第15話【朝日奈社長は社員を労う】

 

「ん、んんんん…………」


 気が付くと曖昧な意識があった。

 記憶に連続性がなく、合図もなしに始められたような感覚。

 ほとんど毎日感じる、慣れ親しんだ感覚に俺はすぐさま自分がどういう状況であるのか察した。


 寝てた……か。

 胸中で呟くと、徐々にあやふやだった意識に輪郭が帯び始める。

 喉は乾いたし閉じたままの目も目クソが溜まっているようで気持ち悪い。朝目が覚めた時にいつも感じることばかりだ。

 

 となると、まず行うべきは時間の確認だ。

 いつも設定しているアラームが鳴った覚えはない。つまり早く起き過ぎたか……あるいはその逆。

 その真意を探るべく、俺はベッドの上に置いてあるはずのスマホで時間を確認しようと右手を伸ばし――――。


「んっ」


 何かに手が当たった。

 柔らかいのに驚くほどの弾力性を秘めた何か。当たった瞬間弾かれたが肌触りが布のように感じた。

 そもそも中空で何かにぶつかるということ自体がおかしい。

 だがそんなことより、俺が驚いたのは耳朶を打った呻き声だ。

 手が何か触れた瞬間、確かに聞こえた。

 俺は大学進学を機に一人暮らしをしている。学生時代は大学が提携している学生アパート、就職後は転職前後で引っ越しているが、どちらも中の中くらいのアパートで生活しており、同居人はおろかペットすらいない。

 だから俺以外の誰かの声が聞こえることそのものが、土台があり得ない話である。

 そこまでの思考を経て、ようやく俺は目を開ける決心をした。

 

 目を開けるそれすなわち起床を意味する。

 もし俺の手が当たったモノや聞こえたモノがただの幻で、現在の時刻が午前5時台とかだと、「もっと寝れたのにー」と後悔するだろう。二度寝して遅刻したらと考えると、気持ちよく寝れないからな。

 しかし今はその悩みに自分の身の回りの現状を解明したいと言う欲が勝った。

 

 かくして目クソでムズムズする瞳を開けると――――大きな双丘が視界の大半を覆い尽くしていた。


「うおっ、でっか……」


 開口一番思わず率直な感想が喉からつい出た。

 縁の所にブランドのロゴが入った、まっピンクのスポーツ用インナーに包まれた大きな女性の胸が、文字通り目と鼻の先にあった。

 

「な、へ? ここ……ん、どこだ……?」


 あまりに突飛かつ刺激的な光景に鼓動の高まりと動揺を律することができない。

 誰? というかこの体勢……俺、膝枕されてる!? 

 そこで遅ればせながら後頭部の感触が、普段使っている枕のもではないことに気が付いた。やや高くて、柔らかいけど奥には枕にはない芯のような固さ。後頭部の辺りが若干隆起しており、またうなじの辺りがほどよい熱を帯びている。 

 俺の本能が言っている。これは膝枕されている……と。齢20数年、1度も経験ないが。

 

「あ、明斗くん起きた?」


 そこで、自分の現状をしているに声がかかった。

 明るくて高い……だけどキンキンするものではなく、むしろ聞いているだけで心が温かくなるような、今年もっとも耳にしている女性の声。


「朝日奈せん……ぱい?」

「ふふっ、まだぼーっとした感じかな。おはよう」

「おはようございます……」


 大きな胸の先から目の下くらいまでを出して覗き込んできたのは、予想通り朝日奈雫先輩だった。

 ニコパァっと向日葵のように快活な笑顔を見せてくれた先輩。その瞳はいつもの紅色ではなく、本来の黒色をしている。

 何気にカラコン無しの先輩を見るのは初めてだな……。

 普段の赤眼だと金髪と相まってアニメキャラ的な可愛さが強いが、黒瞳だと金髪にも関わらず日本風の美人という印象が顔を出している。


「先輩、これは――――」

「あらら、覚えてない? 明斗くん昨日の夜オフィスで寝ちゃったんだよ?」

「え……?」


 言われて俺は仰向けだった頭を横に倒して辺りを確認する。俺が動いたせいで「きゃっ」っと、先輩が嬌声を零したのは気付いてない振りを努める。

 

「会社だ……」

「だからそういってるじゃん」

「いやでも俺昨日は居残って動画の編集して……。終わったあとに先輩に言われて一休みしようと――――」


 あれ? それ以降の記憶がなかった。

 もしかしてそのタイミングで寝落ちたのか?


「会社は!?」

「ここだよ」

「そうじゃなくて今何時なんすか!? まさかもう出社時間過ぎてるんじゃ――――」


 辺りを見渡してわかった。

 窓から見える空が澄んだ空色をしている。つまり太陽がある程度昇っている日中

 完全に寝過ごしてしまった!

