第12話 目覚める獣

 結婚後も真一と二人三脚で頑張ってきて、必死で頭金を貯めてきた。そして、ついに住宅を購入! 夢のマイホームだ。頑張ってくれた真一には心から感謝している。美咲も手がかかることが無くなってきたので、子育ての方も一段落といったところ。そんな少し手持ち無沙汰を感じ始めた頃だった。

 ある日、いつも行くスーパーではなく、品揃えの良い少し離れた場所にある『スーパーマツナガ』へ車でお買い物。買い物を終えて、エコバッグに買ったものを詰めていると、荷詰め台の上にお店のチラシが置いてあることに気付いた。買い忘れたものがないか、安いものがないか、次のセールのタイミングは……そんな思いから一枚手繰たぐり寄せてみる。そこで私の目に飛び込んできたのは――


『パート・アルバイト募集! 私たちと一緒に働きませんか?』


 ――チラシの片隅に書かれていたお店の求人情報だった。

 私は「働く」ということに心惹かれた。別に生活が苦しいわけではない。真一は頑張ってくれているし、出世もしている。でも働くことで家計の足しにはなるだろうし、それに自分の人生に新しい張り合いができるのではないか、という期待もあったのだ。


「あのね、パートに出たいなって」


 私からの相談に真一は即OKを出してくれた。働いて得たお金は、全部自分のお小遣いにしなって、そこまで言ってくれたのだ。理解のある真一と結婚して、本当に良かったと思う。

 早速履歴書を買ってきて、面接の約束を取り付けた。


「店長の松永まつながあつしと申します」


 面接当日、スーパーマツナガの事務室に通された私。長机の向こうに座っている店長と面接だ。私より少し上くらいの年齢だろうか。茶髪短髪で少しチャラついた感じもするが、店長なので仕事はできるのだろう。履歴書と私とを交互に見ている店長。


「高木亜希子さん……ですね」

「は、はい!」


 履歴書を長机の上に置き、顔を上げた店長はにっこりと笑った。


「ぜひ当店で働いていただければと思います」

「ほ、本当ですか! ありがとうございます!」

「貴女のような綺麗な方が働いてくれれば、きっとウチの店の売上も上がるでしょうし」

「まぁ、店長さんはお上手ですね!」

「いえいえ、私は嘘が言えない正直者で有名ですから」


 ふたりして大笑いしてしまった。こんな明るい店長の下であれば、きっと楽しく働けることだろう。私の心は希望に満ちていた。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「長田さん、いつも頑張ってくれている御礼に、一度お食事でもいかがですか? いつも断られていますけど、懲りずにお声掛けしてみました」


 働き始めて三ヶ月。こうして店長からのお誘いを受けるのは何度目だろうか。ずっと断っているのだが、こうして優しい笑顔で何度もお誘いいただくと、断るのにも段々罪悪感が湧いてくる。見た感じ下心があるわけでもなさそうだし、そもそも私が既婚者であることは知っているはずだ。


「わかりました」


 私は折れた。浮気するわけでもないし、食事くらい大丈夫だろう。一度行けば店長も納得するだろうし。

 喜びをあらわにする店長を前に、私は苦笑いしながらそんなことを考えていた。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 居酒屋か何かと思っていたら、まさかのフランス料理。しかも高級ホテルのレストランで個室。本当に驚いた。食事も凄く美味しかったし、こんな豪華な食事会になるとは思っていなかった。


「長田さん、くつろいでくださいね。ここならマナーとかも気にする必要ないですから」


 実際、マナーなんて全然知らなかったので、店長にそう言ってもらえて少し心が楽になり、お陰でおしゃべりも楽しく弾ませることができた。

 食事も一通り終え、少し空白の時間。もうお開きかなと、そう思った時だった。


「長田さん……笑わないで聞いていただけますか?」

「はい、もちろんです」

「長田さん……いえ、亜希子さん。好きです」

「えっ!?」

「ごめんなさい、こんなことを言ってはいけないのは分かっているんです。でも……一目見たときから……私の運命のひとだって……」


 私の胸は高鳴った。


「て、店長、私には夫もおりますので……」

「分かっています! 分かっているんです……でも、自分の気持ちにウソはつけません」

「店長にだって奥様が……」

「妻は私を愛していません。口すら聞いてくれません……」

「そうなんですか……」

「亜希子さん、もう一度言います。私は亜希子さんが好きです。愛しています」


 胸の高鳴りが抑えられない。

 そんな私の前にホテルの部屋のカードキーを出す店長。


「私の本気の気持ちが馬鹿げていると、気持ち悪いと感じられたら、ご自宅までお送りします。自分の運命のひとを無理やりどうこうするつもりはありません。でも、もしも私の本気の想いを、亜希子さんを愛する気持ちを少しでも理解していただけたのであれば……」


 店長の真剣な眼差しに、私の心は揺れ動いた。

 私をこんなにも求めてくれる男の人がいるのだと。

 この時、私の頭から「家族」は完全に消えていた。


 私は、眼の前に置かれたカードキーをそっと手に取る。


「……一度だけ……一度だけと約束してください……」


 私の心の奥底に眠っていた何かが、またうごめき出した――






----------------



<次回予告>


 第13話 背徳の沼



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