第17話【朝日奈雫は結婚適齢期である】


 平日の昼下がりのオフィス。

 昼食を食べ終わり、数日前に各種SNSにアップロードした動画を見ていた俺の耳に、上機嫌な鼻歌が聴こえて来た。


「フフフン、フフフン、フフ、フン、フン、フン」


 鼻歌のする方を見やれば、同じく昼食を済ませた朝比奈先輩が来客用のソファに腰掛け、雑誌片手に寛いでいた。

 えらく機嫌が良いことで。

 ウキウキした様子を隠せておらず。大人がするには目立つ大きさのツインテールが先ほどからリズムよく揺れている。

 何か面白い記事でも見かけたのだろうか。

 気になって視線を彼女が持っている雑誌に移動。しかし表紙の文字が遠くて読めない。

 もうちょっと。もうちょっとで見え――――。


「明斗くんって結婚願望ある?」

「へ!?」

「だから将来結婚したいの?」


 いきなり先輩がこっちを振り向いたことに驚いてしまい、問いの意味が一瞬理解できなかった。


「結婚……?」

「うん」


 そこで先輩が俺に見やすいように、持っていた雑誌を閉じて表紙をこちらに突き出してくる。それはウェディングドレスに身を包んだ女性がメインで……。

 あ、ブライダル雑誌だ。

 雑誌の名前は俺でも聞いたことあるくらい有名なもので、テレビのCMが印象的なものだった。

 思い返してみたら、さっきの鼻歌も結婚式とかによく流れる蝶々をテーマにした曲だったな。


「結婚かぁ……まぁ機会があればって感じですかね」

「うっわ模範的な可もなく不可もない回答」

「そんなこと言われてもな……。逆に先輩は…………っ」


 と、同じ質問を返しかけたところで、慌てて口を紡ぐ。

 確か現代の結婚適齢期は男性が30歳くらいで、女性がもう少し若かったような気がする。 

 つまり先輩も該当するはずだ。

 これは訊いても良いのか? 俺の偏見になるが結婚というワードは男より女の方が敏感な気がする。それが結婚適齢期であるならなおさら。

 煽りや嫌味に聞こえるかもしれない。

 そんな一瞬の葛藤を縫うように、


「どうかした?」

「あ、いえ。そういう先輩はあるのかなぁって、結婚願望」


 小首をコテっと倒す先輩に促され、結局言ってしまった。

 どうか逆ギレはされませんように!

 そう内心で拝む俺を、蚊帳の外へとおいやるように、先輩ははっきりと一言。


「うん、アタシはあるよ」

「お、おおう……」

「何その反応?」

「いや……メッチャはっきり言うんだと思って」

「訊いてきたのは君じゃない」


 それはそうなのだが、予想外にカラッとした声色で帰ってきたから拍子抜けしてしまったのだ。


「…………」

「…………」

「…………」

「………………で?」


 と、途絶えた会話を先輩が力技で繋いできた。「で?」ってなんだ? こんなキラーパスから俺にどう話を広げろと? 


「へ、へー……意外だな。先輩は専業主婦に憧れるタイプかと思ってました。あ、いや専業ってのは悪い意味とかじゃなくて」

「わかってるわ。それと言葉選ばなくて良いよ。明斗くんの“人となり”は誰よりも分かってるつもりだから」

「それはそれでちょっとキモいですね」

「やっぱり選んでもらおうかしら、言葉」


 かれこれ数ヶ月、この狭く……けれど俺たちだけでは広いオフィスで仕事してるんだ。軽口を叩き合える程度には、気心も知れるというもの。


「先輩って黙ってれば美人なのに、喋ったら自堕落で夢見がちな部分がバレるじゃないすか」


 そういえばいつか、先輩の高校までの夢は可愛いお嫁さんとか言ってたはずだ。


「だから富裕層御用達の閑静な住宅街に一軒家構えて、優雅にアフタヌーンティーに洒落込む日課を送りたいとか思ってそうだなぁって」

「そこまで思ってないわよ」

「似たことは思ってたんだ」

「そんなの誰だってそうじゃない。苦しいこと、辛いことはせずに悠々自適に暮らす。そんなの嫌だって言う人が地球上にいると思うの?」


 それもそうか。

 やり甲斐とか、達成感を求めて苦しい事、困難を望む人はいても、楽な生活を心から拒む人間を探すと言うものは悪魔の証明だろう。


「それにやっと自分の会社を持つことが出来たんだもん。すぐに引退なんてしないわ!」

「あ、先輩社長でしたもんね」

「むしろ社長以外のなんだと思ってたのよ……」


 まったく……と何故か辛辣な言葉を浴びせられて満足気に吐息をつく朝日奈社長。

 やっぱこの人、若干Mっ気あると俺は睨んでいる。


「と言うか君、“機会があれば”なんて言ってるけど社会人なんてロクに出会いないのに、いい加減な気持ちじゃ無理よ」

「うぐっ……」

 

