第六章 断罪
第30話 無知と無恥と鞭
ソファにふんぞり返っている亜希子は、ニヤけ顔を真一に向けている。
「貰えるモノは、しっかりと貰うからね! 出すもん出しなさいよ!」
「出すものって何だ」
ハッと呆れ顔の亜希子。
「慰謝料に決まってんでしょうが! 散々アンタにもヤラせてやって、最後はモラハラ! 一千万以上は貰うから覚悟しなさいよ! あと養育費も貰うからね!」
「オレが亜希子に慰謝料と養育費を払う?」
「当たり前じゃない! 世の中っていうのは女性に優しく出来てんのよ! レディファースト、女性優先! 何事にも女性が優遇されるの! 知らないの? 女性が後々困らないように、別れた妻の面倒を見るのは夫だった男の義務でしょうが!」
勝ち誇った亜希子の隣で、敦もゆっくりと身を乗り出してきた。
「よぉ、涼子。お前と離婚になったら、俺もお前に慰謝料請求するからな。お前のせいで俺の人生設計は全部木っ端微塵なんだからよ。分かってんだろ? お前にそんな金あんのかよ。専業主婦のお前によぉ」
ニヤける敦を睨みつける涼子。
「ねぇ、敦さん。私の貰う慰謝料で、敦さんがコイツに払うお金を
「おぅ、ナイスアイデア!」
「じゃあ、真一。二百万差っ引いて、慰謝料は八百万でいいから。養育費は毎月二十万ね。ちゃんと支払いなさいよ」
ふたりは勝ち誇った表情を真一と涼子に向けた。
そこで、今まで何の反応を示さなかった真一と涼子の後ろに立っていた中年男性が口を開く。
「すみません、この先は私がご説明したいと思います」
「誰だ、テメェは」
「何このオッサン。ひとの家に上がり込んでるけど」
「申し遅れました。私、佐藤と申します」
佐藤はローテーブルの脇へ移動し、自分の名刺を亜希子と敦の前に置いた。それを覗き込むふたり。
「……佐藤法律事務所……?」
「えっ……アンタ、弁護士か!?」
敦の驚きに呼応する亜希子。ふたりが佐藤に目を向けてよく見ると、着ている背広の色に埋没する黒っぽくくすんだ色の丸いバッヂが
元々弁護士記章は金色なのだが、メッキが剥げていることから歴戦の弁護士であることが想像できる。
「まず、奥様。そして、松永(敦)さん。おふたりは慰謝料を請求できません」
「はぁっ? 何言ってんの? あんた弁護士のくせに何にも知らないのね! いいわ、私が教えてあげる! 慰謝料っていうのは――」
「今回で言えば、不貞行為を犯したおふたりが、真一さんや涼子さんに対して精神的な苦痛を味あわせたことを謝り、その傷つけた心を慰めてもらうためのものであり、それをお金という形で示すのが慰謝料なのです。『慰謝料』という言葉の漢字を思い出してみてください」
亜希子の言葉にかぶせる弁護士の佐藤。
「だったら、私も敦さんも謝る気なんて無い! それなら払わなくてもいいはずよね!」
「いいえ、払っていただきます」
「なぜ!」
「奥様や松永さんは、不倫という不貞行為によって、真一さんの夫としての権利、そして涼子さんの妻としての権利を侵害しているのです。ですので、あなた方には真一さんと涼子さんへの賠償として、慰謝料支払の義務が発生します。そういう意味では、不倫は民法上では違法行為と言えるのです」
「わ、私たちの真実の愛が違法行為ですって? ……だ、だったら、私は真一をモラハラで――」
「真一さんや娘の美咲さんから家庭の状況をお聞きしました」
亜希子の言葉を遮る弁護士の佐藤。
「奥様はパートをしているとは言え、主婦でしたよね」
「だから何よ!」
「ここ一年は、家事や娘さんの世話を何もしていないと聞いています」
「…………」
「その状況では、真一さんがお
「じゃ、じゃあ、養育費――」
「これも勘違いされているようですが、養育費は奥様を養うための費用ではありません。子どもを育てるための費用です。先程、奥様は美咲さんをいらないと仰っていましたよね。美咲さん自身も父親である真一さんとの生活を強く望んでおられます。養育費を支払うのは奥様の方ですよ」
「そんな馬鹿な!」
「養育費を受け取るのは、子どもの権利です」
「じゃあ……私は慰謝料と養育費を……」
「はい、奥様が支払う側です」
自分の認識とまったくの真逆な慰謝料と養育費の説明。離婚によって多額の慰謝料を得られると考えていた亜希子は、顔を真っ青にした。
その隣では、そんな亜希子とは関係無さそうに、敦が不敵な表情を浮かべていた。
「俺はアンタに金払えばいいんだろ。もう早く解放してくれ。涼子、さっさと帰るぞ。お前、家に帰ったら……覚えとけよ。ただじゃ済まねぇからな!」
ぴんぽーん
家のチャイムが鳴った。亜希子の母である沙織が玄関へと向かう。
ガチャリ
何人かが家に上がってきたようだ。
「次のゲストが到着しました」
真一の言葉と共に、家を訪問した四人の人物が居間に入ってきた。どうやら二組の夫婦のようだ。
一組は、ハゲ頭でグレーのスーツを着た年配の男性と、茶髪ミディアムの髪が少しボサッと乱れている白いブラウスにダークネイビーのロングスカートを履いた同じく年配の女性の夫婦。何やら焦っているような、困惑しているような、そんな様子が見受けられた。
もう一組は、白髪交じりの毛流しパーマで黒いブランド物のスーツを着た年配の男性と、軽くパーマをかけた長めの黒髪ボブで、白いブラウスにライトグレーのニットジャケットを羽織り、ネイビーのチュールスカートを履いた女性の夫婦。こちらは落ち着いており、もう一方の夫婦とは対照的に上品な雰囲気が漂っている。
その人物たちの顔を見た瞬間、敦の顔から不敵な表情が消えた。
「店長(敦)さん、あなたのご両親と、奥様の涼子さんのご両親をお呼びしました」
敦を睨みつける四人。そして、敦の妻である涼子が口を開いた。
「……私もこの男と離婚します」
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<ご注意>
本作『シアワセノカタチ』における法律や権利などに関する記述につきましては、絶対的なものではなく、あくまでも解釈のひとつであり、弁護士や裁判所・裁判官、またその状況などによってその解釈が大きく異なる場合がございます。
離婚や示談でトラブルになるなど、お困りの場合は、本作の記述内容を絶対に鵜呑みにせず、弁護士や司法書士などの専門家にご相談ください。相談先が分からない場合は「法テラス」のご利用をおすすめいたします。
日本司法支援センター 法テラス
https://www.houterasu.or.jp/
困り事の解決方法・相談先が分からない……
そんなときは「法テラス」へ(政府広報)
https://www.gov-online.go.jp/useful/article/202010/1.html
引き続き『シアワセノカタチ』をお楽しみください。
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<次回予告>
第31話
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