第4話
乗っている舟が右に左にと揺らされているようで、ほとほと疲れてきた。普段の教室ではとうてい無理な会話が、ここでは大っぴらにできることにいたくご満悦らしく、篠原はいつも以上に饒舌になっている。まあそれはいいのだが、会話の内容があまりにも際どいものばかりで、こっちとしては迷惑千万極まりない。早く教室に戻ってくれと念を出し続けるものの、篠原は完全にそれを無視していた。勘がいいと自慢するくらいなら、俺の気持ちくらいちゃんと汲み取れよと恨みがましく思う。
篠原は壁側の棚に乗せてあったかるたの読み札の箱を手に取った。蓋を開けて興味深そうに絵札を眺める。一番上に載っていた札を取って詠みあげた。
「かささぎの渡せる橋におく霜の、か。かささぎってことは、牽牛織女の歌になるの?」
「多分ほうやな」
「七夕の二人って、今でいう遠距離恋愛にも似てる。『会えなければ募り、会えばもっと深まるのが恋心』って、誰だったかな、アメリカの学者も言ってたな。こっちは会えなくて平気だって思ってても、向こうとしてはそうじゃないかもしれないよ。たとえ相手を心から信じていても、募るだけじゃあ辛いだけだ。直接的でなくてもいいから、平安時代の歌みたいにちゃんと何らかの形で伝えてあげないと」
何かを思い出すように話す篠原の瞳には、俺の全く知らない別のものが映っているようだった。謎人は謎人なりに、彼にも人には言えないような恋や過去が一つや二つはあるのかもしれない。
「とにかく一度くらいは、メールか電話くらいしてあげなよ。きっと向こうも喜ぶし。それから――」と、一瞬間をおいて、「明石さんにも、弁当が嬉しかったってちゃんと態度でしめすこと。大学に入ったら離れるわけだし、これはこれで大切なことだよ」
札を元に戻し、じゃあまた後で、と手を振って篠原は外に出た。俺はぼんやりと彼を見送る。結局のところ篠原は何を言いたかったんだろう。全く持って彼の存在自体が謎だらけだ。
ようやく俺は素振りの練習を始めた。しかし一旦吹き飛んでしまった集中力はどこか遠くへと行方不明になってしまい、なかなか自分の中へ戻ってきてはくれなかった。
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