第6話

 ジャルダン・ディリスとは篠原のバイト先である。そして小野というのは彼の父親。つまり、一つ屋根の下で暮らす親との苗字が違うわけである。以前篠原から聞いた愚痴は給料の話がメインだったけれど、その中には親への複雑な感情も入り混じっていたように思う。


 なんでも両親は離婚していて母親と暮らしていたが、パティシエを目指すためにこちらへ父親と一緒に来たらしい。このあたりの事情はややこしくて、彼の話す言葉の節々から親への葛藤を感じられた。俺としても気の利いた言葉の一つや二つ声を掛けてやりたかったのだが、なんせ自分の考えを言葉にして出すというのが苦手な性分でもある。大したことも回答できずに彼には申し訳ないことをしてしまった。彼にとって俺の答えは物足りなかったようだったが、俺だって自分のことを気軽に彼に話せるわけでもないからお互い様だ。


 人は自分の苦しみを分かち合える人を欲するし、友人と思える相手なら尚更そうありたい。篠原のことは嫌いではないし、腹を割って話せるのであればそれほど嬉しいことはないのだが、彼とそこまでの深い関係になるためには半年という期間は短すぎた。


 俺はパンを咀嚼しながらスマホに目をやって動画を覗いた。そこには凛々しい表情で部活動への抱負を語る亜紀乃の姿が映っていた。


「私にとってのソフトボールは人生の宝です。大学へ入っても続けます」


 威勢のいい亜紀乃の発言を聞いて、なんとも凛々しいものだと頬が思わず緩んでしまった。この動画は修哉が送ってきてくれたものだ。昨日の朝方、高校の部活動を特集するニュースを偶然スマホで撮ることに成功したらしい。まさか全国放送のニュース番組で亜紀乃の様子が映し出されるとは、夢にも思っていなかった。亜紀乃もすっかり有名人じゃないか。


 亜紀乃がソフトボール部に入ったのは中学生のときだ。亜紀乃は足羽会に入っていたし、中学校には競技かるた部もあるから、当然俺と一緒にそちらへ入ると思っていた。かるたを辞めるといわれたときには驚き唖然としたものだ。


「亜紀乃、競技かるたを続けんのか」

 問い詰める俺に、亜紀乃が返した言葉はこうだった。

「私には競技かるたの才能がないでえ。続けてももう無駄なだけや。足羽会も辞めるつもり」

「マジでか」

「ソフトボール部は活動が忙しいでの。毎日の部活動で競技かるたも併部するなんて無理に決まっとるが。その代わり、慎二を出来る限り応援していくし。私の分も含めて頑張ってや」


 亜紀乃がかるたを辞めてしまう――その事実に困惑し戸惑う俺をそのままに、亜紀乃は足羽会と競技かるたから離れてしまった。亜紀乃のいないかるたはぽっかりと穴が開いたような虚しさがあった。そんな俺を励ますかのように亜紀乃は俺を陰から支え続けてくれていた。部活動で行っている筋トレを伝授してくれ、指を怪我したら湿布を貼ってくれ、試合があれば弁当を届けてくれる。


 そう、弁当だ。亜紀乃はやけに弁当に拘りを見せている。


 自慢ではないが俺は自分で弁当を作らない。弁当はいつも母親頼みだ。スーパーで働く母親は、いつも手早く弁当作りを済ませてしまう。肉を焼いたものに、葉物を煮たものに、漬物とご飯、卵焼き。毎日が単調で大したことはない。それに比べると亜紀乃の作るお弁当は肉がこれでもかというくらいに詰めてあり見栄えも豪勢で食べ応えもがっつりだ。亜紀乃はそれを俺の試合の度に作ってくれる。部活動の全国大会に、福井大会に、西日本予選に東西戦。自分が出来る唯一の応援だと言い張って、時間を割いてレシピを考え俺の好みに味付けを合わせてくれる。俺は亜紀乃の応援を当然のように甘んじていて、その弁当を残さず食うことで恩返しをしているつもりだ。


 ただし亜紀乃のお弁当には当たり外れがあるのが玉に瑕だ。一年前に作ってくれた鰹節入りカツおにぎりは甘ったるくて鰹節の口当たりが最高にマズかった。しかも保存方法が悪かったのか試合当日に食べて下痢になってしまったという曰く付きのレシピである。亜紀乃の応援の力には感謝しているしこれからも応援してもらいたいから、本人に「マズかった、下痢になった」なんて言えるわけもなく、それだけは慎重に伏せている事実である。


 先日の東西戦での弁当には感謝しかない。亜紀乃は、東京までわざわざ弁当を届けてくれたのだ。三島さんとの勝負はほぼ互角で年齢的にみても実力から見ても分が悪かった。一回戦は三枚差で敗退だ。試合が終わった後に両全さんから届けられた亜紀乃のお弁当、このお弁当にどれだけ俺が励まされたことか。どれだけ俺の気力が救われたことか。福井のソースカツの威力は絶大だ。カツとソースの濃厚さが俺の神経をピリリと強く刺激してくる。腹に熱さが漲ってくる。亜紀乃の弁当のパワーは偉大だった。その弁当のお陰で二回戦は五枚差、そして三回戦は運命戦で勝ち切ることが出来たのだ。何度も言うが、亜紀乃には感謝しかない。これをどうやって本人に伝えることが出来るのだろう。口下手でメールもLINEもできない俺には、食べることでしかその方法が分からない。


 家が隣の幼馴染。幼いころには気軽に話せる相手だったというのに、互いに気兼ねをするようになったのはいつからなんだろう。俺には、高校生になった亜紀乃の気持ちが今ひとつよく分からない。

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