第11話 差し伸べられた手

「その話、もうやめませんか? 聞いていて気分が悪いです」


 誰にでも簡単に股を開く女だと、私を蔑む声が休憩ルームの扉の向こうから聞こえてきた。自分のこれまでの軽率過ぎる行いに後悔する私だったが、それに異を唱えてくれたのは真一だった。


「あぁ、高木(真一)は先週の歓迎会でも長田(亜希子)さんとどっかに消えたもんな」

「高木もイイことしてもらったのか? 気持ち良かったか?」


 私のせいで真一まで笑われてる。悔しい。悔しい。


「だから、そういうのやめてくださいって。長田さんをそういう風に言うのもやめてください」

「仲良くしてると身体目的だと思われるのは当然じゃね?」

「憶測が下世話過ぎます」

「でも信憑性の高い噂だぜ?」

「仮にその噂が真実だとしても、今そうじゃないのであれば問題ないですよね」

「問題ないかねぇ〜」

「というか、問題あるのはあなたたちの方ですよ」

「は?」


 真一の言葉に、休憩ルームの空気が張り詰めたのが私にも分かる。


「長田さんがどんな過去を抱えているかは分かりません。でも、その噂が真実だとして、もしも過去を悔いていたとしたら、皆さんはどう思いますか?」

「え……悔いていたらって……」

「もしも『あんなことをしなければ良かった』って、『なんて馬鹿なことをしたんだろう』って、心から後悔していたら?」


 休憩ルームの中からは、何の音も聞こえなくなる。


「社会に出たことをきっかけに、やり直しを図っているのかもしれません。そんな彼女に、公衆便所と囃し立てながら石を投げつけるんですか? 社内に噂を振り撒いて、魔女裁判のように火炙りにしたいのですか?」

「……わかったよ、もう言わねぇよ……クソ真面目な馬鹿が……」

「長田さんの噂が社内に流れるようなことがあれば、皆さんを名誉毀損で訴えることを彼女に進言します」

「ちょ、ちょっと……」

「皆さんのやっていることはそういうことです。当然、社内的にはハラスメントになるでしょうね。裁判になったら、ご家族にも多大な迷惑がかかることになるでしょう。子どもさんの将来に影響しませんか? ご両親のお仕事に影響しませんか? よくお考えいただき、くだらないことで自分自身と周囲を不幸にしないでくださいね」

「……チッ、分かったよ。行くぞ」


 ガチャリ


「あっ……」


 休憩ルームから出てきた私を蔑んでいたふたり。本人がいたことに驚いたようだ。そして、すぐさま気まずそうに目をそらし、そのまま足早に立ち去っていった。

 休憩ルームに入る私。ひとりで休憩していた真一が私に気付いた。


「あれ? 長田さん、お疲れ様です。休憩ですか?」


 優しい微笑みを浮かべる真一の姿に、私は涙が止まらなかった。


「長田さん、大丈夫?」


 うつむいて小さく嗚咽を漏らす私。


「ご、ごめんなさい……私……私、馬鹿なことをして……」

「長田さん、今日また飲みに行こうか? ね!」

「で、でも……」

「バーのマスターから連絡があってね、新しいモクテル(ノンアルコールのカクテル)を考案したんで、長田さん誘って飲みにおいでって言われてるんだよ」

「……私で……いいの……?」


 真一は、私の顔を覗き込むように自分の顔を寄せた。


「長田さんがいい」


 その一言に、私は真一の胸に飛び込んだ。

 影で公衆便所と呼ばれていた私をすべて受け入れてくれた真一。

 胸に感じる熱い想い。これがきっと私の本当の初恋だったと思う。


 この後、社内で私の噂が広がることはなかった。


 この一件以降、男遊びを一切やめた私は、やがて自然に真一と真剣なお付き合いをするようになる。

 その後、初めて真一と身体を重ねた時、私は初めてセックスが気持ちいいと感じた。乱暴で激しいだけの男性本位で自分勝手な行為ではなく、ひとつひとつの行為が丁寧で優しく、私に嫌な思いをさせていないか、私を痛くさせていないか、どうしたら私に気持ち良くなってもらえるか、私への愛を感じる行為。私は真一にしがみつくように抱きつきながら、これまで感じたことのなかった押し寄せるような幸せに包まれた。


 そして――


「子どもが出来たみたいなの」


 ――私が望んでいた真一の子ども。男遊びをしている時は必ず相手にゴムをさせていたが、真一は別だった。だから、真一も承知の上だと思う。でも、付き合い始めて間もないこともあり、望まない妊娠になってしまうかもしれない。諦めなきゃいけないかもしれない。そう思っていたけど、真一は大喜びしてくれた。


「オレに責任を取らせてください。きっとを幸せにしてみせます」


 真一の愛に溢れた言葉に、私は喜びの涙を零した。真一はすでにご両親が他界しており、私の母は大喜びだったので、結婚に反対するものは何もない。新卒で社会に出たばかりの私たちにお金はなく、結婚式や披露宴は断念せざる得なかったが、母を交えた三人だけの豪華な食事会を結婚式代わりにした。ウェディングフォトも撮影したので、念願のウェディングドレスも着ることができた。一生の思い出だ。

 入社間もないので申し訳なかったのだが、私は会社を寿退社。母の助けを借りながら無事出産することができた。可愛い女の子だ。真一とふたりで考えた『美咲』という名前をつけた。美しく咲き誇るような魅力的な女の子になってほしい。


 小さなマンションで家事と育児に追われる毎日。子育ては本当に大変だけど、真一は育児にも家事にも積極的で、夜泣きでふたりして寝不足なことも笑い飛ばせた。


 お金が無くて苦労ばかりの三人家族。でも、そこにある小さな幸せこそが、私の本当の幸せ。これが私が得た『幸せの形』だった。


 あの日までは――






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<次回予告>


 第12話 目覚める獣



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