第31話 快楽の代償

 敦の両親と、敦の妻である涼子の両親がこの場にやって来た。真っ青になる敦を前に、涼子が口を開く。


「……私もこの男と離婚します」

「涼子!」


 驚く敦にヅカヅカと近付くスーツ姿のハゲ頭の年配の男性、敦の父親は――


 バチンッ


 ――敦の頬を拳で殴りつけた。母親はさめざめと泣いている。


「この愚か者が!」

「と、父さん……い、いや、何かの間違いだって! な、涼子! 離婚だなんて――」

「あなたとは離婚します」


 敦に怒りの眼差しを向ける涼子。


「私は確かにブサイクかもしれない。子どもも作れない。だからと言って、あなたにさげすまれる覚えはない」

「涼子、ちが――」

「長い間、あなたが私にやってきたことはDV、立派な家庭内暴力です」

「……!」


 侮蔑の言葉を吐き散らし、女性としての尊厳を踏みにじるために、憂さ晴らしとして涼子を侮辱しながら犯し続けてきた敦。自分のやってきた「罰を与える行為」が『家庭内暴力』と言われ、それに何の反論もできなかった。


『涼子なら全部受け入れる。俺のことが好きでたまらないから』


 敦が持っていたその考えは正しく真実だ。しかし、敦はそれを誤って解釈していた。全部受け入れるからこそ、与えるものに気を使うべきであり、自分のことが好きだからこそ、その想いを裏切るべきではなかったのだ。


あつしくん、お顔の傷、大丈夫?』


 自分を心から心配してくれたのは涼子だけだった。幼き日のことが脳裏に浮かぶ。そんな心優しき涼子の身体と心を踏みにじり続けてきた敦。彼は徐々に「王」から「敦」へと引き戻され始めていた。


 敦の父親は身をひるがえし、妻である敦の母親と共にもう一方の夫婦、涼子の両親へ土下座した。


「ウチの馬鹿が大変申し訳ございません!」

「何卒、何卒お許しください!」


 土下座する敦の両親を睨みつける涼子の両親。


「松永さん、悪いが娘の涼子もこう言っている。そちらとの関係もこれまでだ」

「! せ、せめて融資は! ご相談させていただいた融資の件だけは!」

「世の中、そんなに都合の良い話はありませんよ。スーパーマツナガ、最近売上もかんばしくありません。そりゃそうですよね、店長が仕事を放棄して、既婚者の従業員と不倫に溺れているんですから。彼のような立場ある従業員にコンプライアンス企業倫理・社会規範の意識が欠如しているのであれば、そんな企業に融資を継続することは、金融機関として極めて大きな問題です。これまでの融資も、近日中に全額回収させていただきます」

「お許しください! お許しください!」


 涼子の父親の足に縋り付く敦の父親。


「涼子、すべてが終わったら一度実家に帰ってくるように。いいね」

「はい、分かりました……」

「お許しを! お許しを!」


 足元に絡みつく敦の両親をそのまま足で払い、涼子の父親は妻を連れて家を出ていった。敦の父親は床にひざまずいたままうなだれ、母親は床にしゃがみこんだまま茫然自失。敦本人は、その光景をただ呆然と見ていた。

 ローテーブルの上の書類や写真、ノートパソコンを片付ける真一。それを見届けた弁護士の佐藤、そして涼子は、亜希子と敦の目の前に書面を並べた。


「それでは、本件に関する慰謝料などを真一さんから奥様とそちらの松永さん、お二方ふたかたへこちらの書面の通り請求いたします。涼子さんからの請求の書面も、別の弁護士が携わっているかと思いますので、そのつもりでご覧ください。なお、離婚に関してご不満な場合は離婚調停、そして裁判まで行く覚悟がございます。慰謝料などについても、ご不満であれば裁判で」


