夢のようなひととき

 アルデバラン・スタクは優秀な生徒だ。

 授業態度も生活態度も極めて真面目で、予習も復習もちゃんとこなす絵に描いたような優等生。だけど口数は少なく表情もあまり変わらなくて、見た目の影響もあってか特定の友人というのはいなかった。たまに声を掛ける人もいたけれど、スタクの真面目過ぎる性格のせいか、それともあのやんわりとかふわんりとか、そういう表現を知らない言葉選びのせいか一人でいる印象の方が強い。


 でも本人はそんなこと気にしてなんていない様子だった。

 いつでも真面目に授業を聞いていて、わからないことがあれば教官に聞きに行って、頼まれごとがあれば文句も言わずにきちんとこなす。同い年なのに、何個も年上なんじゃないかと思うくらいスタクは落ち着いていた。


 そんな人だったから、ぼくはたまにしかスタクに話し掛けられ無かった。

 でもそれでよかった。たまに話し掛けて、名前を覚えて貰って、たまに隣の席で授業を受けたり実習でペアを組んだり、本当にたまに一緒に昼ごはんを食べたり、そんな些細なことが嬉しかった。


 いつかはもっと親しくなりたいと思っていたし、正直ルーヴには何をしたって敵わないって諦めてたけどスタクのレベルになら合わせられたから、このままいけば一番の仲良しになれるかもなんて思っていた。そう、思っていた。


「スタクー! 勉強教えてー!」

「はあ? なんで僕が」

「だってお前座学一番じゃん」

「お前が不真面目だからだろ。僕は真面目に授業を受けないやつは嫌いだ」

「えええ⁉︎ 俺不真面目なわけじゃないよ! そりゃ、ちょっと、ちょーっと眠くなったりとか? 大人しく座ったりできないとかあるけど、でも、ちゃんと真面目に聞く気はあるんだよぉ…」

「……あー、すまんスタク。一回でいいんだ、ルーヴの勉強を見てやってくれ。頼む、先生もあんまり時間なくてな。この通りだ!」

「よろしくオネガイシマス!」

「……一回だけですよ」


 その日から、二人の仲は急激に良くなった。

 ううん、違う。ルーヴが本格的にスタクを囲い始めたんだ。





 入学初日、ぼくがスタクに目を奪われたように、多分ルーヴもそうだった。

 だけどルーヴはあんな単純そうな性格をしているのに、すぐには行動に移さなかった。きっと、これはぼくの推測だけど、待っていたんだと思う。

 誰よりも負けず嫌いなスタクが自分を誰よりも意識して、そして関わらざるを得なくなるようなタイミングを。


 スタクは誰よりも真面目だ。頼まれたら断れない善人でもある。だから教官から言われたらスタクは絶対に断れない。この機会を、多分ルーヴはずっと待っていた。

 だけどこれは意図的じゃない。だってルーヴはこう言ってはなんだが座学に至っては本当に成績が悪かった。フリでこんな点数取れないだろうってくらいには悪かった。


 だからきっと、これはルーヴの本能がそうさせたんだと思う。

 まだだな、もうちょっとだな、今はこのタイミングじゃないな、もう少し先だな。

 そんな、獲物を狙う肉食獣みたいな鋭さでルーヴはずっとスタクを見ていた。

 どうしてそんなことがわかるのかと言われたら、答えは一つだ。


 ぼくとルーヴは全く同じ感情をスタクに抱いていた。

 でも色々な複雑なことを考えていたぼくとは違って、ルーヴは虎視眈々とそのタイミングを待っていたんだ。他の何も考えず最短距離でスタクを囲える瞬間を。


 ぼくは、色々なことを考えていた。

 ちょっとずつ距離を縮めようとか、一番仲良くなりたいだとか、そんなことよりも以前に。

 同性のスタクをそういう目で見ている自分について考えていた。


 同性愛は別に変じゃない。貴族の間でも街の人の間でも少数派だけどそういう人たちはいるし、この学園でも上級生の男同士の先輩たちが手を繋いで歩いているのだって見たことがある。だから変じゃないはずなのに、ぼくは戸惑っていた。


