第2話

「名人戦、ていうんだっけ? 練習は順調なの?」

「うーん、あんまりよくないの。思うような練習ができんくて」


 俺は体を冷やさぬように上着を着て胡坐をかいた。もわっとした汗の圧力が鼻に掛かる。篠原は納得したように軽く頷く。


「まあ日本一ともなるとレベルが違うしね。八重園が強すぎて誰も相手ができないんだろ。どこの世界でもそういう悩みは多い」

「強い子は、いるにはいるで。その子が相手してくれるときもあるから、ちょっとはマシかもしれん」


「八重園が認めるほどのやつか。それは凄いな。八重園相手でもまともに戦えるなんて、そいつってそんなに強いの?」

「実力ではトップ並みやな。同い年やのに強すぎて、俺でも歯が立たんときがある」

「へえすごい。いい相手がいてよかったじゃん」

「ほやな。女の子やから大変や思っとったんやけど、こういうときはやっぱ助かるわ。この間も東京からわざわざこっちまで来てくれての……」


 つい調子に乗ってそこまで言ってしまって、はっと口を閉じた。自分はとんでもないことを口走ってしまったんじゃないだろうかと、今さらながらに気が付く。

 案の定、篠原の目は限界まで見開いていた。


「八重園の家に来たの? 高校生の女の子が?」

 まずい、これは絶対に揚げ足を取られる。篠原はこちらが嫌になるくらい察しがよすぎるのだ。


「……いや、勘違いせんといてや。来てくれたっつっても練習場やし、流れとしてそうなったっつうか……」

「『流れとして』? どんな流れで?」

「いやだから、変な意味なんてないで。ただ単に練習をお願いされただけや」

「練習なら他の相手でもいいじゃん。いくら近くにまともな相手がいないっつっても、東京近辺なら誰かはいるだろ。福井なんて遠いのに」

「北陸新幹線があるが」


「交通費がどんだけ掛かんだよ。わざわざ福井に住む八重園を選ぶなんて、よっぽどいい『流れ』だったんじゃないの」

「あほ言うなや。いい流れって、何想像しとんや。来てくれたのはあくまでも練習のためやで。その子も今度のクイーン戦に出るから、練習する相手が俺やないとあかんって言うし」

「八重園じゃないとダメなんだ」と、篠原は考え込むように顎へ手を置いた「ふうん、その子ってよっぽど八重園のことを気に入ってんだな。いろんな意味で」

「……いろんな意味って、やめてもらえんか。頼むから意味取り違えんとって」


 言えば言うほど誤解が積み木のように積み重なってゆく。俺の顔が茹るように熱くなってくるのを感じた。

「お前って、普段全然目立たないくせに、意外とモテんだなあ」


 篠原は感心するようにそう言うと、楽しくてたまらないというように顔つきを歪ませた。ついでに「福井ってとこは、やっぱりちょっと変わってんな」とかなんとか、かなり失礼なことを小声で言っていたような気がしたが、相手をするのも面倒になってきたので、あえて聞こえない振りをしておいた。


 大体俺がどうしてモテているというのだろう。これまで十八年生きてきて、女子からチヤホヤされたことなんて一度もない。まともに告白されたのは、かるた部後輩の瀬宮さん一人だけだ。


 篠原がモテるというのならばそれは分かる。彼に好意を持っている女の子は少なくとも五人はいる。何故知っているかというと、女子たちが俺に篠原のことをしつこく聞いてくるからだ。そのうち三人はどうしても篠原が捕まらないと嘆いていて、一人は忙しいからという理由で告白までにこぎつけなくて、一人は話しかけることさえもできないと嘆いていた。俺でさえこれくらいの噂が耳に入っているのだから、実際はどれくらいの子が彼に好意を持っているというのだろうか。当の本人はというと恋愛というものにさほど興味がないのか、女子たちの熱い視線からのらりくらりと上手く逃げ回っているようで、なんて贅沢なやつなんだろうと思う。彼への「告白」というミッションまで無事に辿り着くためには、女子からしたらきっとダンジョンの最深部に向かうくらいの試練が待ち受けているのだろう。


 俺でさえ半年間こいつと付き合ってきて、未だにどういった人物かがよく分かっていない。以前アルバイトのことで父親とケンカしたらしく彼の愚痴を聞いてやったのだが、会話の途中で篠原はなぜかふてくされて黙ってしまった。父親と何らかの確執があるようだけれども、複雑な事情までは俺には答えようがなかった。もしかするとそれが気に食わなかったのかもしれない。それ以来、彼は家族の話をしようとはしなかった。


 カップラーメンに入っている茶色い肉の塊のように、篠原という人物は、どのようなもので作られているのかが全く謎のままである。これからは彼のことを謎肉ならぬ、謎人と呼ぶことにしよう。

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