第八章 家族

第38話 新たな出発

 昼過ぎ、郊外の住宅地。まだ開発され切れておらず、所々に畑も見えるのどかな感じの街並みだ。そんな中に建っているかなり古びた一軒家。囲っている木の塀も古いのか隙間が多く、家の中の目隠しには少し心もとない。そんな家の前に深紫色の軽自動車が停まっている。真一の車だ。


「真一くん、美咲ちゃん、いらっしゃい!」

「すみません、お世話になります……」

「おばあちゃん、今日からよろしく!」

「さぁさぁ、上がってちょうだいな」


 断罪の日から一ヶ月半。マンスリーマンションで暮らしていた真一と美咲の父娘は、離婚した亜希子の母親である沙織の家で暮らすことになった。


「おじゃましまーす」


 喜び勇んで家へ上がった美咲だったが、真一は玄関でどこか申し訳無さそうだ。


「甘えてしまってすみません、お義母さん……」

「なに言ってるのよ。私言ったわよね、たくさん迷惑かけてって。お昼は食べたの?」

「はい、途中で食べてきました。お義母さん、ありがとうございます」

「……うーん、お義母さんねぇ……」

「?」

「もうお義母さんじゃないから、名前で呼んでくださいな」

「! い、いや、さすがにそれは……」


 居間からひょっこり顔を出す美咲。


「お父さん、呼んであげれば。おばあちゃんもその方が嬉しいよね!」

「ふふふっ」


 おばあちゃんと言っても、沙織は五十代とは思えない美女。目尻のシワさえも魅力的な女性である。

 美咲からのツッコミと沙織の微笑みに、照れながらも口を開く真一。


「あ、あの……沙織さん……」

「はい」

「こ、これからよろしくお願いいたします……」

「こちらこそよろしくね、真一くん」


 思わず顔を赤くする真一だった。が、その表情にはどこか影があった。様子がおかしいことに沙織は気付く。


「ねぇ、真一くん」

「はい、なんでしょう」

「大丈夫?」

「えっ?」

「何だか様子が変よ。元気がないというか、覇気がないというか……」

「…………」


 真一は辛そうな表情を浮かべ、何も答えられない。


「ねぇ、何かあったの?」

「……いえ、なにも……」


 明らかに何かを心に抱えているようだったが、真一はそれを沙織へ明らかにしなかった。亜希子のことを引きずっているのだろうと、沙織もまたそれ以上深く聞くことはなかった。


「……うん、分かった。でも、何でも言ってちょうだいね。私、どんな話でも聞くから」

「沙織さん……ありがとうございます……」


 うなだれる真一の肩を励ますように叩く沙織。


「ほら、ここで立っていても仕方ないから。居間で待っててね。お茶入れてくるから」


 真一は胸を手を押さえながら、沙織の家に上がらせてもらった。

 居間で美咲の隣に座り、ちゃぶ台を挟んで沙織と向かい合った真一。熱いお茶をすすり、気になっていたことを沙織に聞いてみた。


「沙織さん、その……亜希子は……どうなったのでしょうか……?」


 一瞬険しい表情を浮かべた沙織だったが、すぐに何かを諦めたような顔になった。


「亜希子とは絶縁しました。もう私の娘ではありません」

「そうですか……」


 沙織は、何の迷いもなくそう言い切った。


「あの日、連れて帰る車の中でもずっと泣き叫んでたわ……自分のしてきたことがどれだけ愚かなことだったのか、真一くんや美咲ちゃんをどれだけ傷付けることだったのか、ようやく気がついたみたい……」

「気付いてくれたんですね……」

「私ね、ずっと我慢してた……反省も後悔もしない限り、叱っても意味がないと……だから…………この家まで連れ帰った後、あの子を怒鳴りつけた。何度も何度も殴りつけた。『世の中には謝っても許されないことがある』って、『お前は絶対に許されないことをしたんだ』って……」


 ちゃぶ台の上でギュッと拳を握る沙織。


「沙織さん……」

「一ヶ月だけ猶予を与えて、その間に仕事と住む場所を探せと。さっさと出て行けと……親として最後にできることとして、五十万握らせました。そして……『もうお前は私の娘じゃない』と……絶縁しました……」


 ちゃぶ台の上に沙織の涙がポッと落ちた。どんなに愚かなことをしたとしても、亜希子は自分のお腹を痛めて産んだ娘である。自分の人生をかけて育ててきた娘に絶縁宣言することがどれだけ辛くて悔しいことか。真一は、沙織のこの辛い気持ちが亜希子に届いていることを祈った。

 そんな辛さを察したのか、美咲が沙織を抱き締める。身体を震わせながら小さく嗚咽を漏らす沙織の姿は、あまりにも痛々しい。

 それでも、気丈に笑顔で顔を上げる沙織。


「美咲ちゃん、ありがとう。一番辛いのは真一くんと美咲ちゃんなのに、ごめんなさいね」

「おばあちゃん、無理しないで。これからは私もお父さんもいるからね」


 微笑む美咲に、沙織も笑顔で頷いた。


「沙織さん、オレたちは家族になったんです。辛い時はいつでも胸をお貸しします。オレ、きっとふたりを幸せにしてみせますから」


 しかし、真一の決意に言葉に不満気なふたり。


「お父さん、それって違う」

「えっ、違う?」

「真一くん、幸せは一方通行ではダメよ。お互いに与え合う関係にならないと本当の家族とは言えないわ」

「そうそう、お父さんだけ気合入ってても意味ないでしょ」

「真一くん、私もいつだって胸を貸すからね」

「中学生の娘だからって、遠慮するのはやめてよ! 私だってお父さんに胸を貸せるんだからね!」


 安心して、私たちがあなたを支えるから――


 ふたりのそんな思いが伝わってきた真一は、ただ胸を熱くした。


「三人で本当の家族になって『幸せの形』を築いていこう」


 真一の言葉に、ふたりとも笑顔で大きく頷いた。


 こうして真一たち三人は、自分たちの新しい幸せを追い求め始めた。妻に、母に、娘に、心を深く傷つけられた三人の新しい『幸せの形』は、どのように形作るべきなのか。真一の心の中で渦巻いていた鈍色にぶいろの不安は、明るい希望に少しずつ塗り潰されていった。


 ぴんぽーん


 家の呼び鈴が鳴った。

 突然の訪問者なのか、沙織は驚いた様子だ。


「あら、何かしら。はい、はい」


 沙織が玄関へと足早に向かう。


「まぁ、いらっしゃい! 真一くん! ちょっと来て!」


 玄関から沙織の嬉しそうな呼び声が聞こえ、真一も玄関へ向かった。そこにいたのは、黒髪ショートカットの女性。純白のブラウスと淡いブルーのロングスカートが、真面目で清潔感のある彼女のイメージとぴったり合っている。

 女性は真一の姿を視認すると、優しく微笑みながら深く頭を下げた。


「真一さん、突然お伺いしてすみません」


 真一も、沙織と同じように満面の笑みで応える。


「ようこそへ。歓迎しますよ、涼子さん」


 亜希子の不倫相手である敦の元妻、涼子だった。






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<次回予告>


 第39話 踏みにじられた尊厳



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