 亜希子と敦は、恐る恐る書面を手にして内容を確認した。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



【真一から妻・亜希子への請求】

◯離婚

◯慰謝料 百万円

◯養育費 美咲が二十二歳になるまで三万円/月

◯美咲の親権および監護権 真一

◯美咲との面会 美咲本人が望めば可、それ以外は接近および連絡禁止

◯真一への接近および連絡禁止 違反一回十万円

 (連絡は必ず指定の弁護士を通すこと)

◯美咲への接近および連絡禁止 違反一回百万円(美咲未承諾の場合)

◯敦への接近および連絡禁止 違反一回百万円

◯財産分与 なし(夫婦共有の貯蓄の使い込みが判明しているため相殺)

◯土地と建物 亜希子、譲渡に伴う経費・税金は亜希子負担

◯住宅ローン残債 亜希子

◯これら条件の記載された示談書を公正証書として署名を行う。


【真一から間男・敦への請求】

◯慰謝料 二百万円

◯真一への接近および連絡禁止 違反一回十万円

◯沙織への接近および連絡禁止 違反一回百万円

◯美咲への接近および連絡禁止 違反一回百万円

◯亜希子への接近および連絡禁止 違反一回百万円

◯これら条件の記載された示談書を公正証書として署名を行う。


【涼子から夫・敦への請求】

◯離婚

◯慰謝料 一千万円(長期に渡る家庭内暴力に対する慰謝料含む)

◯涼子への接近および連絡禁止 違反一回十万円

 (連絡は必ず指定の弁護士を通すこと)

◯亜希子への接近および連絡禁止 違反一回百万円

◯財産分与 涼子側が放棄(財産分与は不要)

◯土地と建物 対象外(婚前から義父名義のため)

◯これら条件の記載された示談書を公正証書として署名を行う。


【涼子から間女・亜希子への請求】

◯慰謝料 百万円

◯涼子への接近および連絡禁止 違反一回十万円

◯敦への接近および連絡禁止 違反一回百万円

◯これら条件の記載された示談書を公正証書として署名を行う。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 亜希子と敦は書類を手にして震え、その書類が振動音を立てている。


「い、慰謝料だけで二百万……そ、それに住宅ローンって……」


 真っ青を通り越して、顔から血の気が完全に引き真っ白になっている亜希子。


「君たちにけがされたこの家に、オレと美咲が住み続けられるわけないだろうが。美咲のベッドまでけがして……どれだけ恥知らずなんだ」

「…………」


 真一の言葉に、亜希子は何も言い返せない。


「すぐに売却しても、多少足は出るだろうな」

「えっ!? い、いくら位……」


 自分の置かれた現実が見えてきて、怯える亜希子。


「先日査定してもらったが……三百万くらいだな」

「合わせて五百万……五百万!? 五百万も私が払うの!? 毎月の養育費まで!? 無理! そんな大金、払えるわけない! 絶対無理!」


 亜希子は目に涙を溜めながら叫んだ。

 そんな彼女へ無表情に迫る弁護士の佐藤。


「奥様」

「べ、弁護士さん! こ、これ、どうにか――」

「『払えない』じゃないんです。『払う』んです。『払わなければいけない』のです。そこを勘違いされては困ります」

「あっ! 自己破産すれば――」

「今回の場合、真一さんや娘さんに何ら責任を問われるような事案や行動がありません。加えて、長期に渡って家事を一切しない。自宅で不貞行為に及ぶ。さらには、娘さんに対して育児放棄や児童虐待と受け取れる行動を取ったり、娘さんのベッドでも不貞行為に及んだ疑いがあるといった、これまでたくさんの不貞行為が原因の離婚案件を扱ってきた私も聞いたことがないほど悪質なため、今回の慰謝料などの債務は自己破産で免除されない損害賠償として非免責債権になると思われます。自己破産を申請しても結構ですが、免責になる可能性は極めて低いですよ」

「じゃ、じゃあ裁判で――」

「今のこの状況で、あなたの弁護を喜んで引き受ける弁護士はいないと思います。確実な負け戦になりますからね。そもそも真一さんや涼子さんからの請求内容は、決して無茶な内容ではありません。それでも裁判で戦いたいのであれば、どうぞご自由に。ただし、請求する慰謝料の金額は増額させていただきます。どうしますか? 孤立無援の状態で、法廷の場で戦いますか?」

