名探偵横溝は歩く①未来が島――冒険小説の謎

沼津平成

5分で即席ストーカー事件

第1話 人格はコロコロかわる 犬も歩けば棒人間 事件解決はすぐそこに。あ、また離れた……

       *この小説はフィクションです。


「なんで他の職業は「佐藤伯爵」とか名前の後に自分の職業をいうのに、探偵や芸人はなぜ職業を頭につけて名乗るのだろうか——。無論、「言いにくいから」でもあると思う。でも、他にも理由がある気がして、私は夜も眠れません。」1975年広島にて   安東圭祐あんどうけいすけ 乱歩忌の日に


       1


「正史さん、正史さん!」

 それは横溝正史よこみぞまさふみが、軽く腕を振って、大きな公園の中にあらかじめ引いておいた円を何周も回っている途中のことだ。

「ちょっと、その呼び方やめてくれるかなぁ?」

 正史は苦笑いした。

「そうすもんね!」

 正史がはやく結婚していたら、子だったかもしれないくらいの青年が、はははと笑った。この青年は井戸川乱歩いどがわらんぽだ。長身をいかして、さわやかな汗をかきながら、彼も歩いていた。

 乱歩は自称187cmの高い背をいかした、軽いフットワークで、もうこのコースを十六周くらいしている。一周580mだというのに。

「つまり9km弱ってことすか~! え、俺すごっ!」

 この青年を見ると、正史も笑ってしまう。秋の七時、という冷たい時間に、暖かい息がかさなる。

 どういうわけか、お互い無言で、数周まわったころ、その少年は訪れた。

秋野賢史あけのたかし!」

 先に気づいたのは井戸川だった。井戸川は大きな声を出して、その少年の名を呼んだ。秋野賢史は地元のヤンキーである。強さは中級といったところで、とりあえず不良と呼ぶにとどまる――少年である。(もちろん、警察のご厄介には何回もなっているが。)少なくとも中学生は張り倒せるのだが、大学生となると雲行きが怪しくなる。

 秋野賢史は本名ではない。地元のヤンキーもカッコつけているだけである。彼の本性は、秋野が心を開いた人しか見せない、——と正史と乱歩は知っていた。自分は恵まれた人なのだ、とも。

 彼は葉巻もすったが、もちろんそれも本性を隠すための演技だ。少なくとも正史は気づいているが、乱歩はどうだろうか?

 秋野は乾いた笑いを見せると、眼鏡をかけた。「僕の新作、聞いてくれませんかえ」

 秋野には二重人格がある。厳密にいうとそうではないのだが、二重人格という言葉以外を借りて、秋野賢史を表現できない。

 人格Aの秋野賢史はヤンキーである。あごには傷があり、声は低かったり高かったりする。しかし、どちらであっても対戦相手を怯えさせたことには間違いない。

 しかし、人格Bの秋野賢史は釈迦である。どんな小さなことも許さない。だから。人格Aとのコラボレーションが多い。テストの点は低い分、家の勉強は、(こやつ、早稲田に受かるぞ……?)というレベルのものだった。一人称も俺と僕でちがう。

 対して横溝のほうは、あぶれていた。あまり有名ではない小中一貫校を卒業すると、予備校一筋で学んだ。しかしその予備校も半年でやめた。

 両親のうち正史が影響を受けたのは父親だといえる。色濃く父親の性格がのこっているのだ。しかしその父親は正史が予備校を入学した時くらいに亡くなった。

「交通事故だ」

 といわれたが、いろいろ不審な点があって、事件になった。しかし、解決されないままその事件は人々の記憶から消えた。

 というわけで正史は探偵を目指したことがあり、そこら辺のことを少しかじった。どうやら父親のケースだと時効は20年らしい。横溝の「名探偵梶原大輔」は、5年で活動をおえた。

 しかし正史は活動をやめただけだった。正史は、それでも悪事の証拠を見つけると、警察に匿名で提出したりはした。しかし、地元でも梶原大輔のサインは有名で、いつも文末に「『大好きな家事』腹」と書いてあると、警察は喜んだ。

「次の事件を解決したら、警察は指紋を鑑定するだろう。そして正史の指紋だったら感謝状を贈るだろう——。」

 いつの間にか、こんなうわさがささやかれるくらいになった。


       *


 秋野とも何周か走った。風が水風呂のように冷たくなってきた。正史は帰ることにした。秋野の話は後半に差し掛かっていて、そのトリックに正史は、計り知れないショックと感銘を受けた。そしてひそかに、「秋野を梶原に襲名させようか」ともくろんだ。前に何度かその話を持ち掛けたことがある。秋野は喜んでいた。「名探偵の二文字をとって、梶原梅丹にしましょう!」なんて舞い上がっていた。

(梶原梅丹か……)

「じゃあ僕たちも帰りますか」と秋野がいった。

「じゃあな」

 秋野の家とは反対方向なのだ。

「はい。また15時に」

「OK。予定あけとくわ」

 正史はこたえた。乱歩も同意した。


     *


 家に帰るともう依頼人がいた。腰を下ろそうとして、椅子がとてつもなく低いことを思い出す。円い机を隔てて、正史は話を聞く体勢に入った。

 その中年の依頼人は正史と同じくらいの年だったが、ひげが濃い正史とは違って、その依頼主のひげはよくメンテナンスされているようだった。

 依頼人は金岡かねおかたまきという女におびえていた。

 金岡は既婚だそうだ。

「どうして、金岡夫人が――?」

 と正史はきいた。

「いやふざけじゃないんですよ。深~いわけがあって。『電気あんま』云々じゃなくて」

 依頼人はなかなか本題に入らせてくれない。何回か声をかけてみた。二十分くらい粘られたが、ようやく本題に入ることができた。

「金岡が私をストークしてくるんです」


       2


 十五時、五分前——。

 賢史の本名は、たかしではなくたけしである。

 桜尾顕さくらおたけし——。

 それが彼の名前だ。

 また桜尾は小説家としてもやっている。

 その名前は、


       *

 人間が普通に歩いているとき、およそ時刻4kmである。

 井戸川乱歩は十五時三分前になってきた。別段急いでいるわけでもなくのんびりゆったりと歩いてきた。そのときの彼は時速二、三キロに見えた。

「乱歩さん!」顕がきいた。「正史さんは……?」

「ああ、横溝?」乱歩が答えた。「横溝はねぇ、なにやら依頼人に聴取してたけどな、おれが家を出る数分前に大きな足音といびきが聞こえたんだ。だから寝てると思うよ」

 と、そのとき、「みんな、遅れてすまん!」横溝が走ってきたのだ。

 雲ひとつない秋の空の下、気まずい雰囲気が、あたりに立ち込めていた。

 

         

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