二章 僕たちの話

自覚のその後①

「俺さ、アルに聞きたいことあるんだけど」


 いつになく真面目か顔で僕を見ているシリウスに何度か瞬きをした。

 ここは兵舎にある僕たちの部屋で、時間は夜。もうそろそろ就寝時間がやって来ると言うタイミングだった。


 ソファではなくシリウスのベッドに座って本を読んでいた僕は大人しく本を閉じ、ベッド横のテーブルの上にそれを置いてシリウスに向き直る。シリウスは僕の前に立っていて、風呂上がりなのか髪から水滴がぽたぽたと落ちていた。


「…まずは髪を乾かすぞ馬鹿。こっちこい」

「はいっ」


 横を叩くと見えない尻尾をブンブンと振り乱したシリウスが満面の笑みで隣に座る。先程までの真剣な顔はどこにやったんだと思いながら濡れた髪に両手を当てて魔法を使えば、濡れていた髪が瞬く間に乾いてふわふわの仕上がりになる。

 まだ濡れている箇所はないかと頭を撫でていれば不意に手を取られて、そのままベッドにシリウスごと倒れ込む。当然痛みなんて無いし、正直予想も出来ていたことだから驚きも少ない。ただ簡単に押し倒されたのはあまり面白くはなくて眉間に皺が寄る。


「あは、そんな顔してても可愛いよアル」

「可愛いなんて言われて喜ぶ男がいるわけないだろう馬鹿」

「えー、でも俺アル以上に可愛い人間知らない」

「括りがデカいなお前は」


 顔の横に手をついたシリウスがごく近い距離から煌めく瞳で見つめて来る。可愛いだのなんだのいうこの言葉が嘘じゃないなんてことは僕が誰よりも一番よく知っている。だから呆れ混じりに息を吐いて、笑みで緩んでいる頬を撫でた。


「で、聞きたいことってなんだ?」

「そうだった! ねえアル、お前に告白してきたやつってヤード?」

「ぐふっ」

「あ、やっぱそうなんだ」

「な、何、なんだ今更…!」


 明日の晩飯なんだと思う? くらいの気軽さで尋ねられた問い掛けに完全に不意打ちを食らった僕は誤魔化すことも出来ずただ驚愕の顔でシリウスを見ることしか出来なかった。でも当のシリウスは怒っている様子もなく、ただ答え合わせがしたかっただけなのか僕に完全に覆い被さって体重を乗せてきている。


「……怒ってないのか?」

「なんで?」


 腰に手を回してそのまま寝転がったシリウスのせいで体が横を向く。正面から見たシリウスの表情にも声にも嘘はなく、何故か僕が気まずくなって目を逸らした。


「だ、だってあの時シリウス怒ってただろ…」


 僕がヤードに好意を伝えられて色々されたあの日から数日は経過していた。つまり、僕たちの想いが通じ合って数日ということになる。

 あの日から僕たちの関係は問題児と世話係でも、腐れ縁の友人でもなくなって『恋人』というなんともむず痒いものに変わった。変わったけれど日々の生活に何か変化があるかといわれたら少し首を傾げたくなる。


 触れ合いは確かに多くなったと思うし、前みたいにシリウスから伸ばされる腕を拒否することも無くなった。どうやら恋人というのはそれが普通らしいからだ。

 まあつまり、僕たちはあの日を境に関係性が変化した。

 そして変化したその日は、シリウスは見たことがない程に不機嫌だったのだ。


「んー、まあ確かにかなり怒ってたけど」


 シリウスの腕が僕の身体に巻き付く。隙間がないくらいに抱き締められると風呂に入ったせいか少し薄まったシリウスの香りがした。


「そのあとすげえイチャイチャ出来たから今はそんな怒ってな、いっだ!」


 思わずシリウスの横腹を殴った僕は絶対に悪くない。


「ぐぅ…、アルは自分も兵士なんだって自覚を持った方がいいと思う…」

「黙れ筋肉」


 思った以上に良いところに入ったらしくシリウスの眉が寄っている。それに優越感を覚えて思わず口角を上げながら背中に腕を回すとシリウスが息を吐きながら僕のことを抱き締め直す。