 痛い所を突かれてしまった。

 社会人となれば、ほぼほぼ関わる人物が限られてしまう。大抵は同僚か取引先。あるいは新入社員くらいで、恋愛対象として見る以前の問題だ。

 かといって結婚相談所やマッチングアプリを利用するのもためられってしまう。

 そこまで見抜かれていたようだ。


「そもそも“なんとなく”じゃ婚活しようないし、まずは明斗くんのタイプの女性を明確にするところから始めるわよ!」

「いや別にそんなこと誰も頼んでないので」

「頼まれてなくてもアタシがやりたいの」

「それ、世間一般ではありがた迷惑って言うんすよ」

「知ってる!」


 じゃあやめてくれ。

 だが往々にして女性というのは恋愛事に興味津々で、先輩は記者かのようにメモ用紙とペンを持つと、俺に対岸のソファに座る様に促す。

 この強引さから逃れる方法を、俺は未だに知らない。


「まずおっぱいは大きい方が好きだよね」

「ナチュラルにド偏見持つのやめてくれません?」

「でも君、よくアタシの胸見てるでしょ」

「…………」

「次は髪の長さ! ロング? ショート? それともボブとかミディアム?」

「特に気にしたことないんすけど」

「強いて言うならで良いよ。さぁ、明斗くんはどんな女の子の髪が好き?」

「んー……じゃあ長い髪で」

「へ、へー。ふーん……そうなんだぁ」


 ササッとメモ用紙にペンを走らせ終えると、先輩がおもむろにツインテールのゴムを外した。結び直すのだろうか? と考えるも、先輩は長い間縛られていたせいで形が残っている髪を両手に運ぶと。軽くならして自身の背中へと追いやった。

 ツインテールってそう長時間できなかったりすのだろうか。かなり大きめのツインテールだったし、重かったのかもしれない。


「あとはー年齢は? 年上と年下どっちの方が好み?」

「年下は大抵学生なんで年上。何かの間違いで警察の厄介になりたくないし」

「ふむふむ……他にこれだけは譲れないことある? 子どもだけでサッカーチーム作りたいとか」

「なんすかその精力お化け。……まぁ、譲れない訳じゃないけど、料理とか家事全般得意……もしくはお互い納得いく形で分担することを認めてもらえればって感じっすね」


 毎日行う家事でストレス溜めたくないし、パートナーとのいざこざも極力避けたいというのが本音だ。


「まとめると、年上の髪の毛が長い巨乳の人ね。……ん? あら? フフッ……ふーん。そっかぁ」


 と、今まで出て来た情報をまとめていたであろう先輩が、不意に笑いだした。それもニマニマという表現が似合う、ねっとりとした笑みだ。

 やがて先輩は紅の瞳を俺に向け、


「君のタイプって――――アタシだったんだ」


 ……………………は?


「はあ!?」

 

 何言ってんだこの人!?

 どう考えたらそうの結論になるのか、まるで意味がわからん。

 

「だってだってぇ、アタシ胸には自信あるし、髪もロングで君よりお姉さんだよ?」

「あの、家事云々は?」

「それに――――」


 ちょい待て無視するな。

 まるで都合の悪いことは聞こえませんとでも言うかのように、俺のツッコミをスルーし続ける先輩。

 俺の好みなんか無理に意識する必要なんてないのに……。


「だからアタシって、美人でスタイル良くておっぱいも大きいし、ロングヘア―の年上、さらに社長っていうステータスまで持った超超超優良物件なんだよね」

「へー」

「社会人なんて出会い無いから職場の人と……選択もアリだと思うんだ。どうする? オフィスラブしちゃう?」

「ハハッ、冗談ですか」

「おい待てそれはどういう意味だコラ」


 割とガチトーンで詰められたけど、先輩が俺と結婚? ご冗談を。信頼はされてはいれど、俺が彼女に釣り合っている訳ないじゃないか。

 どうせ俺を揶揄うことに躍起になって、自分の発言の意味をちゃんと考えられていないのだろう。

 だから俺は先輩に目を覚ませと、言外の意味を込めて言ってやる。


「むしろ先輩はそんなこと言ってどうなんすか。俺と結婚なんてして良いと思ってるんすか?」

「もちろん良いよ」


「………………………………え?」


 先の数倍間抜けな声が俺の口から零れた。

 は? 何が“良い”って?


「アタシ結構、君のこと好きだよ? ノリ良いしルックスも悪くない。カッコいい……というよりは可愛い系だけど、全然オッケー」


 そうサムズアップした先輩は、不意に俺たち2人を隔てる長机から身を乗り出すと、上目遣いで一言。


「ねぇ、君はアタシをお嫁さんにするのは嫌?」


 脳幹を刺激するような甘ったるい声色。

 視界が眩しい金髪と、血のような鮮やかさを持つ赤眼の女性に支配さる。

 自分の顔に熱が帯びるのを感じる。

 鼓動が徐々にギアを上げていき、やがて早鐘を打つ。

 もしかしてだけど……朝比奈雫という女性は真っ当に可愛いのでは?

 そんな可能性が脳裏で浮上する。


「お、俺は――――――――」


 言の葉を紡ごうと口を開くと、いつの間にか水分が無くなっていて上手く喋れない。

 その隙を縫って先輩は俺の顔に、そのルージュが引かれた朱唇を近づける。

 これってまさか……!?

 咄嗟に目を瞑って視界を閉じるが、いつまでたっても一瞬想像してしまった可能性が起きない。

 が、俺がおずおずと閉じていた目を開くと同時。


「キスされると思った?」


 小悪魔あるいはいたずらっ子のような笑みを讃えた、先輩と目が合った。

 遅ればせながら事態の全容を把握した俺は、スーッと息を肺に溜めて、


「やっぱ冗談じゃねぇか!」


 人目っも憚らず、全力で絶叫した。

 


 **********


【あとがき】

 

 拙作をお読み頂きありがとうございます。

 ただいま本作はカクヨムコンテスト10に参加中でございます。

 面白そう、続きを読んでみたいと思って頂ければ評価応援、感想など頂ければ幸いです。(☆1つでも是非……)

 非常に励みになります!




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