《四章 厄災との遭遇》
かれこれ三十分ほど船内を回ってみたが、やはり人は誰もいないようだった。船内を探索する中、ルーグナーはせっせと壁に跡を書き残していく。広い船内だからか、同じところを回っているような気がする。
「ん?」
ふと気付いた。あの壁に残っている跡はルーグナーがつけていたものだ。いつの間にか一周してきたらしい。
「ここはもう見た場所でしょ?」
私の問いかけに、「ああ、そうらしい」と答えたルーグナー。意外と方向音痴なのかしら。意外な一面を知った。
「やはりここから出られそうにないな」
「何よいきなり」
出られそうにない?ここは船なんだから、出るも何も無いはずだ。
「そんなに出たいなら、甲板にだって出られるし、窓から飛び降りさえすればいいじゃない。でも、ほら見てみなさい。ここは海の上な────」
廊下にある窓から外を見ようとした私の目と、窓からこちらを凝視する『眼』が合った。目を逸らそうとしたができない。窓から黒い手が何本も伸びてくる。体を、いや魂がそれに吸い寄せられていく。
この『眼』は私だけを映している。自分が引き伸ばされ、混ざり合い、崩れ合い、意識がその『眼』に吸い込まれていく。段々と、段々と、それは強くなり、私は、私は……誰なのだろうか。誰かの意識が混ざっていく。これはあのインペルか?あいつもこれに取り込まれたんだ。違う、取り込まれたんじゃない。インペルなんだ。私も不思議とそれに恐怖はない。意識が薄れ────
「起きろ。起きろルナ」
「はへぇ?」
目を開けると、男がいた。誰か知らないけど、結構いい顔してるな。
「俺だ。ルガ────ルーグナーだよ」
こいつ、今なにか噛んだな。てか、ルーグナー?ああ、さっきのあいつね。
「さっきのは何が起きたの?」
今起きたのは、明らかに超常現象の類だ。意識が朦朧としていただけとは思えないほど、記憶がはっきりとしているし、嫌な感覚が体に残っている。
「悪魔に魂を持ってかれたんだよ。あいつと目を合わせすぎだ。俺がいなかったら、お前は今頃生きていない」
悪魔。それはこの国に根付く古くからの存在。それとの契約は禁じられている。田舎の方では伝承くらいだったが、王都となればやはり別なのだろうか。
「悪魔ってそんなぽんぽんといるもんなの?」
素朴な質問をしてみた。
「あんなことになった後、こんなに元気なやつは初めて見た。まぁ、楽で助かる」
「過去のことをビビってるようじゃ、今を生きてけないからね」
「……そうか」
ルーグナーはどこか寂しい顔をしていた。元気を出してくれると助かる。相方がこんなんだと私まで暗くなる。
「それよりも、他の乗客とさっきの悪魔について教えてよ」
質問の答えが帰ってきてないのを思い出した私はすぐさまルーグナーに聞いた。
「他の乗客は生きてはいる。現世で普通に生活しているはずだ」
「あの悪魔の正体は?」
「あの甲板であったインペルとか言う男だ。対象が拡大するタイプだから、犠牲者一人で済むならいいほうだろう」
「助けないの?」
インペルを見捨てるような発言をしたルーグナーに私は聞いた。
「任務失敗で今回の仕事は終える。わざわざリスクを負ってまで助けるようなやつじゃないからな」
「つまり、まだ助けられるのね?なら、私がなんとかするわ」
「!?」
私の発言に目を見開いたルーグナー。意外と面白い顔できるのね、こいつ。
「助けが必要な人がいたら助けに行く。当たり前でしょ?あんなやつでも見捨てたりしないわ。それが父との約束だから」
子供の頃から父に私は稽古をつけられていた。その時から父は私に、人助けをしなさいと言っていた。人にした行いはいつか巡り巡って返ってくる。だから、良いことを人にするようにって。その教えは私の中に強く根付いている。今までも、これからも、そしてその相手が誰だとしても、私はそれを絶対に曲げない。それが私の生きる理由だから。
「……ああ、助けられはする。だが、少なくともお前には出来ることはない」
私の言葉を聞いてルーグナーは覚悟を理解したらしい。それでも私のことをまだ女扱いしている気がする。はぁ、嬉しいけど、その扱い私はあんまり嬉しくないわよ。父にどれだけ男らしく育てられたと思ってんのよ。