 普通の枠組みから外れるのを、戸惑っていた。

 でもルーヴには迷いなんて無かった。大きな星が入ってるんじゃないかってくらいキラキラした目には迷いなんて一欠片も存在していなかった。

 それが、ぼくたちの決定的な差になったんだ。


「アルー、今日から同室だって!」

「……さっき教官から聞いた。クソ、なんで僕がお前の世話をしなきゃならないんだ。そもそも! 僕にもお前にも同室者がいただろ! なんで急にこんなことになるんだ!」

「俺がうるさすぎて嫌だったらしい!」

「は?」

「ん?」

「つまり今日からは僕がお前のやかましさに耐えろってことなのか?」

「え、うん」

「今すぐに教官のところに行く。こんなやつと同室なんて絶対に嫌だ」

「ええええええ⁉︎ やだがやだ!」


 いつの間にか、スタクの隣にはいつだってルーヴがいた。

 食事も、授業も、訓練も、何もかも。他の人間が付け入る隙なんて微塵もないとでも言うようにルーヴは周囲に見せつけ続けた。

 でも、ぼくはそれでも少し楽観視していた。


 だってあれはどこからどう見てもルーヴの一方通行だったからだ。スタクの目はいつだって澄んだ水色のままだったし、表情だって変わらなかった。むしろ歪んでいることの方が多かったような気さえする。

 それとぼくが楽観視していた理由がもう一つある。

 スタクの中にはルーヴに対する拭いきれない劣等感があったからだ。


 シリウス・ルーヴはあんまり眩しすぎる。


 本人にそんなつもりはなくとも、その眩しい光で“そうじゃない”人たちを灼き殺してしまうのだ。その光は遠い人たちからしてみればただ眩しい憧れで済むけれど、近ければ近いほど耐え難い屈辱と劣等感を植え付ける。

 何をしても何をどう試行錯誤しても届かない瞬間は、他人が思っているよりもずっと辛い。それに自分が長い時間を費やしていればいるほど、赤子の手を捻るようにその上をいかれた時なんて、もうあの感覚は絶望に近かった。


 その絶望を、スタクは誰よりも味わっている。

 さっさと諦めてしまえば楽なのにスタクは諦めずにルーヴに挑み続けるから、その度に傷付いて躍起になって勉強して、また軽く上を行かれてを繰り返す。だから普通なら、もう劣等感でおかしくなってもいい頃だと思っていた。

 いまにスタクがルーヴのお守りなんか出来るかって、放り出すと思っていたのに、そんな時はいつまで経っても来なかった。


「シリウス」


 呼び方がルーヴから名前になった。


「お前は全く、仕方がないな…」


 怒鳴ることが減っていった。


「シリウス。ここは?」


 教えを乞うことを厭わなくなった。


「ははっ、お前は馬鹿だな」


 笑った。

 二人が教室の隅に並んで座って、スタクの笑顔を見た時にぼくの中で何かにヒビが入った音がした。

 それは恋心が砕けた音なのか、それともあれだけルーヴを疎んでいたスタクが彼を受け入れたことに対しての怒りの音だったのか、今でもわからない。

 だけどそれからぼくは無駄な足掻きを始めたんだ。


 思えば焦っていたんだ。もう取り返しのつかない差があるってわかっていたのに、それでも足掻かずにはいられなかった。

 だからぼくは一人称を“俺”にして、少しでも近づきたくて学園に来て数年経ってようやく魔法に対して本気で取り組むようになった。だけどそれじゃあ遅かったんだ。


 その頃にはもうスタクとルーヴの才能は突出していて、とても付け焼き刃で太刀打ち出来るようなものじゃ無かった。それでも頑張った。頑張ったんだ。

 自分の魔力がどの属性と相性がいいのか、この体を生かした攻撃をするにはどうしたらいいのか、自分の長所はなんなのか、思いつく限りの努力は全部した。


 そしてその努力が実ったのか、はたまた神様の計らいか、俺に幸運が訪れる。

 ある日の放課後、スタクが一人で図書館にいた。夕日のオレンジ色が白い髪にとても綺麗に映っていて、まるで絵画のような美しさで、俺は見惚れた。でもスタクが何やらすごく悩んでいる様子だったから、俺は勇気を出して話し掛けたんだ。


「スタク」

「…ん、なんだ」

「いや、ちょっとなんか悩んでそうだったから」

「…ああ、ここのな、火の魔法なんだが」

「あ、それなら──」


 そのひと時は夢のようだった。

 スタクの隣に座って魔法について教える。入学した時からしたかったことが現実になった瞬間だった。その日自分はこの世界の誰よりも幸運だとすら思った。


「ありがとう、助かっ──」

「アルー! お、発見! なあなあやりたい魔法あるから付き合って!」

「図書館は静かにしろ馬鹿。…今日はありがとう、助かった。またな」


 溜息と一緒に迷いなく立ち上がった姿を見て、また一つヒビが入った。

 図書館から出る間際、ルーヴが俺の方を見ていた。そして俺が見ているとわかって、あいつはスタクの体に触れた。

 スタクはそれを振り払うことをしなかった。

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