第8話 一緒にゴールしよう


 翌日、千早さんは夏期講習に来なかった。その予感はあったから特に驚きはない。


 野口は朝の挨拶もに昨日見捨てて帰ったことを謝ってきたが、正直そんなことはもう忘れていた。

 周りの皆も、朝こそ“夏期講習に突如現れた金髪の子”を話題にしていたが、本人が現れなかったこともあって半日が過ぎる頃には誰も千早シロの事は話題にしていなかったし、おそらく考えてもいなかっただろう。

 

 僕だけがずっと彼女に思考を占拠されている。


 授業を受けていても心は何処か宙に浮いている感じで、気が付けば半日が過ぎていた。


「はぁー終わった終わった。速水、今日どっか遊び行かね? 昨日の詫びってことで飯奢るからさ」


「ごめん、今日は無理。行くとこあって」


 野口には申し訳なかったが授業の後、僕は誰よりも早く教室を出た。とにかくジッとしていられなかった。


 炎天直下の住宅街を早足で歩き、僕は再び千早家の前に立って居た。

 一度大きく深呼吸をして、何故か震える指でインターホンを押すと、応答の代わりにポケットのスマホが震えた。


〈あいてるらはいって〉


 それは千早さんからの簡素過ぎるメッセージだった。変換もなく、誤字もそのまま。なんだか気が抜けてしまう。

 一行の文章だけでゲームのコントローラー片手に殆どスマホに意識を向けずに入力する姿が浮かんでくる。

 

「おじゃましま……うわっ、ホントに開いてる。信じ難いな」


 なんとなく周囲を気にしながら玄関扉に手をかけると、それは何の抵抗もなく開いた。不用心が過ぎる。

 昨日同様廊下の電気の消えていて一階に人の気配はない。彼女が居るとしたらゲーム部屋だろうと、階段を上る。他人の家を勝手に歩くのは想像以上に心地が悪かった。

 二階の廊下に出てゲーム部屋の扉をノックすると、「どうぞ―!」と勢いの良い声が返ってくる。ドアを引くとエアコンの冷気が全身を包み、そして案の定ゲーム中の千早さんの横顔が目に入った。


「やっ、早かったね! 通し練習中で手が離せなくて、ごめんね。もうちょっとで終わるから——おっと危ない! 待っててよ」


「それは、いいんですけど」


 彼女はこちらに一瞥もくれずにそう言った。

 言いたいことを一旦飲み込んでモニターの見える位置に移動する。彼女がやっているのはカーミィとは打って変わって暗い雰囲気の少し古いアクションゲームだった。


 机の上に置かれたそのゲームのと思しきパッケージには一人の西洋騎士の姿と『Devil's Soulsデビルズソウル』というタイトルが描かれている。


 闘っているボスは身の丈程の長い剣を携えた騎士でいかにも強そうな風貌。対して千早さんの操作する男は何故か半裸で、そんな見た目なのにボスの素早い連撃をからかうように前転で躱して一瞬のスキをついて片手剣を振るう。その繰り返し。

 明らかに相手の行動パターンを全て把握している動きだ。少しずつ、だが確実にボスの体力が削れていく。無駄のない優雅な動きだ——半裸でなければ。


 全く初見のゲームだが、これはカーミィよりも圧倒的に難しそうだ。それでもやはり千早さんは簡単そうに敵を蹂躙してみせる。


「ふぃー、今日は優しいパターンだ」


 飄々とした声とは裏腹に画面に向ける眼光は鋭く、口元に浮かべた笑みは自らの勝利を疑っていない。

 当然、遠くない未来に降りかかる自らの運命への悲観など微塵も感じさせない。


 ——ああ、やっぱりカッコイイな。


 それは心の底から自然と湧いて出た事実上の敗北宣言だった。


「フェスでやりたいのはこのゲームですか?」


「んー、作品自体の注目度と私の練度とを色々加味したら、多分コレになるかな。高難易度アクションは見栄えするしね」


「確かに、凄さが分かりやすそうですね。それと、“チャート”って現物はありますか? ちゃんとしたものを作りたいので、フォーマットとか構成が決まっているなら覚えます」


