終わりと始まり
そんな状態を八年間も見せつけられたらさすがに諦めも着く。
着いたと思っていた。
あの二人と配属先が同じになった時は神様を恨んだ。どこまで俺を苦しめれば気が済むんだと思ったけれど、配属されていざ勤務してみると意外と辺境暮らしは快適だった。
まず班が違うから関わりが少ない。任務や訓練で被ることはあっても、学園の時みたいに常に同じ時間を過ごすなんてことは無かった。食事中に二人のやりとりを笑顔で見守れるくらいには、世界が広がったと思った。
これならこの燻る恋心もいずれ鎮火するだろうと思っていたのに、現実は残酷だし、やっぱり神様は俺のことが嫌いなんだと思った。
「悪いヤード、明日からハイルデンのところで書類整理手伝ってやってくれないか。午前は訓練で、午後からだな」
「はあ、構いませんけど」
「ありがとう! いやあ今スタクも手伝ってくれてるんだけどな、どうも人手が足りないみたいなんだよ」
ここに来て、ルーヴが介入しないスタクとの時間を持つことになった。
乗り気じゃなかったのに俺は現金なもので、スタクと一緒にいられる時間を心から楽しんでいた。物怖じしない性格も口調も全部が可愛らしく思えて、十八歳になったスタクは同じ男なのに時々ぞくりとするほど色っぽくて、正直堪らなかった。
きっとその時スタクがルーヴと喧嘩をしていたからというのもあって、俺は余計に調子に乗っていたんだと思う。もう何度も飽きる程嫌っていう程繰り返して来たのに、また“もしかしたら”って希望を持ってしまった。だけどそんな希望は他の誰でもないスタクに粉々になるまで砕かれる。
「お前背が高かったんだな」
「…どうして僕が火属性魔法が苦手だって知ってるんだ…」
改めて、本人から『お前に興味を持ったことがない』と言外に言われることがこんなにもメンタルに来るだなんて、夢にも思わなかった。
多分この感じだと、きっとスタクは入学式の時に俺が話し掛けたことも、図書館で火の魔法について俺がアドバイスしたこともきっと覚えていない。覚えていたら律儀なスタクはすぐに俺に「あの時は助かった」なんてお礼を言うはずだからだ。
それがないということは、あの日俺が神に感謝したあの時間はスタクにとってはなんてことない普通の日だったのだ。
だけどきっと、あの後ルーヴと共に行った魔法の練習は覚えているんだ。なんの根拠もないのにそうに違いないと断言出来る自分がいた。
落ち込まなかったと言ったら嘘になる。
でも、本当に数え切れないくらい何回も味わった絶望だった。だから俺はこの感情からの立ち直り方を知っているし、いつも通りの顔の作り方を知っている。きっと俺のスタクに対する気持ちは誰にもバレていない。訂正する。きっとルーヴ以外にはバレていない。
ここにいる人たちは全員ルーヴがどれだけスタクのことを執拗に愛しているかを知っている。
そこに挑もうとする馬鹿なんていやしないと、最初から思っているのだ。
俺も俺を馬鹿だと思う。勝ち目なんてないと分かっているのに捨てきれないこの感情が憎いと思ったこともある。でもどうしたら諦められるかわからないんだ。
──そんなある日の出来事だった。
スタクが上司二人に結構な量の酒を飲まされた。
その結果スタクはベロベロに酔っ払い、上司の命令で俺が部屋に運ぶことになった。
部屋に運んでいる間、スタクはルーヴのことしか話さなかった。見たこともない蕩けた顔で、ふにゃふにゃとした芯の無い声で、ずっとただひたすらルーヴのことを話していた。正直、それ自体は予想ができていたから「やっぱりな」と俺は俺を嗤うことが出来た。
だけど、その後だ。
「ヤードだったのか」
気付かれてすらいないと分かった時、頭の中で何かが切れた音がした。
目の前にいるのはスタクのはずなのに、俺の目はその場所にはいないルーヴを見ていたような気がする。
あの日、放課後の図書館で俺を見ながらスタクに触れたルーヴを。
“こいつは俺のだよ。”
