第四章 調査

第19話 責任の所在

 周りに畑が点在する郊外。かなり古びた家の前に、深紫色の軽自動車がスッと停まった。カバンを持って車を降りてきたのは、亜希子の夫であり、美咲の父である真一だ。スーツを着ているのは、亜希子の母である沙織さおりと真剣な話をするためである。

 亜希子の不倫現場を目撃してしまった美咲は、心に深い傷を負ってしまい、家へ帰れない状態に陥ってしまった。現在は美咲の友人である愛香の家に預かってもらっているものの、いつまでもそのままというわけにはいかないため、一旦義母に預かってもらおうと、義実家までやって来たのだ。


 ガラガラガラガラ


「ごめんください」

「はーい」


 家の奥から出てきた黒髪ロングの美女が義母の沙織。五十代前半で目元や手のシワが気になるお年頃だが、真一的にはまったく年齢を感じさせない女性。初めて挨拶した頃は茶髪で少し目つきがキツく、元ヤンキーな雰囲気だったが、実際そんなことはまったく無く、歳を重ねた今は目つきのキツさも随分マイルドになった。

 そんな沙織は心からの笑顔を浮かべて、真一の訪問を歓迎している。


「真一くん、いらっしゃい。さぁ、汚いところですけど、どうぞ上がってください」

「はい、失礼いたします」


 居間に通され、正座した真一。丸いちゃぶ台を挟んで沙織と向かい合った。笑顔だった沙織が心配そうな顔付きに変わる。


「真一くん、電話で聞いたけど、美咲ちゃんを預かってほしいって……どうしたの? 何かあった?」

「ちょっと問題が起こりまして……」

「問題? 親子喧嘩でもしたの?」

「いえ……」


 真一はうなだれる。家の前の道路を自動車が通過した音が聞こえた。一瞬の静寂の後、ゆっくりと顔を上げた真一。沙織は真一の言葉を待ってくれていた。


「実は……亜希子さんの……不倫現場を……」

「えっ? ちょ、ちょっと待って。不倫って……亜希子が?」

「はい……しかも、その現場を……」

「まさか……」

「美咲が目撃してしまいました……」


 頭を抱える沙織。


「車で移動中に亜希子を見つけたらしいのですが……車の中でも行為に及んでいたと……」

「! 移動中に行為って、意味が……」

「運転している相手男性の下半身に、顔をうずめたそうです……美咲、それを見てしまって……」


 真っ青になった沙織は慌てて立ち上がり、真一の前で土下座した。


「真一くん、申し訳ございません! ウチの娘がそこまで愚かだと思いませんでした! 私の育て方が間違っていました! 本当に申し訳ございません!」

「お義母さん、やめてください! お義母さんが悪いわけではありません!」


 顔を上げた沙織は泣いていた。


「真一くんのようないい旦那さんと、美咲ちゃんのような可愛い娘がいるのに、一体あの子は何を考えているのか……」

「分かりません……実は、家ではかなり前から私と美咲を邪魔者扱いしていました……それもこの件に絡んでいるのだと……」

「……真一くんは、どうしたい?」


 真一は、申し訳無さそうにまたうなだれた。


「美咲を巻き込んでしまっています。もう…………離婚……しかないと……申し訳ございません……」


 真一は、膝の上で血が滲みそうな程、拳をぎゅっと握っていた。その拳にそっと手を添え、優しく微笑む沙織。


「私は真一くんの味方です。美咲ちゃんを預かるのも問題ないから、いつでも連れておいで。よければ、真一くんもウチに来ない?」

「そこまで甘えるわけには――」

「私ね、亜希子が本当にうらやましかった。優しい旦那さんがいて、いいなって」


 沙織は、真一の言葉を遮るように話し始めた。


「私の誕生日や母の日にも、忘れずにプレゼントを用意してくれたよね。あれ、ふたりからって言ってたけど、全部真一くんがやってくれてたんでしょ? 私が困った時に相談すると、すぐに駆け付けてくれたし。本当に、本当に亜希子がうらやましかった……」

「お義母さん……」

「こんなに素敵な旦那さんがいるのに……私の育て方が間違っていたせいで……」

「それは違います!」


 思わず大きな声を出した真一に驚く沙織。


「亜希子は大人です。もう子どもではありません。大人になって道を外れた娘の責任を感じる必要はありません。お義母さんは自分の人生のすべてを賭けて、大変な苦労をして亜希子さんを育ててこられました。そんなご自分の人生を否定しないでください」


 沙織の瞳から涙が畳の上に落ちた。

 真一は、自分の手に添えられていた沙織の手を、両手で優しく包み込む。


「お義母さんは立派な母親です。それは疑いようもありません」

「ごめんなさい……真一くん、ごめんなさい……」


 うなだれながら、涙ながらに何度も謝罪を繰り返す沙織。


 真一、美咲、愛香、そして沙織。

 またひとり、心に深い傷を負ってしまったひとが増えた。亜希子ひとりの身勝手な行動に、周囲の人間の心がどんどん傷つけられていく。背徳の沼に溺れる亜希子は、それにまったく気付いていない。浮気や不倫の恐ろしさを改めて痛感した真一だった。


「……真一くん、離婚に向けての準備は大丈夫?」


 真一から手を離し、涙をぬぐった沙織が心配そうに聞いた。


「はい、車の中の行為とホテルに入っていった映像は手元に残っています。ただ、明確にその行為が映っているわけではありませんので、証拠固めをするために興信所へ調査を依頼したいと考えています」

「うん、それがいいわね。離婚調停や裁判になるかもしれないし、親権だって確保しなきゃだし、証拠が多いに越したことはないわ」

「離婚までに色々とご迷惑をおかけすることがあると思いますが――」

「離婚しても迷惑かけて、ね?」

「え?」

「私の大切な息子だもの。たくさん迷惑かけてね」

「……本当にすみません」


 自分には力強い味方がいる――


 沙織の暖かい微笑みにその思いを心に刻んだ真一は、亜希子との決別に向けて歩みを進めていく。






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<次回予告>


 第20話 父と娘の絆



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