第41話 四人目の家族

 真一と涼子が仲を深めたこの日の夜、沙織の家は賑やかな声に溢れた。台所には女性三人が並んで食事の準備。邪魔だと台所から追い出された真一は居間を片付け、四人ですき焼きの鍋を囲んだ。その後も美咲が持ってきたTVゲームでパーティーゲームを楽しむなど、四人の顔から笑いが絶えることのない楽しい夜となった。

 そんな中、帰ろうとした涼子を止めたのは沙織だった。当初は難色を示していた涼子も、三人から泊まっていけと促され、この日は泊まることになる。

 なお、真一と涼子を同じ部屋にしようとする美咲の目論見は――


「みーさーきーっ!」


 ――二組の布団を居間に運び込もうとしたところを発見されて、残念ながら阻止された。美咲は、子どもの頃以来のげんこつを頭に受けることになったが、美咲は美咲なりに気を使っているようだ。

 結局、涼子は居間に、沙織と美咲は沙織の寝室に、真一は別の空き部屋で寝ることになったのだった。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 深夜――


 明かりも点けず真っ暗な中で、そっと玄関に向かう人影があった。その人影は沙織の家を出ていこうとする。


「こんな時間にお出掛けかしら、涼子さん?」


 玄関戸に手をかけた涼子は手を止めた。声を掛けたのは、沙織だ。

 玄関戸から差す月明かりに薄っすらと照らされているふたり。ゆっくりと振り向く涼子の姿は、沙織から見ると逆光で細かな表情は分からない。


「何か様子がおかしいと思ったの。涼子さんほどの良識のある方なら、手ぶらでひとの家に来るなんて、普通ならあり得ないもの。寮付きの会社に就職したって言ってたけど……あれも嘘でしょ?」

「…………」


 涼子は何も答えられず、ゆっくりとうなだれた。


「涼子さん、あなたが自らの命を絶ったら、真一くんはどう思うかしら?」

「! …………」


 何もかもが嫌になり、はじめから死ぬ気だった涼子。今日、真一と唇を重ねて、心を通い合わせたことで、もう思い残すこともなくなったのだ。しかし、そんな心の中を沙織は見抜いていたようだ。


「真一くん、立ち直れないでしょうね。涼子さんを守れなかったって、きっと一生悔やむわ」

「わ、私は……」


 顔を上げた涼子に、沙織は優しく語りかける。


「今日、真一くんとふたりでいて……真一くん、なんて言ってた?」

「…………」

「真一くんが何を涼子さんに言ったのか、どんなお話をしたのか、私は一切知らない。だから知りたいの。真一くんが何を言ったのか」

「…………」


 沈黙の時間が続く。


「私はね、真一くんがどんなことを涼子さんに言ったのか、何となく分かる。でもね、私はあなたの口から聞きたいの。涼子さん、私に教えてくれる?」


 逆光ではっきり見えない涼子の顔から輝く雫がいくつも落ちる。声を震わせる涼子。


「私が……私が……とても……魅力的だって……」

「うん」

「こんな私を……可愛いって……」

「うん」

「笑って……ごらんって……」

「真一くん、なんて言ってた?」

「ううぅ……」


 涼子は耐えられずに嗚咽を漏らした。


「ごんな……わだじを…………ぎれいだって……」


 涙を零す涼子に微笑む沙織。


「涼子さん、真一くんがその場しのぎにそんなことを言うと思う?」


 涼子は首を左右に振った。


「そうよね、それは真一くんの本音だと私は思うわ。涼子さんはもっと自信を持っていいと思う」

「でぼ、でぼ、わだじ……」


 真一の言葉を信じたい涼子。しかし、深く刻まれた心の傷がそれを許さない。涼子は劣等感の海に溺れ続けていた。


「涼子さん、今夜はこのまま泊まって。朝になっても気持ちが変わらないようなら、私はもう止めない。涼子さんの好きにしたらいいと思う。でもね、これだけは忘れないで」


 涙ながらに顔を上げる涼子。


「あなたに何かあったら、一番傷付き、一番悲しむのは真一くんだということを」


 涼子は両手で顔を覆い、小さく嗚咽おえつを漏らしながら身体を震わせた。そんな涼子を優しく抱き締める沙織。


「ほら、今夜は私の部屋で一緒に寝ましょ。美咲ちゃんもいるし、ね?」


 自らの命を投げ捨てようとした涼子に、ギリギリのところで手を差し伸べることができた沙織。涼子はその手をしっかりと掴んだ。


 暗がりの中、そんなふたりの様子を窺う目があった。その目は、涼子が沙織の手を掴んだことで安心したのか、ふっと消えていった。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 翌朝――


 居間に集まった四人でちゃぶ台を囲み、朝食を取っていた。昨夜食べたすき焼きの残りを卵でとじたミニすきとじ丼。ちょっとだけ贅沢な朝食に、四人の顔にも笑顔が浮かぶ。

 美咲が真一をせっつくようにヒジでつつく。


「お父さん、ほら、自分で決めたんでしょ」

「あぁ、うん」


 姿勢を正す真一。


「みんなに聞いてほしいことがあるんだ」

「どうしたの、真一くん?」


 美咲はニコニコしているが、沙織と涼子はお互いに顔を見合わせ、何が始まるのかと疑問を浮かべたような表情をしている。


「涼子さん」

「は、はい」

「あの……オレたちと暮らしませんか?」

「え?」

「みんなで暮らしたら楽しいかなって」

「で、でも……」

「それじゃ、もっとハッキリ言うね」


 涼子の目をしっかりと見据える真一。


「オレたちと家族になりませんか?」

「!」

「美咲は賛成してるし、沙織さんには事後報告になっちゃうけど……」

「私も大賛成よ」

「沙織さん、ありがとうございます。無理にとは言わない。でも、オレたちは涼子さんをぜひ家族の一員として迎えたい。涼子さん、どうかな?」


 涙をぽろぽろ零しながら、嬉しそうに微笑む涼子。


「ぜひ……ぜひよろしくお願いいたします」

「やったね、お父さん!」


 真一よりも大喜びしたのは美咲だった。


「あとは、お父さんとくっついてくれると、娘としては一安心なんだけどなぁ。涼子さん、お父さん押し倒しちゃえ!」

「美咲! お前は何を言ってるんだ、まったく……」


 頭を抱えて苦笑いする真一に、三人は大笑いした。


「涼子さん」


 涼子にそっと話し掛ける沙織。


「泊まって良かったでしょ?」

「はい!」

「あなたの帰る家はここだからね」


 嬉しそうに頷く涼子に、沙織も顔がほころんだ。

 真一も優しく微笑み、そんな三人を見て大喜びしている美咲。

 四人ともこれ以上無いほど幸せそうな笑顔を浮かべていた。


 真一、美咲、沙織、そして涼子が加わった四人家族の新しい『幸せの形』を築き上げていく生活が、今始まった。どんな『幸せの形』になるかは誰も分からない。それでも四人は手を取り合って生きていく。その先に家族の幸せがあることを信じて。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 そんな家族の幸せを自ら放棄してしまった亜希子は――






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<次回予告>


 新章『第九章 贖罪しょくざい


 第42話 贖罪しょくざいの始まり



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