 とにかくまずはタイムカードを……そう思って、先輩の膝に預けていた頭を上げて、上体を起こそうとしたその時。


「はいちょっとストーップ」

「わっぷ」

「んっ」


 起きかけた頭の進路を幅むように、視界に大きな胸が飛び込んできた。先輩がやや上体を屈めたのだ。

 急に現れたものだか当然止まる事などできず、顔面から先輩の胸にダイブ。

 ボムッ! としか表現しようがない、沈み込みそうな低反発性と柔らかさを兼ね備えた、世間一般の男性諸君の九割九分九厘が羨む巨乳モノとの邂逅。

 驚嘆と呆然が先行し、歓喜の情が湧いたのは俺の頭が先輩の膝元に戻ったあとのこと。ふわりと甘い香りの余韻が鼻孔をくすぐる。


「コホン……明斗くん、起きる前に君はまずやるべきことがあるんじゃない?」

「やるべきこと?」


 謎に畏まってそういった先輩の言葉の意図がわからない。

 やるべきことも何も、膝枕をしてもらっているこの状況ではできることなど、無いに等しいではないか。

 俺の口から望む回答がでなかったのが、気に食わなかったようで、先輩は不満げに唇を尖らせて言う。


「こーんな美人なレディの膝を枕として何時間も使っておいて、感想の1つもないんだぁ」

「え……?」

「あーあ。せっかく頑張ってくれた君のために特別にしてあげたのに、雫ショックだなぁ」

「えっと、その……」


 言われてから俺は三度己の置かれている状況の認識を改める。

 たしかに……他の事の方が衝撃的だったからすんなりと受け入れてたけど、そもそも先輩に膝枕してもらっている状況がヤバいだろ。


「すみません。重かったし何時間も同じ体勢で辛かったっすよね」

「はぁ……違うんだよ、明斗くん」

「違うって……何がっすか?」

「アタシが欲しいのは謝罪じゃなくて、なの。大体、謝って欲しいならとっくの昔に止めてるわ」

 

 まさかの謝罪拒否。というか膝枕の感想って何言えば良いんだ?

 触感とか寝心地とか匂いとか言えば良いのか? でもこれって1歩間違えればセクハラ案件だよな? はっ! まさか先輩は俺を解雇する口実が欲しいのでは!?

 なんて考えが脳裏を過ぎる。

 が、それも一瞬。

 朝比奈先輩この人、結構軽い下ネタとか自分で言っちゃうし、解雇されそうな理由に思い当たりもない。恥ずくて絶対本人に言えないし言いたくないが、会社を改めようとした時点で、一蓮托生の信頼関係は築けていると思う。

 ということは今俺がすべきは、多少の配慮など無視して率直な感想を言うことか。


「一言で言うと……最高です」

「へ、へぇー。どんなところが? 適当にお世辞言ってもアタシは騙されないわよ」

「色々あるけど、安直にまず柔らかいし大きいところかな」


 言って、意識を少しだけ後頭部へと集中させる。

 

「この前の尻相撲の時に身体に叩きこまれたけど、先輩って下半身がしっかりしているというか、こう……男が理想とする肉付き。その理想の一角だと思うんすよね」


 そりゃあ、巨乳貧乳論争が相いれないように、太腿にも人それぞれに性癖フェチがある。太いもの細いもの……されど先輩のモノは間違いなく男を虜にする太腿である。

 

「張りがあって、でもちゃんと柔らかいし大きさも申し分ない。この膝枕が嫌いな奴なんていないって断言しても良い」

「そ、そんなに?」

「ええ、それに先輩レベルの美人にしてもらえるなんて、お金取るっていわれても文句言えねーっすもん。……あ、取りません……よね?」

「取らないわよ」


 さすがに匂い嗅いだり、頬擦りまでし出したらキモがられるだろうから、この辺りまでが言葉にして良いラインだろう。でも許されるなら頬擦りしたくなるくらい極上の膝枕であることは事実。

 あとで起き上がる時に、どさくさに紛れて少しやらせてもらおう……などと邪な魂胆が浮かぶ。

 

 それから2言3言交わし、俺が起き上がろうと再度身動ぎを始めると、先輩が俺の額に優しく左手をあてがった。

 なんぞや? と逸らしていた視線を先輩の方へとスライドさせると、先輩は優しい……母親が子どもに向けるような穏やかな表情で俺に言った。

 

「まだ。まだこのままでいていいよ」

「いやでもさすがに、もう就業開始時間も過ぎてるし……」

「今急ぎの案件もないし、進めてる分も順調だったよね? だったら大丈夫。昨日遅くまで頑張ったんだもん。たまには休まないと」

「でも……」


 と、どうにか反論しようとする俺の頭を優しく撫でる先輩。

 たかが頭の上で掌を滑らせる行為。されどそれが、どんどん俺の抵抗力を奪っていく。


「アタシがもうちょっと君を膝の上に乗せておきたいの。これ、社長命令だから」

「すっごい横暴な命令っすね」

「頑張ってる社員を労うのも社長の務めなのです。ダメかな?」

「お気遣い痛みります」


 あぁ……こりゃ駄目だ。

 そんな屈託ない笑顔でこっちの心配されちゃ、反論する気も失せてくる。

 大人しく先輩の好意に甘えよう。


「あ、そうだ……」


 しばらく先輩の膝枕で微睡んでいると、彼女は思い出したかのように俺の耳元で呟いた。

 

「――――こんなことするの、君にだけだからね」


 その後、心臓が早鐘を打ち続けたまま時間が過ぎ、俺はこの午前中半日の有給を消化した。



 **********


【あとがき】

 

 拙作をお読み頂きありがとうございます。

 ただいま本作はカクヨムコンテスト10に参加中でございます。

 面白そう、続きを読んでみたいと思って頂ければ評価応援、感想など頂ければ幸いです。(☆1つでも是非……)

 非常に励みになります!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る