第6話 揺らぐ絆

 夜、美咲の家から程近い自然公園の無料駐車場。辺りを照らす街灯のそばに、赤いコンパクトなミニバンが駐車している。他に駐車している車はない。その車へ寄り掛かるようにして、ひとりの男性が缶コーヒーを飲みながら佇んでいた。愛香の父親だ。駐車場を囲む茂みの中から聞こえる虫たちの合唱をBGMに缶コーヒーをすすり、誰かを待っている様子がうかがえる。

 やがて、一台の黒に近い深紫色の軽ワゴンが駐車場に入ってきて、ミニバンの近くに駐車した。その様子を見て、缶コーヒーを煽って一気に飲み干す愛香の父親。どうやら待っていた人物がやって来たようだ。


 軽ワゴンから降りてきたのは、美咲の父親である真一だった。オリーブグリーンのポロシャツにカーキの短パンというラフな格好だ。そのまま愛香の父親のところへと向かう真一。


「愛香ちゃんのお父様ですね。美咲の父でございます。今日は美咲が大変お世話になりまして、ありがとうございました。こちらガソリン代の足しにしていただければ……」


 白い封筒を手渡そうとする真一だったが、それを笑顔で断る愛香の父親。


「お気遣いなく。ウチの愛香と仲良くしてくださって、美咲ちゃんには感謝しておりますので」


 お互いに頭を下げ合った。


「それで美咲のことなのですが……」


 真一の問い掛けに、愛香の父親は深刻そうな表情を浮かべる。


「今はウチで愛香とおります。家に帰りたくないと言っているのと、美咲ちゃんを今ひとりにするのは危険だと感じたので……勝手なことをして申し訳ございません」


 頭を深く下げる愛香の父親の姿に焦る真一。


「や、やめてください! 色々お気遣いいただきまして、本当に感謝しておりますので! ……ただ、何があったのでしょうか?」


 愛香の父親は何かを言おうとするが、言葉が詰まってしまう。


「お気遣いは無用ですよ」


 笑顔を浮かべる真一に、愛香の父親も覚悟を決めたようだ。大きくため息をひとつ。


「落ち着いて聞いてください」

「はい、大丈夫です」

「実は、奥様をお見かけしたのです」

「妻を?」

「はい、美咲ちゃんがそう言っていたので間違いないかと」

「どこで?」

「国道で……スーパーマツナガの車に乗ってらっしゃいました」

「スーパーマツナガ? それは妻のパート先です」

「そうでしたか。運転していたのは……私たちと同年代の男性です」

「! そ、それは仕事で……」


 愛香の父親は、残念そうに首を横に振った。


「車は……インター近くのホテルに……入っていきました……」

「…………」

「しかも……その……」

「全部教えていただけますか?」

「はい……おそらくですが……移動中に……男性を…………口で……」

「まさか、それも美咲は……」

「気付いた時に私も『見るな』と叫んだのですが……」


 茂みの中の虫の演奏が妙に大きな音に感じるふたり。

 街灯に引き寄せられた蛾の羽ばたく音さえ聞こえた。

 愛香の父親は、ポケットからマイクロSDカードを取り出し、真一に差し出す。


「……これは?」

「私の車に取り付けているドライブレコーダーに録画されていた映像です。コピーしてお持ちしました。カードリーダーがあれば、パソコンで再生できるかと思います。私も確認しましたが、顔も含めて鮮明に映っていました」

「……ありがとうございます。頂戴いたします」


 マイクロSDカードを受け取る真一。


「美咲ちゃん、しばらくウチで預かります。ウチはふたり暮らしですし、愛香もかなり心配していて一緒にいたいと言っています」

「失礼ですが、奥様は……」

「ウチは五年前に死別しまして……交通事故でした」

「すみません、大変失礼いたしました!」

「いえいえ、お気になさらず。ところで……これからどうされますか?」


 愛香の父親の言葉にうなだれる真一。


「……正直……妻が浮気していることは、薄々気が付いていました……」

「そうでしたか……」

「ただ、美咲のことを考えると、中々別れるという選択ができず……」

「…………」


 それに真一自身もまだ亜希子を愛していた。きっといつか目が覚めて、元の明るい妻に、優しい母親に戻ってくれる。目を覚ましてくれれば、自分の浅はかな行いを悔いてくれれば、すべてを許そう。そして幸せだった頃の家族をもう一度取り戻そう……そんな期待を心にいだいていた。


「現状のままでは美咲も家に帰りたがらないでしょうから、一度義母に相談して美咲を預かってもらおうと思います。それまで美咲をお願いできませんでしょうか。勝手を言って申し訳ございません……」

「ウチはいつまででも大丈夫ですよ。美咲ちゃん、とてもいい子ですし、愛香も喜ぶので大歓迎です。ただ、奥様側のご親族に相談というのは、大丈夫なんですか?」


 真一は愛香の父親を安心させるように笑顔を見せた。


「私の両親はすでに他界していますし、義母と私との関係は良好です。きっと力になってもらえると思います」

「そうですか、それなら安心ですね。ではまた何かあればLIME(チャットアプリ)でメッセージを送ってください。私も出来る限りのことはしますので」

「何から何までありがとうございます」


 握手をする真一と愛香の父親。

 真一の顔にも笑みが浮かぶ。


 しかし、真一の内心は複雑だった。

 亜希子の浮気、しかもそれを娘の美咲に見られている。これまでは自分が我慢して、バランサーとして家族をつなぎ止めておこうと必死になっていたが、美咲に見られてしまった以上、何らかの形で亜希子と決着をつけなければならない。それでも、離婚という選択肢をどうしても否定したい真一は、話し合いで亜希子の目を覚まさせることができないかを考えながら、自分の車に乗り込んだ。






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<次回予告>


 第7話 性の誘惑



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