「ならあんたはどうやって私を助けた?私を助けたみたいに、何らかの道具とか方法があるはずよ」
ルーグナーは重い口を開いた。
「あるには……ある。この十字架をぶつけられれば倒せるんだが、生憎空間がねじ曲がってそこまでたどり着けない」
私を助けたのには
「やれやれ、あんたがそんなへなちょこな男だったとは」
ちょっといい男と思ったのが間違いだったようだ。
「何をする気だ!」
そう言うルーグナーを横目に、私は手から十字架を奪い取るとあの『眼』がいる窓へと駆け出す。
「同じとこ回ってたのも、悪魔が原因なんでしょ?」
「そうだが、お前じゃ何もできないぞ!」
後ろであいつが騒いでいるが、鬱陶しい。『眼』の本体に、この十字架をブチ込めばいいんでしょ?だったら、わざわざ船内回っていかないでも甲板までいかなくても────
「窓からで十分!」
ヒールを履いた足で『眼』が見ている窓を蹴破る。ガラスが飛び散り、足や顔から血が流れたが、まったく問題なし。父から学んだことはただ一つ。思い立ったらすぐ行動。
「このままぶん殴ってやるよ、クソ悪魔!」
十字架を握りしめた右手を勢いよく振りかぶる。『眼』はまだ私を見ているのだろう。だが、それも問題なし。目を閉じていれば、何も影響は出ない。
「さっさとここから出しやがれ!」
拳を振り下ろすその瞬間、後ろからルーグナーの声が聞こえた。
「馬鹿野郎!”神聖力”か”魔力”がなきゃ効かないんだ!」
二つとも初めて聞いた単語だ。無鉄砲な私はまたやらかしたらしい。父に鍛えられたからか、思い立ったらすぐ行動する癖は悪いところで発揮したようだ。
神聖力ねぇ。神への信仰心をもとにしたエネルギーと定義づけられる神聖力。私の父も母もソルス教に入ってなかったし、私自身が入ってないからそんな力は持っていないだろう。
魔力。ごく一部の人間だけが持っている特殊な力で、私は持っていない。
ならば、この攻撃は意味がないのか?いいや、そんなはずが無い。信仰心だと?だったら、私は私を信仰してやる。
「だから!私に
私の拳は悪魔に届いた。
***
俺は彼女がインペルを助けると聞いたときには耳を疑った。悪魔を倒す、彼女にはそんな事はできるはずがない。そう思っていた。目の前のルナとやらから魔力を一切感じなかった。それに、この悪魔にはそれこそ『聖女』並みの神聖力が必要だ。だから、俺はまた目の前の人を救えなかったのかと目を伏せようとした。
だが、彼女が悪魔に拳を振り下ろしたその時、彼女の体がまばゆい光に包まれる。悪魔は、抵抗する間もなく存在を消失させられた。今更だが、あの窓ガラスを割るといった行為だってそうだ。この幻世であんな過度な干渉をできるはずが無い。こんなことは、ありえない。いや、今はそんなことよりも────
俺はすぐさま行動に移した。どうなるかは分からないが、俺は目の前の命を助けるのに全力を尽くすとしよう。割れた窓から飛び出て、俺は空へと羽ばたいた。
***
急に周りが明るくなった。それに温かい。見れば、握っていた十字架が金色に輝き、悪魔はそれから放たれた光に焼き尽くされ、その存在は消えた。無事に終わったらしい。
あ、私この後どうしよう。窓を蹴破るという強硬手段に出た私だが、その後のことを全く考えていなかった。窓があるということは、その先は何かしらの危険があるということだ。つまり、
「き”ゃ”ぁ”あ”あ”あ”あ”あ”あ……あ”あ”あ”」
高さ数十メートルというところから、私の体は落下を始めた。ここは現世じゃないみたいだし、どうなるんだろう。
あ、やばい。気絶する最中、私の目には窓から飛び出してくるルーグナーの姿が見えた。あいつ、私を助けるために何する気だ?ばかやろう、私が勝手にしたことに巻き込まれなくていいのに。
そして何かが羽ばたく音が聞こえた。その音と共に私の名前を呼ぶルーグナーの声が近づいてくる。何の羽ばたく音だろう。おとぎ話の”龍”かな。
あ、限界────
あまりの恐怖から、私は意識を失った。
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