第一章 発覚
第4話 母の姿
星があまり見えない湿気った空気が満ちる夜、郊外の国道を赤いコンパクトなミニバンが走っている。等間隔に設置されている街灯の明かりで、フロントウィンドウでは運転手の顔が見えたり、影になって見えなくなったりを繰り返していた。運転手は、顎髭を少し生やした黒髪ベリーショートの三十代くらいの男性。動いている口元から同乗者とおしゃべりをしている様子だ。助手席には誰も乗っていないが、後部座席に同乗者がいるのだろう。
「たまには身体動かすのも楽しかっただろ?」
同乗者へにこやかに話し掛ける運転手の男性。後部座席にはふたりの女の子が座っていた。運転席の真後ろに座っているのは、目立たない程度に茶髪にしたショートカットの女の子。中学生くらいだろうか。彼女は突き放すようにボソリと答える。
「……まぁね。誰かさんが池に落ちなきゃね」
「
苦笑いを浮かべる男性。その娘である愛香は呆れ顔だ。そんなふたりの様子を見てクスクス笑っているのは、後部座席で愛香の隣に座っている黒髪ポニーテールの可愛らしい女の子。美咲だ。
「おじさん、途中で池に落ちちゃいましたもんね」
「まったく、運動神経ゼロのくせに『アスレチックやろう!』なんて言い出して、『パパはやっぱり上級者コースだな!』って、何がやっぱりなのよ!」
「な、なんだよ! パパだって頑張っただろ! 池に落ちたら、愛香も美咲ちゃんも大笑いしてるしさ。冷たいよな」
「おじさん、最高のオチでしたよ」
「池に落ちただけにね」
車内にふたりの女の子の笑い声が響き渡った。
「そうかい、そうかい。ふたりともそういうことを言うんだな。例のハンバーグステーキ屋に寄ろうと思ったけど、やっぱりハンバーガーのドライブスルーでいいよな」
車内のバックミラーに「ヤバい!」という表情を浮かべたふたりの女の子の顔が映った。
「おじ様、難関アスレチックに挑むその姿、とても素敵でした!」
「パパ、めっちゃカッコ良かった! パパの娘で幸せだわぁ〜」
「おい、ふたりとも調子良すぎるだろ!」
愛香の父親のツッコミに、その父親も一緒になって三人で大笑いした。
しばらく走り続けていた車も、やがて交差点の信号につかまる。アクセルを踏めば、黄色信号で通過できそうだったが、娘とその友だちを乗せていることもあり、愛香の父親は車速を落として、車を止めた。
この愛香の父親の安全運転をしようとする判断が、美咲にとって悪夢が幕を開けるトリガーとなる――
大きな交差点の信号。停まっている時間も長めだが、車内では和やか空気が流れ、三人での楽しいおしゃべりが続いていた。
この時、美咲はフロントウィンドウ越しに対向車線で信号待ちをしている白いライトバンを見ていた。
『スーパーマツナガ』
車体のドアに掲げられたそれは、母親の亜希子がパートで働いているスーパーの名前だった。社用車であろうことは、美咲にも分かる。茶髪短髪の男性がひとりで運転しており、週末もこうして働いているのかと、母親の忙しさを少し理解できた気がした。
美咲はその車から目を離し、三人での会話に戻ろうとする。
ほんの数十秒後、いや数秒後だったかもしれない。
再度スーパーの社用車に目をやった。
「えっ……?」
社用車の助手席には、母親の亜希子の姿があった。
いつ乗ったのか、それともリクライニングシートを倒していたのか、まったく分からないが、何も無かったかのように助手席に座り、運転席の男性を楽しそうに会話をしている。そして――
――男性と口づけを交わした。
言葉のない美咲。猛烈な吐き気が胃の奥から込み上げてくる。
「美咲ちゃん、どうしたの?」
「美咲、大丈夫? 車酔いしちゃった?」
様子のおかしい美咲に気付く愛香とその父親。
美咲は真っ青な顔をして、何も答えられなかった。
信号が青に変わる。
対向車線に停まっていた母親を乗せたスーパーの社用車が動き出した。
「……追って……」
「美咲ちゃん、車停めようか?」
「美咲、顔色ものすごく悪いよ。パパ、どこかで車停めて」
ふたりは、車酔いをしたのだと思い美咲を気遣った。
しかし、美咲は顔を上げた。
「いいからさっきのスーパーの車を追って!」
怒りをあらわにし、大声を上げる美咲。
美咲の突然の変わり様にふたりは驚いた。
美咲の目には涙が溜まり、強く歯を食いしばっていた。
「……わかった。Uターンしてさっきの車を追おう」
尋常ではない美咲の様子に、愛香の父親は交差点で車をUターンさせた。
意味がわからず、父親と美咲とを何度も見返す愛香。
(お願い、勘違いであって……私の見間違いであって……)
目の前を走るスーパーの社用車、そして助手席に座る母親の影を見ながら、美咲はただ祈り続けていた。
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<次回予告>
第5話 色欲を
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