第32話 終わりなき断罪

 真一が自宅に呼んでいた五人の男性。それは敦が不倫していた亜希子以外の女性の夫であった。


『このファイルの後半半分は、直接的にはご依頼の件と関係ありません。これは当方から高木さんへサービスとして無償でご提供いたします。これをどう使うのか。それは高木さんに一任いたします』


 興信所からの調査報告書には、敦が亜希子以外にも五人の既婚者のパートと関係を持っていることが記されていた。真一は、この五人の夫と接触を図り、世話になった興信所を紹介するとともに、確実な証拠集めをするように話をした。調査報告書を受け取った後も、対決まで時間がかかったのはそのせいである。

 その時間は無駄にならず、五人の夫は確実な証拠を確保。涼子を交えて、それぞれ妻への制裁を課し、離婚へとかじを切った。そして今日、ついに間男である敦に制裁を課すのだ。

 五人はそれぞれ自分の証拠写真をローテーブルに並べていった。その写真の内容に血の気が引く敦。そして、その隣では亜希子が口をあんぐり開けて驚いている。


「あ、敦さん……私だけって……私だけを愛してるって!」

「亜希子、悪いけど少し黙ってて」

「だって! だって!」

「いいから黙ってて」


 この状況を亜希子は知らなかったのだ。文句のひとつも言いたいが、真一がそれをいさめた。


「店長(敦)さん、この写真の内容に間違いはありませんね?」

「…………」

「そちらから向かって左側から小柳さん、大久保さん、一ノ瀬さん、鈴木さん、中川さん。間違いありませんね?」

「…………」


 答えられない敦。冷や汗が額を流れる。


「無言は肯定したと見なします。否定する最後のチャンスです。間違いありませんね?」


 敦はうなだれて、何も答えられなかった。

 ローテーブルの上の写真を片付けて、後ろに並んでいる五人に返却する真一。先程同様に、五人が書面をローテーブルに並べていく。

 真一がゆっくりと落ち着いた口調で話し始めた。敦への死刑宣告のように。


「松永さん、先程同様の書面です。内容をご確認ください」



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



【小柳さんの夫から間男・敦への請求】

◯慰謝料 三百万円

◯小柳さんの元妻への接近および連絡禁止 違反一回百万円

◯これら条件の記載された本書を公正証書として署名を行う。


【大久保さんの夫から間男・敦への請求】

◯慰謝料 三百万円

◯大久保さんの元妻への接近および連絡禁止 違反一回百万円

◯これら条件の記載された本書を公正証書として署名を行う。


【一ノ瀬さんの夫から間男・敦への請求】

◯慰謝料 二百万円

◯一ノ瀬さんの元妻への接近および連絡禁止 違反一回百万円

◯これら条件の記載された本書を公正証書として署名を行う。


【鈴木さんの夫から間男・敦への請求】

◯慰謝料 二百万円

◯鈴木さんの元妻への接近および連絡禁止 違反一回百万円

◯これら条件の記載された本書を公正証書として署名を行う。


【中川さんの夫から間男・敦への請求】

◯慰謝料 三千万円

◯中川さんの元妻への接近および連絡禁止 違反一回一千万円

◯これら条件の記載された本書を公正証書として署名を行う。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「な、なんだこれは!」


 書面を順番に確認していた敦が、最後の一枚で叫んだ。


「慰謝料の桁がおかしいだろ! なんだ三千万って!」


 五人の男性のうち、敦から向かって一番右側の男性がニヤリと笑った。黒髪オールバックのどこにでもいるようなタイ無しの黒スーツ姿で中肉中背の中年男性だ。彼はその視線を敦ではなく、居間の端で震えて立っている敦の両親へと向けた。敦はなぜ両親が怯えているのかが分からない。


「どうも〜、松永さ〜ん」


 敦の両親はびくっと身体を震わせた。


「俺、アンタたちに言ったよなぁ。ウチの妹をよろしくと。これってどういうことぉ?」


 状況が飲み込めない敦に、視線を向ける男性。


「どうも〜、店長さ〜ん。中川百合の兄の佐久間と申します~。今日は元義弟の代理でお邪魔しました~。妹の身体はどうでしたかぁ? 気持ち良かったですかぁ?」

「い、いや、アンタ、慰謝料三千万って!」

「あぁ、申し遅れましたぁ。私、『横山興業』って会社の社長やっているんですよぉ〜」

「! それって……」


 敦は知っている。『横山興業』とは、普通の会社のていを取っているが、その実『横山組』という地元を縄張りとする反社組織のフロント企業であることを。スーパーマツナガも表立っての付き合いはないが、『横山組』とは祖父母が経営していた小さな商店だった頃から付き合いがあり、現在は『横山興業』へ顧問料を定期的に支払うなどの接点がある。佐久間は『横山組』の幹部であった。


「妹が社会勉強したいと言うから、松永さんトコなら安心だとパートに出してやったが……妹はアンタの甘い言葉に乗ってしまったんだと。『百合だけを愛してる』、『百合をもっと幸せにしてあげたい』って言ってたんだろうぉ? お陰で妹夫婦は離婚しちまったぜぇ」

「…………」

「スーパーマツナガを紹介した俺の顔まで潰してさぁ、まさかお咎め無しだとは思ってないよねぇ~?」

「…………」


 言葉もなく震える敦。


「で、どうすんのぉ。いやなら裁判でもかまわねぇ。ただ……」

「ただ……?」

「いやぁ、俺の妹の家庭をめちゃくちゃにしたこと、俺が元義弟に頭を下げて謝罪したことに、ウチの若いのが激怒しててさぁ。暴走しないか心配でなぁ」

「!」


 妹という身内を不貞行為に巻き込み、その家庭を崩壊させた敦への激しい怒りがあるのだろう。しかしそれ以上に、裏社会で生きるひとたちは、何よりも面子メンツを重要視する。佐久間ほどの立場の者が、佐久間の様子から察するに、おそらく一般の素人であろう妹の旦那に頭を下げて謝罪したとあっては、何も無しに終わるわけがない。


「……お支払いします……」

「そうか、そうか。話の分かるヤツで助かったぜぇ。で、こんな大金払えんのぉ? こちらの真一さんや他の旦那さん、元奥さんの涼子さん、それぞれの慰謝料全部合わせたら五千万超えるぜぇ?」

「…………」


 五千万という現実味のない金額に、敦はうなだれた。それを見てニヤリと笑う佐久間。


「俺さぁ、いいところ知ってんだよぉ〜」

「い、いいところ……?」

「『ヨコヤマファイナンス』って金融屋でなぁ」

「!」

「大丈夫! 店長さんなら足りない分を全部貸してくれるって、もう話はついてるからぁ」

「…………」


 借金まみれが確定的になった敦の瞳から、ついに涙が零れる。


「真一さんも、涼子さんも、皆さんも、みーんな取りっぱぐれのない一括払いだ」

「佐久間さん、ありがとうございます。ただ、それは佐久間さんがひとりでリスクを負うことにつながりませんか?」


 心配する真一に、にっこり笑う佐久間。


「……やっぱ真一さんはいい男だ。俺みたいな日陰者にもそうやって気を使ってくれる。ありがとな。でも、そこは心配しないでいいから。借金の確実な返済までサポートするのが『ヨコヤマファイナンス』だ。楽しみだなぁ〜、店長さ〜ん」


 涼子から何の感情もない視線を浴びながら、敦は後悔の涙を零す。


 こうして、断罪は遂げられた――






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<次回予告>


 第33話 制裁の果てに



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