「ヤードはさ、ずーっとアルのことが好きだったと思うんだよ」

「…は」


 またなんてことないみたいに紡がれた言葉に少し目を丸くする。

 思い出すのは苦しくて仕方がないみたいな顔をしていたヤードだ。


「でも俺の方が早かったんだ。全部」

「…?」

「アルはさ、俺がいつからアルのこと好きだったか知ってる?」


 星を閉じ込めたみたいな目に、甘い熱が宿っているのがわかる。表情は楽しげでもあり、得意げでもある。まるで宝物を見つけた子供のような、そんな。


「知、らない」


 にんまり、シリウスが笑う。


「初めて会った時」

「!」


 また、ヤードの顔が浮かんだ。その時の言葉も、耳の奥で響く。


「…好きになったのはもしかしたらヤードの方が先かも。でも十歳の頃の俺は、恋愛とかそんなの全然わかんなかったけど、でもどうしてもアルのそばにいたかったんだよなぁ。どうやったらアルが俺のものになるのかなって毎日ずーっと考えてた。寝る前とかも考えてた」


 学園にいた頃の、十歳の頃の記憶が蘇る。

 教卓を最前列に置いて、それから後ろに向かって等間隔に二人が並んで座れる席が三つほど列を成す魔法学園の教室。前から2列目、窓際の席に教科書を開いて僕は一人で座っていた。


 僕はシリウスが嫌いだった。何もかもを持っているこの男が嫌いで仕方がなかった。だけど負けたくなかったから必死に勉強して、自分の得手不得手を分析して、それでなんとか食らい付いていた。

 負けたくなかったから僕はずっとひたすら一人でいた。だって勉強は一人でするものだ。負けたくないなら努力をするしかなくて、他の人たちみたいに友人を作るような余裕は当時の僕には無かった。でも『特別な才能を持つ』というのはそういうことだと思っていた。


 自分の才能を磨いて、未来に繋げる。その為にはひたすらがむしゃらにやるしかないと思っていた。

 でも、それに息が詰まると思ったのは、一度や二度じゃない。

 友人を作って楽しそうにしている級友を見て『羨ましい』と思ったのも、一度や二度じゃない。


 だけど頭が固くて頑固な僕はそれが悪だとすら思っていた。

 そんなものにかまけていたらいつまで経ってもシリウスを越せないと思っていた、のに。その張本人が僕が自分から閉めた硬い扉を無理矢理こじ開けてしまった。


「なあなあスタクー、ここの魔法効果について教えてー」


 鮮烈な光だった。疎ましいとも思っていた光だった。

 でも、ああ、そうだ。僕は唐突に思い出した。

 シリウスの笑顔がまだ下手くそだった頃だ。一人でいる僕に気でも使ったつもりかと毒づく用意だって出来ていたのに情けなく下がった眉が、いつもは星のように煌めいている目が不安に陰っているのを見たのはこの時だ。


 この時はどうしてこいつがこんな顔をしているのかわからなかった。でも八年経った今その答え合わせが出来て少し笑ってしまいそうになる。

 あの時の僕はシリウスの下心に気付きもしなかった。だけどその下心のおかげで僕は憧れてまでいた『友人』を作ることが出来て、孤独ではなくなった。

 それにしても随分と大掛かりだなと僕は微笑う。

 僕を囲うためにお前は八年も使ったのか。


「…馬鹿だな、お前は」


 でもなんだ、そうか。お前はあの時勇気を振り絞ってくれていたのか。そう思うと嬉しさと感謝とが僕の胸を満たす。

 気持ちを自覚する前だったなら僕はきっと「気持ち悪い」とでも言って怒り狂っていただろうけれど、僕はもうシリウスへの気持ちを自覚している。

 この馬鹿のことを不覚にも好きになってしまった今、十歳の頃からこの天才が僕に焦がれていたとわかったのはなんとも気分が良い。


「そんなに前から僕のことが好きだったのか」

「…ねーえーそんな可愛い顔しないで! 俺まだ聞きたいことあるからその顔禁止!」

「訳のわからんことを言うな」

「もー!」


 眉を寄せ顔を僅かに赤くしたシリウスが面白くて笑っていれば、口をへの字に曲げたそいつががぶりと音がしそうな勢いで僕の唇に噛み付いた。

 でも当然痛くなくて獣の甘噛みのようなそれに目を瞬かせていれば軽く息を吐いたシリウスが僕をじとりと見る。


「…もう一個、聞きたいことある」

「ん?」

「アルは俺から離れるつもりなの?」


 どくりと心臓が大きく跳ねた。

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