そう言われていたような気がした。お前なんかが付け入る隙はないんだと、夢は見るなと、そう頭を押さえ付けられていた気がした。
そしてその言葉通りに、スタクもまたルーヴしか見ていない。
残酷なくらいの現実がここにはあった。
でも、だけど、やっぱり俺はどうしようもない程諦めが悪かった。
否、それも違う。どうにかして諦めさせて欲しかったんだと思う。もう自分一人ではどうしようもない、行き場の無くなった感情をあろうことかスタクにトドメを刺して欲しいと願ってしまった。
だから、ひどいことをしたと思う。
ただ真っ直ぐに想いを伝えて振られてしまえばいいだけだったのに、頭に血が昇って細いスタクの体を押さえ付けて唇を奪い、肌に痕まで残してしまった。手首を強く掴んでしまったからきっと手形も残っているかもしれない。
それでもいいやと投げやりな自分もいた。
スタクは学園にいた時からずっとルーヴに大事にされてきた。大事に大事に囲われて、余計な情報を一切遮断して、雪のように真っ白なままずっと大切に守られてきた。自分しか知らなくていいんだとでも言うように、その関係に明確な名前をつけることもなくスタクを独占し続けた。
だからスタクには伝わらない。もどかしいくらい、いっそ嫌いになれたらいいのにと思うくらい、スタクは人の感情に鈍感だった。そうさせられた。
「なんでこんなことするんだよ!」
「好きだからだよ!」
そこまでしてやっとスタクに俺の気持ちが伝わったと分かった瞬間、俺は堪えることもしないまま涙を流した。それは悲しさやもどかしさじゃない。
全然なかったと言ったら嘘になるけれど、その涙の最大の理由は。
これで終われる。そう安堵したからだ。
それから呆気ないほど簡単に俺は振られて、呆然とするスタクを一度も振り返ることなく部屋を出て行った。
出て、扉がしまった瞬間、俺はその場に座り込んだ。
扉が閉まった音が嫌に耳に残っている。耳の奥で反響している気もする。目から涙は出なかった。でも全身に倦怠感がまとわりついているようだった。
「あ、終わった〜?」
「⁉︎」
予想だにしなかった声に肩どころが体が大きく跳ねる。弾かれたみたいに顔を上げるとそこには狐みたいに細い目を楽しげに歪めた人がいた。
「は、班長…?」
「そう班長さんでーす。無事玉砕できたようでなにより何より花丸満点―」
「え、は、ぇ?」
「目ぇまん丸でおもしろーいね。さてヤケ酒付き合うよぉヤード。じゃんじゃか飲もうぜ」
そう体格が変わらない、というか俺より少し背の低い班長が難なく俺を起き上がらせる。驚き過ぎて何も言えない俺にその人は口角を上げた。
「俺ぐらいしか気付いてないと思うよ。お前のキモチ」
「!」
「そしてめでたく玉砕粉砕されてくれたから、俺ももういいかなーって思ってさーあ」
「?」
腰に腕を回されて、問答無用で歩かされる俺の頭には無数のクエスチョンマークが浮かんでいる。
「はいはい、とりあえず飲むぞヤード。すでに出来上がってるハイルデンさんも待ってるから今夜は寝かせないぞー」
全く予想していなかった展開に何も喋れず呆然としている俺を気にすることなく班長は歩く。そして俺は感傷に浸る間も無くすでにベロベロになっているハイルデンさんと何故かやって来ていたビビンさん、それと何故か俺の横をキープする班長によって文字通り酒を浴びるほど飲まされた。
そしてその日から数日後、兵舎にルーヴとスタクの関係に進展があったなんて噂が出回った。でも俺はその噂に絶望するなんてことは、もうなかった。いや、やっぱり少しは気にしたけれど、前程ではなかった。
それにどうやら今までは曖昧だった関係性に名前をつけたらしい彼らは、傍目から見ても危うさがなくなっていた。今度こそ本当に隙が無くなったなぁなんて思いもしたけれど、でも「ようやくか」と思う自分もいて、知らず知らずのうちに口角が上がっていた。
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