第36話 王国の崩壊

 断罪から一ヶ月後――


 朝、毎日多くの買い物客の車が停まっているスーパーマツナガの駐車場には、一台の車も停まっていなかった。


 『しばらくの間、臨時休業いたします』


 そう大きく書かれた張り紙が電源の切れた自動ドアの内側に貼られていた。

 照明が落とされて薄暗い店内、さらにその奥のバックヤードの隅にある事務室の明かりだけがポッと灯っている。その中で事務机に座り、悲痛な表情を浮かべて頭を抱えている男がいた。敦だ。


「どうして……どうしてこんなことに……」


 後悔の念を口にする敦。しかし、何度その言葉を繰り返しても、答えを返してくれるものはいない。


 あの断罪の日、両親に引きずられて実家に戻った敦は、父親と母親から一晩中叱責されながら殴られ続けた。翌朝、フラフラになりながら家に帰ったものの、そこに涼子はいない。敦は改めて現実を突き付けられた。そのまま店を休みたいところだったが、そういうわけにもいかず、敦は顔を腫らしながら店へと出勤する。

 ここで問題となったのが、不倫相手だった六人のパートの一斉退職だ。個人経営のスーパーで、前触れもなく大量退職者が生じるのは、店の営業に直結する大きな問題だ。しかし、示談書で誓約した通り、彼女たちに近付いたり、連絡したりすることができない。恐らく同様の条件の示談書を彼女たちも夫と取り交わしているだろう。敦は既存のパートとアルバイトのシフトを調整して、この窮地を乗り越えることにした。


 断罪の日から一週間、この短期間で店の売上が明らかに落ちてきている。セールをしてもまったく客が食いつかないのだ。商売敵のショッピングモールのスーパーマーケットでセールをしている様子もなく、敦は頭を悩ませていた。

 しかし、その原因は店頭での客の会話で判明した。自分の不倫の話が店周辺の地域で広まっていたのだ。客は敏感だ。しかも、その客層は主婦がメイン。店の責任者がパートに手を出しまくっている、店の車でラブホテルを出入りしているなどという話が広がれば、当然店長という立場を利用していると判断される。胸につけた『店長 松永』のバッヂに注がれる客の視線は冷たい。


 断罪の日から二週間、パートとアルバイト全員から退職する旨を伝えられた。つまり、敦以外全員ということだ。時給増を提案しても、その意思は覆らない。全員の意見は一致していた。


「もう耐えられない。この店で働いていると、自分まで不倫している(不倫に関わっている)と噂される」


 この店で働くことが家庭不和の原因になりつつあるという既婚者のパートや、恋人と関係が悪化しているという学生のアルバイトもいた。敦は何とか引き留めようと必死になったが、全員から気持ち悪いものを見るような目で見られ、結局二週間後に全員退職することになった。敦は緊急で、かなり高待遇な条件で人員の募集をかける。


 断罪の日から三週間、数社の取引先が商品の回収に訪れた。突然のことに驚くと、敦の不倫が原因で地銀が融資を引き上げ、従業員が大量に退職しているという情報を聞き、倒産の危険があるとして卸した商品の回収に来たのだと言う。店頭に必要最低限の在庫だけを残し、それ以外のバックヤードの在庫などはすべて持ち帰られてしまった。さらに、その状況を聞きつけた他の取引先も次々に訪れて商品を回収していった。

 店頭の在庫は歯抜けの状態が目立つようになり、当然売上は日に日に落ちていくという悪循環。従業員もまもなく全員退職していき、人員の募集も応募はゼロ。商品の仕入れすらままならない現状が続けば、行き着く先は閉店。資金繰りも行き詰まって倒産しかない。

 止まらない負の連鎖。絶体絶命のピンチの中、敦の両親はまったく店に姿を見せない。どうしたら良いのか分からない絶望の中、敦はただ無情に過ぎ去っていく時間に恐怖していた。


 そして今日、店の営業継続は困難として、しばらくの間休業することを決める。知らずに来た数少ない客も、その理由を知っているのだろう、薄ら笑いして帰っていった。

 店の事務室で頭を抱える敦。


 ガチャリ


「店長さ〜ん、こんにちはぁ〜」


 事務室にやって来たのは両親と、反社の佐久間だった。


 バンッ


 事務室の長机に書面を叩きつけた父親。憎悪の目で睨みつけられながら、敦はその書面を手にして目を通した。


「…………! こ、これは!」

「スーパーマツナガは、土地と建物のすべてを大手スーパーマーケットに売却。その金で負債をすべて返済。ここは大手スーパーの一店舗として生まれ変わる。スーパーマツナガは閉店だ」

「閉店!?」

「私と母さんは、その店舗のバックヤードの管理役と経理担当として、現場で働くことになった……誰かが不倫なんぞにうつつを抜かしたことで、全部! 全部失ったんだ!」

「…………」


 父親の言葉に、何も返せない敦。


「佐久間さんが相手の会社さんを紹介してくれたんだ。この店は、地域の大切な生活インフラとして必要だと、利益が十分見込める商圏を有していると、そう説明してくれてな」


 敦は驚きの表情で佐久間に顔を向ける。


「俺は松永さん……お前の爺ちゃんと婆ちゃんに、子どもの頃随分世話になってな。この店を無くしたくねぇんだ。だが、この土地で『スーパーマツナガ』の名前で商売することは不可能。だから、こういった形で残すことにしたんだ」


 敦の頬に涙が伝う。自分の浅はかな行動によって、いくつもの家庭を崩壊させ、自分の身近な人間も深く傷付け、ついには店を閉店に追い込んでしまった。悔やんでも悔やみきれない。

 そんな敦を見て、佐久間はニヤリと笑った。


「さて。俺と来てもらおうか」

「……えっ?」

「慰謝料を支払ってもらわねぇとな」

「!」

「テメェのやったことはテメェでケツ拭け。オラ、立て」


 真っ青になった敦は、佐久間に促されるままに席を立ち、事務室を出ていく。

 すれ違う母親がボソリと呟いた。


「……お前なんか産まなければ良かった……」


 足を止めた敦は、母親を睨みつける。


「産んだら産みっぱなしのヤツは親とは言えないんじゃねぇの?」


 その目を父親にも向けた。


「アンタたちは親として俺を愛してくれたことがあったのかよ」


 ずっと心に秘めていた敦の本音。本当は『俺を愛してほしかった!』と、本当は『どうして俺を愛してくれなかったんだ!』と、そう叫びたかった。親の愛を感じながら育っていれば、敦の歪んだ思考も生まれなかったのかも知れない。最後に息子が放った言葉のあまりの重みに、両親はうなだれ、何の言葉も出てこなかった。


 搬入口に停められていた黒い高級外車。待機していた運転手が後部座席のドアを開けた。


「乗れ」


 敦は佐久間に逆らわずに、黙って後部座席に乗り込む。

 その隣に座った佐久間が口を開いた。


「お前も色々あったんだろうよ。でもな、他人ひとのせいにすんな。お前を心から愛してくれたヤツはいたはずだ。それを裏切ったのはお前だ。今、お前がここにいるのは、全部お前のせいだ。勘違いすんじゃねぇぞ」


 敦の脳裏に、自分へ優しく微笑みかける涼子の顔が浮かぶ。胸の痛みに耐えられず、そのままうずくまるようにして両手を頭で抱えた。


「おい、出せ」


 スーパーマツナガの搬入口から出ていく黒い高級外車。車は国道の方へと向かいスピードを上げていく。敦が顔を上げ、振り向いた時には、もうスーパーマツナガは見えなくなっていた。






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<次回予告>


 第37話 人生の斜陽



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