第3話
「変なこと言うなや。俺がモテたことなんて一度もねえわ」
プイと横を向く精いっぱいの俺の抗議にようやく気付いたのか、謎人篠原はすぐさま詫びを入れた。
「いや、こんなことを聞きに来たんじゃないんだ。時間の無駄だな、ごめん。この間、明石さんがわざわざ八重園の試合のために弁当作ったよね。あれ、ちゃんと本人に礼を言った?」
弁当、というものが何を指しているのか咄嗟に出てこなかったけれども、考えを巡らしてようやく東西挑戦者決定戦のことを言っていると思い当たった。先日の東西戦で、亜紀乃は福井から東京まで手作り弁当を持ってきてくれたのだ。大事な試合の応援だから、という理由らしいが、手間の掛かることをよくぞ実行してくれたものだとあっぱれに思う。
「ああ、礼ならちゃんと言っといたで――つうか、弁当のことなんて、なんで知っとんや」
「勘がいいからだよ」と、篠原はにっこりと微笑んだ。「明石さん、よく八重園の試合の弁当作るって小耳に挟んでたから。それだけ気になってたんだ。ちゃんと言ってくれたんならよかった」
いや、篠原が亜紀乃の弁当を気にする理由が分からない。さすが謎人だけあって、言葉の一つ一つが実に謎めいている。訳も分からず眉を潜めて次の言葉を探していると、またもや篠原が思いがけない一言を放ってきた。
「それから八重園ってさ、東京のアキブって子と、ちゃんと連絡は取ってんの?」
東京のアキブという苗字には一人しか心当たりがない。秋生もみじ。かるたクイーンを目指す女の子。突然もみじの名前が出てきたことに、俺の口がぽかんと開いた。
「……なんで篠原がその名前を知っとんや」
「知ってるも何も、俺がこっち来てすぐのときに教えてくれたじゃん。上野に住んでる女の子がどうのこうのって」
そういえばそうだったかもしれない。記憶を辿っていくと、おぼろげながらに思い出すことができた。
「そんな細かいこと、よう覚えとんな。連絡かあ。こっちへ来てくれることはあっても、互いの連絡まではあんまりしとらんな」
「やっぱりね、だと思ったよ。俺も似たようなところがあるから――って、ちょっと待って、さっきのかるた女子の名前がアキブなのか」
しまった、思わず口が滑った。慌てふためいて返す言葉を失った。「まあいいいよ」と篠原は口角を上げる。
「メールとかLINEとか嫌いなのはよく分かる。でも少しくらいは連絡をしてあげた方がいいよ――その子のこと好きなんだったら、尚更ね」
ガツン、と一発、衝撃をくらう。篠原の一言はこん棒のような硬さの武器となって、頭の後ろから殴ってきた。
「好きって……ええ? 俺、ほんなこと、篠原にいつ言ったっけ」と、声がわずかにひっくり返ってしまった。
「やっぱりそうか。聞かなくても分かるよ。それだけ顔が真っ赤になるんだったら」
エサを求める錦鯉のように何度も大きく口を動かす俺の顔を、篠原は可笑し気に見つめている。やられた、と思った。どうやら俺はカマをかけられたらしい。人の気持ちが弄ばれているようで腹立たしいことこの上ない。
「ふざけんなや。ちょっかい出すくらいやったらもう喋らんわ」
「ああ、悪かった。あんまりにも反応が素直すぎるから、ついからかいたくなった。もうやめるよ」
悪かったといいながら詫びた様子を見せることもなく、篠原は白い歯を覗かせていた。屈託のないその笑顔に怒るのを通り越して呆れてしまい、脱力感だけが体に残る。篠原は話を続けた。
「でも連絡するべきっていうのは本当だよ。相手のことが分からない無気力感っていうのは、信じる力を失わせていくから」
「なんや、えらい神妙やの。篠原にも好きなやつがおるんか」
「いたよ。東京に」
これは珍しい。初めて聞かされる恋の話に、俺は俄然興味がわいた。
しかしこの話は篠原にとって必ずしも好ましいものではなかったようだ。干潮で波が引いていくように、彼の顔からはすうっと笑顔が消えていく。
「付き合ってたけど、こっちへ来た時に別れた」そしてもう一言、篠原は俯いてこう付け加えた。「――彼女とキスだってしたのに」
これで今日の何度目の爆弾となるのだろう。「キス」というパワーワードに衝撃を食らって俺の体が瞬時に固まる。するとさきほどの憂いた目つきはどこへやら、篠原の顔にはニヤついた表情が復活していて、腹を捩じらせくくくと笑っていた。またもやしてやられた、と悔しさが込み上げた。絶対にこいつ、俺の反応を見て楽しんでいる。「冗談だよ」とオマケのように付け加えていたが、それがキスのことなのか、別れたことなのか、それとも彼女がいたこと自体を指していて全てが演技だったのかは即座に判別できなかった。
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