第三章 不義

第14話 空虚な人生

あつし、オマエはこのスーパーの跡取りだ。それを忘れるんじゃないぞ」


 親の愛情を感じたことがない――


 幼い頃、両親に可愛がられた記憶が無い。一緒に食事をした記憶も無い。どこかへ遊びに出かけた記憶もない。記憶にあるのは、保育園にいたこと。じいちゃんとばあちゃんが親代わりだったこと。それくらいだ。

 じいちゃんとばあちゃんがあきなっていたよろず屋的な商店を、父と母がスーパーマーケットに業態変更。土地を買い足し、建物を増築して、増える商品とお客さんに対応。地域の生活の中心となっていった。そこまでするのに並々ならぬ努力と苦労があっただろう。父も母も今の状況が誇らしげだ。子どもの俺を犠牲にしていたことを忘れて。


 スーパーの息子――


 小学生になって、クラスメイトからそんな風にからかわれることが増えた。お前の家だってウチを利用しているくせに。ある日、あまりにしつこいので言ってやった。「お前の家には何も売ってやらないからな!」って。でも、向こうは大笑いしてて、俺は悔しくて涙ながらに父に相談した。

 俺は父と母にボコボコにされた。お客様に何を言っているんだと。ズタボロになって鼻血を流している俺をそいつの家まで引きずっていき、土下座して謝らされた。向こうの親が逆に心配してくれた記憶がある。

 帰り道、俺の前を歩く父と母が言っていた。


「これでお客様第一っていうイメージがつくといいわね」

「そうだな、こういう時もうまく利用しないとな」


 家に着くまで、俺には一切目を向けず、何も話しかけてこなかった。


あつしくん、お顔の傷、大丈夫?」――


 近所に住む同い年の幼馴染みの涼子りょうこ。黒髪ショートの少しボーイッシュな感じの女の子。俺を心配してくれるのはこいつだけだ。小学校に上がってすぐ祖父と祖母が立て続けに亡くなり、俺の味方は誰ひとりいなくなった。精神的にも追い込まれ、ふさぎ込む俺をずっと気にかけてくれていたのが涼子だった。辛くて苦しくて泣いていた俺を抱き締めてくれたのも涼子だ。俺は両親から感じることの出来なかったひとの温もりを涼子から教わったのだ。


「松永(敦)、お前あんなブスと付き合ってんの?」――


 中学の時に言われた男友だちからの一言。「涼子はブスなんかじゃねぇ!」って言えれば良かったのだけど、俺にそこまでの気持ちはなかった。実際、涼子は可愛いとは言い難い。目も鼻も口も小さくて、彫りの浅いのっぺりした顔付き。おまけに、垢抜けていなくてもっさりした雰囲気の大人しくて真面目なだけが取り柄の田舎娘。だから「そんなわけねぇだろ」って答えた。「そうだよな」と言って笑う友だちと一緒に俺も笑った。

 この日から涼子と距離を取り始める。涼子は何かを察したのだろう。何も言ってこなかったし、俺には近寄らなくなった。


 親の言われるままに勉強し、親の言われるままに進学校へと進学。店の手伝いがあるので部活にも入れず、ただ高校へ通い、店で働く毎日。このまま親の言われるままに大学へ進学して、自分の店に就職するのかなと漠然とそう思っていたし、もうそれでいいと思っていた。だから俺は、大学進学のために必死で勉強し続けた。

 高校二年生の頃、地域に大型ショッピングモールがオープン。中核施設のひとつとして大手のスーパーマーケットが進出してきた。父と母はそれに焦り始める。


「大学には行かせない。店を手伝え」――


 大学受験も間近に控えた頃、父と母から突然そんなことを言われた。進出してきた大手スーパーマーケットとの過熱する競争に人手が足りないという。


 俺は、自分が「親の都合の良いコマ」であることを思い出した。


 親が金を出してくれないならと、奨学金を利用することも考えた。しかし、そもそも大学へ行くことそのものが進学の目的になってしまっていたため、最終的に自分の店に就職するのであれば、わざわざ借金を背負う必要はない。俺は大学進学を断念した。


 それから十年近くが経過。大手スーパーマーケットとの競争は続いているが、取引メーカーの協力なども得ながら、何とか店を継続させていた。

 俺は「スーパーマツナガ」の店長となったが、その実「店長」いう名のお飾り兼サンドバッグだ。社長という名の父と、専務という名の母から、通達という名の命令をされ、指導という名の叱責をされる毎日。うんざりだ。


「涼子ちゃんと結婚しろ」――


 父と母からの命令。理由は分かっている。涼子の父親が地元の地銀の幹部役員だからだ。融資元をガッチリと確保したいのだろう。この時代にまさかの政略結婚。そもそも涼子の気持ちが重要だろ……と思ったが、涼子は了承しているとのこと。

 俺は涼子を呼び出し、十年振りに顔を合わせた。美人になったわけでもないし、黒髪ショートなのも変わらずで、垢抜けてなくてもっさりした感じも昔と全然変わっていない。それでも――


「敦くん……私、敦くんのお嫁さんになりたい……」


 ――目に涙をいっぱいに溜めながら、顔を真っ赤にしてそう言う涼子に、俺は胸の高鳴りが抑えられなかった。


 涼子は、ずっと俺を待っていてくれたのかもしれない。いや、そんなのは俺の勘違いかもしれないが、涼子は人間としての自分を求めてくれた。涼子なら俺の空虚な人生を彩ってくれるかもしれない。涼子に俺の子どもを産んでほしい。涼子と幸せな家族を作りたい。俺は生まれて初めて『幸せの形』を意識し始めた。


 しかし――






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<次回予告>


 第15話 破綻した思い



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