《二章 航海の始まり》

「海は広いわね〜」


 視界いっぱいに広がる青。富裕層が多く乗っている船の甲板、そこで私は海を眺めていた。ぼーっと眺めているといろんなことを考えてしまう。


 私は拾い子らしく、町外れの参道に捨てられていたところを、今の両親が助けてくれたらしい。当時四歳だった私に”ルナ”という名前をつけてくれた。女の子らしい名前をくれた母には感謝だ。父はといえば、凛々しい名前や力強い名前を考えていたらしい。


「私だって淑女なのだから、女の子っぽい名前のほうが嬉しいに決まっているのに」


 父への愚痴というか、ちょっとした不満を私は口にした。


 父はこの国の情報局務めで、度々家に帰ってくる。母は元々(何番目かは忘れたが)騎士団の隊長をしていたが、任務で今の夫と出会い結婚。子供を身ごもったことで騎士団を辞め、田舎で暮らすようになった。


 義理の兄達は既に成人を迎えており、今は母の道を継いで騎士団に入ったらしいが、どこの団か前に聞いてみた。そうしたら、かる〜くはぐらかされてしまった。何かあるような雰囲気だったが、なんだろうか。


 一人考え事をしていると、私に声をかけてきた男がいた。


「俺はシアーズ伯爵家の長男。名前知ってる?」


 シアーズ……ああ、この船の出発地点でもあるシアン領の領主ディアンの息子ね。確か名前はインペルだったかしら。噂に聞いていた通りの色男だけれど、まぁなんというか、女慣れしてるわね。女遊びをしているという噂も立っていたが、どうやら本当のことみたい。


 私に話しかけてきたこの男。自分から話しかけてきたということは、私のことを知らないようね。一応私も貴族なんだけど、それもそうか。田舎の方だし。それに、王都に女一人で行かせる貴族や権力者は普通はいないだろう。


 おっとまずい。目の前のイ、イ……インペル!彼に何か返さないと。


「これはこれは、インペル様。もちろんでございます。私はカルディア地方のルナと申します。私に何か御用でしょうか」


 これがあるから貴族や権力者と絡むのは面倒くさい。やれ立場やら、やれ利権やら、自分のものを守るためなら他者のことを軽くあしらうその態度に、不満を抱えてはいるが、私ももう成人だ。社会のルールには従おう。だが、爵位は名乗らないでおく。これ以上めんどくさくなったら困る。


 てか、シアーズ伯爵って、海賊との取引をしてるとかの黒い噂がある家だ。これは、嫌な予感がする。


「そんなことはいいや。部屋の場所がわからなくなってさ、案内してくれないかな?」


 あ〜噂通りの男だこいつ。やばいやつに絡まれてしまったわね。どうしようかしら。


 私が反応に困っていると、「おっと危ない。波で倒れそうだったのでついお手を」と言ってインペルは私の手を掴んできた。


 危ない。手が出かけた。少しでも気を抜いていたらこいつを殴り飛ばすところだったが、なんとか踏みとどまれた。だが、こいつに手を握られているのは嫌なので手を振りほどく。すると、男の態度は一変した。


「お前、そんな態度をとってもいいのかい?」


 あら、本性出したわねこいつ。さて、どうしようかしら。既にどこからか現れた十人ほどの男に囲まれてしまっている。戦えば勝てるだろうけど、後々面倒なことになるのは避けられない。けど、このままこいつについていくのも良い結果にはならない。


 仕方がないと、服のポケットから”とある物”を取り出そうとしたその時────


「俺の連れに何してる?」


 ────背後から男の声がした。


 後ろを振り返ると、身長が高く、黒髪の男がそこにはいた。地面には男が三人のされている。いつの間に!?それなりの実力者であろう者達を音もなく軽々と倒したこいつ、強い。男のガタイは筋肉質というわけではないが、構えからして鍛えている方の部類だ。味方なのか?


「俺はシアーズ伯爵家の────」


 インペルはまた貴族の特権で脅そうとした。だが、それは意味のないものだった。男は一歩ずつ足を進める。取り巻きは主人を守るのではなく、様子をうかがっている。私と同じく、相手の実力を見抜いたらしい。 


「うるせえよ。お前の父親にこれでも見せとけ」


 インペルが貴族であることを恐れず堂々と近づいた男は、上着から何かを取り出した。


「あ、なんだこれ」


 私を助けた男はあの厄介そうなインペルに何かを投げ渡した。男がそれを軽々受け取ったかと思うと、その腹に勢いよく右腕が打ち込まれた。周りを囲んでいた奴らはその光景を見て恐れ慄く。そして動かなくなった奴らや、逃げ出そうとする者、向かってくる者を男は瞬く間に無力化した。


 この手際、こいつは一体何の目的でここに?


「おい、怪我はあるか?」

「いえ、おかげで助かりました」


 これで私は何の罪にも問われずに済んだわけだけれども、この人は一体どうするのだろうか?曲がりなりにもあいつは貴族。危害を加えたんだ。ただではすまないだろう。


「それよりも、この人のことを殴っても良かったのですか?一応貴族ですよ?」


 私が聞くと男は背を向け、手をひらひらとしながら船内に戻っていった。よくわかんないけど、まぁいっか。


「あ、名前聞きそびれた」

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