白眉の君は誰が為に走る

日上口

セットアップ

第1話 速水と千早


 例えば今僕が死ぬとして、その走馬灯はとてもつまらないものになるだろう。


 僕、速水悠生はやみゆうせいの人生には“熱”がない。


 当然体温の話ではない。何かに懸命に打ち込む情熱とか、絶対に負けたくないという闘争心のような……そんな胸を焦がすような心の熱だ。

 教職の両親に促されるまま勉学だけは励んできたが、それも義務感による行動で特に好きなわけでもなく、例えば海外の大学を目指して無茶するようなモチベーションはない。

 ありがたいことに心身も健康でとても安定した生活を送っている。


 このまま何もなければ僕はそんな普通の人生を続けるのだろう。それはとても幸福なことで、存外に稀有だとも知っている。

 だがごくたまに、昔読んだ本の一説と共にある考えが頭に過るのだ。——それは“ほんとうのさいわい”なのだろうか、と。



 そんな悩みとも言えない悩みを抱えたまま、気づけばもう高校二年。

 今年の八月はやけに曇りや雨の日が多かった。そのせいか夏期講習期間中の教室は常にどんよりと暗く落ち込んだような空気が流れていた気がする。


「一限から根岸の念仏英語かよ、オレ絶対寝るわ」


 右隣の席に座る友人、野口顕彰のぐちけんしょうは寝ぐせなのかオシャレなのか分からない癖毛を手櫛しながらそんな情けない宣言をした。


「根岸先生も内容はちゃんと面白いんだけど、確かに聞き取りにくくはあるな」


「いやいや、まず耳に入って来ねーから普通。速水はあの授業すら真剣に受けてんだからすげぇよな。真面目が服着て歩いてるっつーか……ノートも超きれいだし、ついでに教えるのも上手いし。もう代わりに授業してくれや」


「それは流石に無理。でもお陰様でそのへんどんどん磨かれてるから、将来教師にでもなったら野口は恩人だな」


 冗談めかして返すと野口は「はて?」と、とぼけた声を出してわざとらしく目を逸らす。テストの度に「今回だけは」と助けを求めてくる彼の姿はすっかり見慣れてしまった。


「はーい席付けー。野口はシャツくらいズボンに仕舞えみっともない。速水と並ぶとお前の適当ぶりが目立つぞー」


 そんな雑談をしていると予鈴と共に件の根岸先生が、その巨躯を揺らしながら教室に入ってきた。開口一番に目を付けられた野口は適当に「へーい」と気怠さを隠そうともしない返事をする。もう何度も見た光景だ。

 公立高校の二年生で夏期講習にまで真剣に取り組む生徒の方は少ない。そもそも部活やらサボりで教室の机は半分も埋まっていない。出席を取る根岸先生も流し気味だ。

 何となく教室を見回すと、窓際の後ろの席で一人離れて座る鮮やかな金髪の女子生徒の姿に目が留まった。


「なぁ、うちのクラスに……てか学校にあんなギャル居たっけ」


 野口もその子に気が付いたようで、こそっと耳打ちしてくる。困惑半分、高揚半分といった声色だ。


「ギャルって……まぁ居なかったと思うけど」


 その女子の一度も日光に当たったことがないみたいに真っ白な肌とウェーブのかかった長い金髪は、一見すると外国人のようだ。

 それなりに偏差値のある公立高校ゆえに校則も厳しめのうちの高校であの金髪が居れば流石に目立つはずだが、今日まで話題にも上がっていなかった。となると転校生か留学生かとも思うが、それはそれで何かしらの形で生徒にも伝達が来る気がする。

 そして何よりも気になるのは、僕は彼女の顔になんとなく見覚えがある気がしたのだ。


「えー、そんで“千早シロ”は今日から参加だな。えー、何かあったらすぐ言うように」


「はい」


 金髪の女生徒は最後に呼ばれた。千早シロ、聞いたことがない名前だ。少なくとも同級生が大幅なイメチェンという線は消えた。あと恐らく外国人でもないだろう。

 それにしても、良くも悪くも遠慮のないタイプである根岸先生が彼女に対しては妙に歯切れが悪いというか、気を遣っている雰囲気なのが気になった。あの金髪を指摘しないのも含め、やはり何か訳アリではありそうだ。

 教室にいる生徒全員が皆一様に千早シロという存在に疑問と興味を抱いていただろう。僕含めて彼女の方をチラチラ伺う人は多かった。


「ハーフの編入生とかかね。美人だけどあそこまでガッツリ金髪だと流石に浮きそう」


「どうだろ。でもあんまそういう事言うのは——」


「コラそこ、こそこそ喋るな。授業始めるぞー」


 注意されてしまった。いつの間にか本鈴も鳴っていたらしいが完全に意識の外だった。


 授業はそのまま淡々と始まり、隣からは早速寝息が聞こえ始めた。板書を写しながらそのまま十分、ニ十分と時間が過ぎる。

 演習問題を解き終え、ふぅと息をついた流れで何の気なしに窓の方を見ると、千早シロの切れ長の鋭い目と視線がぶつかった。


「——ッ!」


 蛇に睨まれた蛙——は言い過ぎにしても、僕の身体は一瞬硬直し、なんとなく「目を付けられた」と直感した。


 同時に、彼女は僕の顔を見て意味ありげに微笑んで軽く手を振ってきた。

 予想外のことで心臓が跳ね、咄嗟に目を逸らしてしまった。だが、どうにもその表情が、全てを見透かすような鋭い目が脳裏に焼き付いていた。



 *



「はー終わった終わった。疲れたなー!」


「野口はほぼ寝てたけど」 


 夏期講習は午前中で終了だ。大した時間じゃないのに僕の頭は「ようやく帰れる」でいっぱいだった。学校でこんなに時間の経過を待ち望んだことは初めてだ。

 しかしアレから休み時間にも千早シロから何かアクションも無かったし、彼女自身も誰とも会話していなかったくらいで特別変わったことはなかった。色々と気にし過ぎていたようだ。

 「寝すぎて逆に眠い」と言う野口の大口開けた欠伸に苦笑していると、背後から肩を軽く叩かれた。

 何の気なしに振り返ると、そこにはあの微笑みをたたえた千早シロが立っていた。


「ねぇ君、朝私のこと凝視してたよね? 他の誰よりも熱烈に。それなのに私の挨拶を無視した」


 彼女は僕の行動を罪状のようにツラツラと並べた。顔は笑っているが声はあまり起伏が無く、感情が読み取れない。

 なによりも、彼女の方からこんなにハッキリと詰めてくるというのは想定外で完全に動転してしまった。


「えっ……ああ、すみません。その、つい」


 半ば反射的に謝罪をする僕をよそに、野口は「オレは見てないっすよー」とさらりと教室から逃げ出してしまった。なんとも薄情な奴である。

 だが彼を引き留めるだけの余裕は今の僕には無かった。そして逃げられない。なにせ目の前には獲物を追い詰めるように迫りくる千早シロが居る。


「素直で大変よろしいね。さて、私のような美少女を無遠慮に見腐ったんだ。見物料代わりに一つ頼まれてくれるかい?」


「えっと、拒否権は……?」


「無いね。そもそも、こうして私の貴重な時間を君に費やしているだけでも破格だよ。光栄でしょ?」


 その言葉の直後、放送を知らせるチャイムが教室に響いた。僕はそれが警告を知らせるブザーのように聞こえた。もしくはそれは、僕の平穏な人生が動き出す合図だったかもしれない。

 唯我独尊、高慢ちき、傲岸不遜……そんな言葉が彼女を表すにはピッタリだった。

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