第16話【朝日奈社長は渋る】

 

 口を酸っぱくして言うが、弊社“朝日奈カンパニー”は設立したてホヤホヤの新人企業である。

 しかも発起人である朝日奈雫を含め全2名の社員も20代と、これからが未知数であると同時に先行き不安な要素がたっぷり。

 それは会社として、あるいは業務や社員間のトラブルに至るまでどんな些細なことであれ、イレギュラーには大慌てになってしまう。

 例えば――――。


「先輩、ちょっと聞きたいことがあるんですけど、良いですか?」

「ん、ちょっと待ってね……」

「別に急ぎじゃないんで忙しかったら大丈夫っすよ」

「いいよいいよ。もうすぐ一区切りつくから」


 何気に今の会社に勤めだしてから初めて有給を消化した翌日。

 昨日の夜にふと思った疑問の真意について、俺は先輩に答えを求めた。 


「おっけー、なになに?」


 先輩が空になったと思しきマグカップ片手に自分のデスクから立ちあがる。

 昼の15時3時を過ぎたこの時間帯。いつも30分ほどの小休止を取っている時間なので、休憩がてら俺の話を聞こうってことらしい。

 さて……何かお茶菓子あったかな。

 俺もミルク多めのコーヒーが半分ほど入ったマイマグカップを持って、来客用のテーブルへと移動。棚から封が切られているクッキーアソートの小袋を適当に取って、先に陣取っていた先輩の前のソファに腰掛けた。

 

「ちょっとウチの会社の社則? のことで確認したいことがあって」

「なるほど。てか珍しくない? 明斗くんが自信ないことなんてあるんだ」

「過大評価してくれるのは嬉しいけど、俺は元々経営については素人なんでね。ちゃんと起業するためにお金も知識も積み重ねてきた先輩の足元にも及びませんよ」


 数ヶ月前、朝日奈カンパニーは会社を一新するのを機に、事業や業務内容の変更と共に社則も総見直しを行った。

 その際に社長である先輩の負担が大きすぎたため、俺も一部を手伝ったのだが、素人同然の俺では誤字脱字のチェックや一新前に定めていた社則が登記変更後も使えるのか、一般人視点で調べる程度。

 だから先輩の評価は少々大袈裟だったりする。

 チョコチップ入りのクッキーを1つ口に放り込んだ俺は、乾いた口内にぬるくなったコーヒーを流し込んで本題に入る。


「一昨日の晩、俺会社に居残ったじゃないすか」

「うんうん。遅くまでここで動画の編集してくれてたよね」

「まぁ動画編集なんてモチベが高い時にでもやっとかないと、面倒極まりないもんなんで。――――で」


 と、手短な前置きを経て話を本題へと移行。


「あの時、先輩“1分たりともサービス残業なんてさせないわ!”って啖呵切ってたけど、具体的に残業代の内訳とか支払い時期っていつになるんですかね?」

「――――――――」


 あ、フリーズした。

 まるで一時停止をボタンを押されたかのように表情を固め、「スー……」という空気が抜けるようなギリ声と認識できる音を零す先輩を前に、直感的に悟る。

 何も考えてなかったな。

 大方予想通りの反応。この人、後先考えずに気前の良いこと言う癖あるんだよ。


「あー……別に今すぐ欲しいとかじゃなくて、どうなんだろっていう単純な疑問? というかさ。経理触ってる先輩が迷わないように確認というか? “見做し”でも“歩合”でも良いし、普通の給料と同じタイミングでも良いんで……頼んます」

「あ、ぅ……その……」


 不味ったか。

 安心させようと思いつく限りの提案とフォローを並べてみたが、逆効果で頭をパンクさせてしまったかも。

 今度こそ、言葉にならない音の羅列を漏らす先輩は、先ほどからシャトルランでもしてるかの如き頻度で紅の双眸を左右に反復させ続けている。どこ探しても答えなんてないからね? 仮にあるならパソコンか重要書類として金庫の中に入れてるかだろうし。


