第27話 対決の時

 深夜、日付の変わる頃――


 カチャ カチャ ガチャリ


 玄関の扉を開けたのは亜希子だ。今夜も敦と肉欲に溺れ、その余韻冷めやらぬ夢心地の中、自宅に帰ってきた。

 足元に目をやる亜希子。真一の靴がない。


「……真一、まだ帰ってないのか……」


 残業ご苦労さんと、ふっと呆れたような笑みを浮かべ、亜希子はそのまま二階へと上がっていった。寝室のベッドに倒れ込み、先程までの余韻を楽しむ。


「あぁ、敦さんは素敵だった……今夜も本能のままに私を求めてくれた……そして私は彼のすべてを受け入れる……この『幸せの形』は不変のもの……他にはもう何もいらない……この幸せさえあれば……この真実の愛さえあれば……もう何も……」


 着替えもせずに微睡まどろんでいく亜希子。寝室の明かりも点けっぱなしのまま、夢の中へとゆっくりと落ちていった。背徳の沼へ堕ちていく快感を思い出しながら――



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 〜♪


 ――午前八時、スマートフォンからアラームが鳴る。あまり心に優しくない電子音に一瞬ビクッとして目を覚ました亜希子は、眠い目を擦りながらアラームを止めた。今日はパートが休み。敦と会えない退屈な一日が始まった。

 ベッドを降りて寝室を出る。毎日真一が朝食を作っておいてくれるので、それを食べようと一階へ降りていく。


(私へのご機嫌伺いのつもりなのかしら。まぁ、私の身体には指一本触れさせないけどね。馬鹿な男……)


 そんなことを考えながら階段を降りていく亜希子。自分を必死で求めながらも相手にされない哀れな男の姿を思い描くと、優越感という名の麻薬物質が心に満ちる。

 しかし、一階のダイニングキッチンに足を運ぶと、そんな気分の良さが吹き飛んだ。テーブルの上にも、冷蔵庫の中にも、朝食の用意が何もされていなかったのだ。


「チッ……アイツ、今日帰ってきたら離婚をチラつかせて、ちょっと脅かしておかないとダメね……」


 亜希子はダイニングキッチンを出て、居間に向かった。


「おはよう」

「!」


 亜希子は驚く。居間には真一と母親の沙織がソファに座っており、そして見知らぬ黒いスーツ姿の黒髪七三の中年男性がその横で立っていた。亜希子を待っていたかのように。

 どういう状況かが分からず、身動きの取れない亜希子。


「いつまで立ってるの。早く座って」


 居間に入って左手のソファに真一と沙織が座っており、真一はローテーブルを挟んだ向かいのソファに亜希子を手で誘導した。それに従って、ソファに腰掛ける亜希子。


「何なのよ、これ」

「亜希子、前置きは無しで話すよ」

「だから、何な――」

「亜希子、不倫してるよね」


 亜希子の言葉にかぶせる真一。

 沙織が娘である亜希子を睨みつける。

 が、呆れた様子を見せた亜希子。


「はぁ? そんなことしてるわけないじゃない」

「正直に言ってほしい」

「いや、だから正直に言っ――」

「自分から正直に言わないと、後々困ることになると思うよ」

「不倫なんてしてないって言ってるでしょ!」

「認めないんだね? ウソだったら何の反省もしていないと受け取るよ?」

「そこまで言うなら証拠を出しなさいよ! 証拠を!」


 亜希子はソファにふんぞり返った。

 真一は、ソファの脇に置いておいた仕事でも使っているバッグからノートパソコンを取り出す。電源を入れて操作を始める真一。そして、その画面を亜希子に向ける。


「!」


 スーパーマツナガのロゴが入ったリアゲート。社用車には敦と亜希子が乗っているのがはっきりと分かる。美咲が社用車を追跡した時のドライブレコーダーの映像だ。


「まだ認めない?」

「仕事で移動しているだけじゃない!」

「パートなのに社用車でどこへ?」

「どこだっていいでしょ!」

「ふむ……では、もう少し見てみよう」

「もういいでしょ! いつまで……!」


 助手席に座っていた自分が、敦の下半身の方へと身体を倒す瞬間が映った。ただ、亜希子の姿は見えず、何をしているかは映っていない。


「これは何しているの?」

「……こ、これは……気分が悪くなって……そう! 気分が悪くなって、横に倒れたのよ!」

「気分が悪くなって?」

「そ、そうよ!」


 車がホテルに入っていくところも映った。


「これは?」

「気分が良くならなかったから、ホテルで介抱してもらったのよ!」

「本当に?」

「しつこいわね! ウソなんて言わないわよ!」

「……お義母さん」

「はい、ちょっと待ってて」


 沙織はソファを立ち上がり、居間を出て二階へと上がっていった。そして、すぐに居間へと戻ってくる。その手には亜希子のスマートフォンがあった。寝室から持ってきたのだ。


「あっ! 私の……!」


 沙織はスマートフォンをローテーブルの上に置き、ソファに腰掛けた。


「お義母さん、ありがとうございました」

「いえ」


 ローテーブルの上に置かれた亜希子のスマートフォンを本人の前に滑らせる真一。


「さて、亜希子。こんな映像がある以上、本人からも話を聞く必要があるよね?」

「! あ、敦さんは……店長は関係ないでしょ!」

「関係ないわけないでしょ。呼んで」

「えっ?」

「今、ここで電話をして呼んで」

「ふざけないで!」

「ふざけてないよ」

「アンタは妻を信用できないの!?」

「もうそういうのいいから。早くここに呼んで。今すぐ」

「冗談じゃ――」

「いいから、呼べ!」


 激昂する真一。亜希子がこんな真一を見るのは二回目である。


(ふたりで知らぬ存ぜぬを通せば問題ない……後で覚えておきなさいよ!)


 亜希子はスマートフォンをタップした。


「…………もしもし、店長ですか? 朝のお忙しいところ、すみません。高木(亜希子)です。緊急でお願いがございまして――」






----------------



<次回予告>


 第28話 暴かれる真実



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