「…………でも、こんな大金――」

「そうですね、物凄い大金です。しかし、あなたのやってきたことは、そういうことなのです」

「…………」

「真一さんは、何度もあなたに言ったはずです。『正直に言え』と。『嘘だったら反省なしと見なす』と。自分のしたことを反省し、真摯な態度で正直に話していれば、慰謝料減額の交渉の余地だってあったかもしれない。そんな真一さんの最後の優しさを無駄にしたのは奥様、あなたです」

「…………」


 亜希子は、今まで溺れていた背徳の沼が、絶望の沼であることに気付く。現実に打ちひしがれる亜希子は、書面を手にただうなだれるしかなかった。


 一方の敦はもう諦めている様子。彼自身の貯金が約一千二百万円。そのほぼすべてを涼子と真一に支払わなければならない。それでも借金などせずに慰謝料を支払えることに内心安堵していた。しかし、涼子の父親が幹部を務める懇意の地銀から融資を断られた以上、スーパーマツナガの前途は暗い。


 亜希子と敦は、別途用意された同条件の示談書と委任状に署名。なお、真一や涼子たちは、すでに佐藤の息がかかった司法書士へ公正証書作成の委任をしている。そして、ふたりは離婚届にも署名。亜希子はこの場で各書類へ捺印まで行い、離婚届は真一の手に渡された。敦は後日弁護士事務所にて捺印することとし、離婚届は弁護士の佐藤が預かった。署名済みの示談書と委任状を弁護士の佐藤、そして涼子が回収する。


「佐藤先生、予定通り……」

「はい、こちらは公正証書といたします。司法書士と公証役場とも調整済みです。涼子さんも担当の先生によろしくお伝えください」

「よろしくお願いいたします」

「佐藤先生、色々とお力添えいただき、本当にありがとうございました」


 優しく微笑みながら頷く弁護士の佐藤に、真一と涼子は頭を下げた。


「さて……」


 敦に向き合う真一と涼子。


「……もういいだろ……帰るぜ……」

「まだ終わっていませんよ」


 ソファから腰を上げようとする敦だったが、真一はそれを止める。敦の両親は部屋の隅で立ちすくみ、うなだれていた。


 ガチャリ


 玄関が開く音がした。


「最後のゲストです」


 真一の言葉と共に現れた五人の男性。三十代から四十代くらいまで、年齢はバラバラ。真一と涼子が座っているソファの後ろに並んだ。


「店長(敦)さん、この五人がどなたかご存知ですか?」

「……知らねぇよ……」


 少しふてくされたような敦。


「では、教えてさしあげます。この五人は――」


 一瞬、居間に静寂の空気が満ちる。


「――あなたの、亜希子以外の不倫相手の旦那さんですよ」

「!」


 真一の言葉に驚き、バッと顔を上げる敦。

 五人は憤怒の形相で敦を睨んでいた。


 断罪は終わらない――






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<ご注意>


 前話での注意事項と重複しておりますが、改めてご注意ください。


 本作『シアワセノカタチ』における自己破産や訴訟などに関する記述につきましては、絶対的なものではなく、あくまでも解釈のひとつであり、弁護士や裁判所・裁判官、またその状況などによってその解釈が大きく異なる場合がございます。

 離婚や示談でトラブルになるなど、お困りの場合は、本作の記述内容を絶対に鵜呑みにせず、弁護士や司法書士などの専門家にご相談ください。相談先が分からない場合は「法テラス」のご利用をおすすめいたします。


日本司法支援センター 法テラス

https://www.houterasu.or.jp/


困り事の解決方法・相談先が分からない……

そんなときは「法テラス」へ(政府広報)

https://www.gov-online.go.jp/useful/article/202010/1.html



 引き続き『シアワセノカタチ』をお楽しみください。



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<次回予告>


 第32話 終わりなき断罪



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