 が、そんな俺の胸中のツッコミが届くはずもなく、ついに思考がオーバーフローした先輩は、お代わりを入れたばかりでまだ湯気が立ち籠っているコーヒーを煽る様に一気飲みして、俺を見据える。

 相当暑かったようで若干赤くなった唇と水分を過分に含んだ瞳が、プルプルと震えていた。


「…………」

「…………」


 舞い降りた数秒間の沈黙。

 その均衡を破ったのはやはり先輩。

 突然、身に着けている薄手のアウターの前をバッ! と開いて、上半身をこちらに突き出してきた。


「ど、どうぞ!」

「えっとー……なにが?」


 彼女の行動も言動も意味がわからなかった。

 何が「どうぞ」なんだ?

 熱々のコーヒーを飲んだ時とは別種の涙目かつ、口を悔しいという感情を大仰に表すように引き結ぶ先輩。俺、残業代について相談しただけだよな? なんだこの俺が悪いみたいな雰囲気。


「残業代は1分に付き1揉み、社長であるシズクのおっぱいを揉む権利を進呈しますっ」

「…………」

「くっ……! 辛いけど……お金がない内は身体で払うしかないんですぅ」


 などと、こちらが宇宙をバックにした真顔の猫よろしく、唖然としていっる間に先輩の1人小芝居が行われる。

 この人定期的に自分から弄られるようなことしだすよな。

 

「垂れてるのを揉んでもなぁ……」

「あ? アンタ今なんて言った? 誰の! 何が! どうなってるって!?」

「ちょ、冗談! 冗談っすから!」

「訂正しなさい! シズク社長のおっぱいは大きい上に張りがあって柔らかい美巨乳だって! はいSayセイ!」

「パワハラとセクハラだー!」


 ちょっとボソッとボケてみたら、一瞬で涙目モードをオフにした先輩がテーブル越しにも関わらず俺の胸倉を掴みかかってきた。

 く、苦しい……。あと、コーヒーまだ入ってるから危ない!

 初撃こそ不意を突かれて劣勢を強いられていた俺だが、されど男女の腕力差。しかも頭1個分ほど背が高い俺は、力でどうにか先輩を引き剥がして落ち着かせることに成功する。


「だから冗談ですから。というか残業代はきちんとお金で下さい」


 なんか当然の権利であり主張なんだけど、諭すような言動でお金せびるって嫌だな。


「ううぅ……お金、お金って――――“やりがい”があるでしょ!

「まだ暴走してたかぁ」

「このアタシと一緒の空間で一緒に仕事ができる。これ以上の幸福やりがいってある? ないでしょ!」 


 やべぇ、この人。今日日どのブラック企業でも言わないようなブラックな発言しだしてる。というか自分への評価高過ぎないか、この人。

 まるで当たり前のことであるかのように、堂々と言う先輩の真に迫る虚言に、俺は思わずスマホを取り出して電話アプリを開こうとしていた。


「ろろ……労働基準監督署労基に連絡……」

「ちょちょちょ、待って待って。労基はその……勘弁してくださいって……」


 やはり経営者として恐れているのか、“労基”の言葉を耳にした途端、先輩は冷静になった。


「ねぇ、ホントに労基に連絡しないよね? ね? 君ならさっき言ったこと冗談だってわかってくれてるよね?」

「はいはい、わかってますから安心してください」


 結局、残業代はその月の給料と一緒に払われることになったが、この日。仕事が終わって帰路が別れるまで、先輩は労基に怯えていた。

 俺が先輩を訴えるような真似、やるわけないのにさ。



**********


【あとがき】

 

 拙作をお読み頂きありがとうございます。

 ただいま本作はカクヨムコンテスト10に参加中でございます。

 面白そう、続きを読んでみたいと思って頂ければ評価応援、感想など頂ければ幸いです。(☆1つでも是非……)

 非常に励みになります!


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