「チャートは印刷すれば——ん? ということは……いいの!? 絶対断られると思ってたよ」


 千早さんは相当驚いたようで、コントローラーをソファに落としてこちらに向き直った。そのままソファの上を四つん這いに動いて近づいてきて、子どものような輝く瞳で僕を見上げた。

 もっとドライな反応が返ってくると思っていたから、完全に想定外で面食らってしまった。


「は……い。いや、良くはないんですが。仕方がないというか、我ながらバカな事をとは思っているんですが」


「歯切れの悪さが凄い。私が言うのもアレだけど、後悔するくらいなら断ってくれてもいいんだよ? 私じゃなくても人生は短いんだから、本気でやりたいと思ったことをやらないとね!」


 千早さんが言うと説得力はあるが、如何せん真に迫りすぎていて逆にリアクションに困る。


「いや、揺らぎかけましたけど、一日熟考しての決断で……ちゃんと本気です。今日も、ずっと千早さんのことを考えていましたから」


「い、意外と恥ずかしいセリフを言うね君は——えっと、決め手は何かな? やっぱり私の走りがカッコよかったからか!」


 期待した目、そして調子のいい声色だ。

 確かにカッコよかった。それは間違いない。けれどそれだけでは言い表せられない要素もあるし、何よりただ彼女の発言を肯定するだけというのは癪だ。


「僕から見たら千早さんは、言葉を選ばなければ色々異常です。ちょっとどうかと思うくらいの時間と労力をゲームに、RTAに捧げている。しかも他人よりも限られた貴重な時間を」


「うん、痛烈だけど否定できない」


「それなのにアナタは全く満足していない。他の一切をかなぐり捨ててひたすら上を目指す姿は……少し憧れます」


 僕も、周りの同級生も、先生や親でさえ何処か漫然と生きている部分はある。皆、無意識に自分の残り時間や過ぎた時間を頭から排除している。

 だからこそ限られた時間で自分のやりたいことを満了しようとする千早さんの姿は眩しく映る。


「僕はそんなアナタが人生最高の走りをする瞬間が見たい」


 理性も倫理も常識も度外視しても良いと思えてしまう程、僕はこの自分勝手でおかしな人にどうしようもなく心を鷲掴みにされてしまっている。

 そして、そんな彼女が人生の最後にやりたい事として選んだRTAへの興味も溢れて止まらない——!


「そのために僕の力が役立つなら手伝いたいです。出来る範囲で出来ることを」


「——イヒヒ、普通それを肯定的に捉えることはないけどね。それだけ魅了されてるってことだ。やっぱり君はRTAの素質があるよ」


 千早さんは心底愉快そうに笑いながらそう言って、ソファの上で立ち上がってみせる。照明と重なった金髪がさらに輝いて見えて思わず目を細めてしまった。


「て、手伝うだけですからね」


「いや、予言しよう。君もそのうち走者になるよ。ふふっ、どんなにタイム短縮できるショートカットよりも貴重なものを得てしまったなぁ。でもまぁ、止めたくなったらいつでも言ってよ。まだ何も知らないもんね」


 実際、昨夜『惑星のカーミィ』を見様見真似でやってしまったから否定しきれない。

 妙に優しい微笑みを浮かべる彼女を直視できず、ゲーム画面の方に目を逸らすと『YOU DIED』というゲームオーバーを知らせるおどろおどろしい文字が浮かんでいて、何とも言えない気持ちになった。


「やられちゃってますよ、ゲーム」


「別にいいよ。何度でもやり直せるし」


 彼女の言う通り、丁度ロードが終わって生き返った半裸のキャラクターが再登場するが、何故かそのまま地面を貫通して変な空間に着地した。 


「あれ、なんかさっきと違う画面になってませんか」


「ああ、それはリスポーン地点に飛んでるはずだから——ん? 本当だ。なんだろ、この亜空間……ハッ! もしやこれバグショトカいけるんじゃない!? これはアツいぞ悠生くん! 検証するからメモ、いやスマホで動画撮って!」


「えぇ!? ちょ、ちょっと待ってください!」


 こうして僕は余命半年のRTA走者、千早シロの相棒になった。

 当然不安も多いが、今はその何倍も未知の世界に飛び込む高揚が胸の内を満たしていた。

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