「祓えたまえ清めたまえ 炎の神 火之迦具土神ヒノカグツチの力を借り」


 完全詠唱をするのは一対一の状況では得策ではない。だが、相手が自分の実力に慢心しているようなやつであれば、大抵の場合一撃くらいは当てさせてくれる。師匠の準備が整うまで残り五秒。


「我が妖力もって 技をなす 炎を押し出し 害あるものを焼き尽くせ 『猛火』」


 残り零秒。


 グリードは一切気づいていなかった。自身の天恵『改変』で身の回りを覆っているに小さな穴が開くまで何者かに狙われているということを。

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「チャ〜オ〜」


 公園から千メートル以上離れた位置にあるビルの非常階段から瑞稀はグリードを狙撃した。狙撃は最初の一発に全力を賭けるものだ。なぜならば、意識の外から放つことが命中の秘訣だからである。秒速千メートルもある弾速だが、陰陽師を狙ったとしても回避されることや守られてしまうこともぼちぼちある。そういう場合は反撃されることがほぼ確定しているため、場所がバレたら移動するのが鉄則だ。


 一仕事終えた瑞稀は念のために別の狙撃スポットへと向かおうとする。だが、それは鎌を持った存在によって阻まれてしまった。

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「悪いがここは逃げるとしよう」


 グリードの守りを突破した弾丸はそのまま命中するかのように思われたが、その前にグリードが姿を消してしまう。弾丸はそのまま闇へと飛んでいった。


「くそ、逃げられたか」


 あと一歩というところでグリードは退避を選択してしまった。残念ながら今のグリードは死神の失態によって何に対しても興味を持っておらず、紅の術を撃つだけさせる嫌がらせをするぐらいしか考えていなかった。


 もしあのまま命中していれば、致命傷にはならなかったかもしれないが大ダメージになっていただろう。

 ひとまず脅威が去ったことで安心した紅であったが、まだ問題が解決していないことを再確認させられる。さっきグリードに殴られていた死神が起き上がり、どこからともなく鎌を取り出したかと思うと、それを持ってじわじわとこっちに向かっている。


 死神が向かってきている最中、拓真は意識が戻り傷が塞がっていることを確認した。だが、今の俺ではもう戦うことができない。妖力を使いすぎた反動なのか、胸が苦しい。


「起きれますか」


 俺は差し出された紅の手を掴んで立ち上がる。


「紅、来てくれたのか」


「ええ、なんだか嫌な気配がするとこいつが教えてくれましたからね」 


 紅は視線を自身の胸元の御守りに落とす。


橙乃とうの、出番だ」


 紅の問いかけに応じ、自身が身につけていた御守りから光が漏れる。漏れた光は集まり、一つの形を成した。


妾になんのようじゃ?」


 光から現れた人物、いや妖狐と呼ばれるような見た目をした女が言った。着物に身を包み、頭には獣の耳を生やした女性、目元には薄く赤色で染まっており、妖艶な雰囲気を醸し出している。首元には紅がつけているものと同じ白い御守りが見える。


「橙、お前はなんとかして二人をここから逃がせ。俺が死神の相手をする」


「さっきの戦いのせいであまり力は残っておらんからな」


 一日で二度も紅から頼み事をされるのは面倒くさいと橙乃は思っている。だが、紅から頼まれた以上、断ることはしない。


 さっきの妖狐は橙乃という名前のようだ。話の内容から、紅はその狐と仲がよく、命令できる立場にいる様子。俺は痛みに苦しむ中でそのことを理解した。


「随分無茶しましたね...俺がもっと早く来れていれば。後は俺たちがなんとかします」


 紅は申し訳無さそうに頭を下げながらそう言ってくる。早く来れなかったことを悔やんでいる紅だが、あの状況ではすぐに拓真のもとに行くのは難しかった。どうあがいても、結局はこの結果に近しいものになっている。


「何とかするって言ったって、勝ち目なんてないじゃないか」


 希望的な言葉なんていらない、これは無理だ。意味のわからないまま俺は力を使ったが、それでもあいつに一切のダメージを与えることができなかった。死という概念がこの世界に形作られたような存在、そんなやつに太刀打ちなんてできるわけもない。俺は諦めていた。俺よりも深く斬られた紗黄は今にも命を落としそうだ。救いに行きたいが、心臓の激痛でここから動けず、自力で動くことができない。


「紅、俺のことはいい。倒れている紗黄を連れてここから逃げてくれ。お前ならここから逃げられるだろ?俺が少しでも時間を稼ぐ」


 俺は紅に希望を託そうとした。せめて紗黄だけでも、ここから逃げてほしい。陰陽師とやらなら、死にそうな紗黄をなんとかできるかもしれない。藁にも縋る思いで、そう紅に言ったが、返ってきた言葉は想像とは違った。


「俺は二人を助けるためにこの任務に来ています。死ぬかもしれないなんて承知の上で俺はこの仕事をやってるし、助けを求めてる人を見捨てて逃げることなんてできない」


 死神との実力差を自覚している紅だが、諦めることはしない。


「橙、いつもの刀を」


 橙乃は御守りよりも明らかに大きい刀を中から取り出す。それを渡すために少し近づいた橙乃は紅に耳打ちした。


「あやつは今の妾でも荷が重い。ましてやお主では荷が重すぎる相手じゃ。ほんとに危なくなったら妾を呼べ」


「ああ」


 紅は橙乃の強さを知っているため、最悪のケースを防げるだろうと思っていた。紅は気づいていなかった。その相手、『死神』はさっきの『きさらぎ駅』との戦いで力を使った橙乃では、全盛期から力を失った橙乃では、荷が重いということに。紅は実力差を感じたときに、全員で逃げることを選択するべきであった。そうすれば、誰か一人でも生き残ることができたというのに...


 刀を受け取った紅は鞘からその刀身を取り出す。『きさらぎ駅』との戦いでも活躍したこいつなら、死神だろうと対処はできると思っていた。


「妾に此奴は任せておけ。ほれ、行────」


 途端、俺を連れてここから離れようとした橙乃が目の前でいきなり吹っ飛んだ。


「は!?」


 何が起こったのかを理解できない俺はパニックになる。


 そして今度は横に居た紅が血を吹き出しながら宙へと舞う。何が起こったのかを確認した俺は絶望、いや、死んだと言ってもいい。


 十を超える死神が俺のことを取り囲んでいた。

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