《三章 幻旅の始まり》

 目の前には煙が広がっていた。二階建ての木造建築で起きた火災はすぐさま家中に広がり、中は煙でいっぱいだった。私はハンカチで口元を抑え、二階から一階に向かう。幼い体ではすぐに動けない。少しずつ下へ向かい、やっとたどり着いたときには部屋中から炎が上がっていた。熱さで眩みそうになる中、なんとか両親を探す。リビングにはいなかった。火はさらに勢いを増す。


 キッチンで母と父が倒れていた。そしてその二人の服を漁っている見知らぬ男がいた。男はこちらに顔を向けたが、顔はまるでインクが覆いかぶさっているように真っ黒でよく見えない。炎で明るいというのにその顔の影は一切消えない。男は私に気づくとすぐに窓を蹴破って逃げ出した。両親に近づくと、手に何かが触れたのに気付いた。私の手を見ると真っ赤に染まっていた。


 私の緊張の糸が限界に達したことや、暑さで意識が朦朧とし、私の意識は徐々に薄くなっていった。その時、背後から足音がした。そこには、私よりも少し年上であろう男の子がいた。その瞳はオッドアイ。彼の手には、ナイフが握られていた。


 私の意識はそこで失われた。


 ***

 

 私は眠たい目を擦りながら窓の外を眺める。


 甲板での一件のあとディナーを食べて、部屋に戻った私だったが、窓から見える景色を眺めてボーっとして寝てしまったみたいだ。今までは田舎に住んでいたから、乗船したことにワクワクして疲れたのだろう。


 夢で見たのは昔の記憶だった。あれは多分私がまだ今の両親に育てられる前、すなわち本当の両親と暮らしていたときの光景だ。両親に相談して調査してもらったが、一切分からなかった。これは調べても無駄なのだろう。


 ────そんな時、唐突に船の汽笛の音が響いた。


 それは船内にいた誰もがその音を確かめようとするほどので、私はそれに驚いて廊下に駆け出た。私の目には、曲がり角を曲がる男の後ろ姿が見えた。


 あの雰囲気と横顔は、インペル?


 急いで後を追いかけるが、誰もいない廊下が目に入った。何が起こっているんだ。インペルは?他の人はあの音を聞いてなんで出てこないの?今まで味わったことがないほど、体の血の気が引いている。


 本当に誰もいないのか確かめていた時、後ろから足音が聞こえてきた。それは近づいてくる。死を告げる秒針のように、その音は私を恐怖に駆り立てた。対峙しようとしたが、首が、体が動かない。


 諦めた私に、無常にも死の足音は近づいてくる。一歩ずつ、一歩ずつ、後もう少しで私の真後ろに来るだろう。そうしたら、私は死ぬのだろうか?


 襲われるという私の予想に反して、音は少し後ろで止まった。そして、まるで人であるかのように、その音の主は話しかけてきた。


「お前、どうやってこの幻世イーオンに入ってきた?」


 イーオン?初めて聞いた言葉だ。いや、そんなことよりもこの男の声に聞き覚えがある。


「あなた、もしかしてさっきの男?」 


 化け物の類じゃなさそうだったことに安堵した私。緊張が解けて動けるようになった私が振り返るとそこには予想通り、さっき私を助けてくれた高身長の男がいた。


「な〜んだ、心配して損した」


 一安心といったところだろうか。だが、無常にも男は私に告げた。


「お前、もう”巻き込まれているぞ”」


 うん、どーしましょう?明らかに不可解なものよね、この状況。さて、こいつはやけに慌ててもいないし、この現象についてなにか知っていそうね。


「それよりも、あなた今何が起きているのか知ってる?」


 私が問いかけると、男は「ああ」と答えた。一人でこの船内にいるよりは、この人と一緒にいたほうが安全かしら。


「俺についてくるのはいいが、大変なことになる」


 私の考えを見透かしたような目をしてこちらに言った男。仕事ということは、やはり今の事態に慣れている人物のようだ。何が起こるのか分からないし、行動を共にするか。


「あなたと一緒にいたほうが安全そうだしついて行くわ。それと、さっきから名前がわからないから不便ね。あなた、名前は?」

「ルーグナー。ただのルーグナーだ」


 目をそらしながら、彼は言った。少し思う所はあったが、まぁ気にしないでおこう。


「そう。なら私もルナでいいわ。対等な立場でいきましょう?」


 興味なさそうに私が言うと、男は何も言わずに歩き出した。よくわからない男だが、まぁこれでいいか。

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